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いじめはなぜ起きるのか 原因といじめる側の心理を考察

いじめの原因は様々です。

空気を読むコミュニケーションが苦手だったり、人と接する時オドオドしてしまったり。

自信の無さや卑屈さがいじめのキッカケとなる一方、
逆に他人よりも秀でているところが「生意気だ」とターゲットになる場合もあります。

 

益体もない言い方ですが…

いじめは人と人との関係性の中で成り立つものです。

いじめる側といじめられる側がいて成立するものです。

 

いじめはなぜ起きるのか?

その原因といじめる側の心理を考察しています。

 

内向的だからといって、いじめに遭いやすいとは限りません。

しかし統計的には社交的な人間よりは被害者になりやすい傾向があるのは確かでしょう。

内向的な人を全力で応援する当ブログでは、現在いじめに遭っている方の心の負担がわずかでも軽くなることを願ってやみません。

そして過去にいじめられた経験を持つ人たちが、つらい記憶を払しょくできる日が来ることを望んでいます。

なぜ人はいじめを行うのか

いじめを行うような人間は、攻撃的で排他的な性格であることが多いでしょう。

これは本人の持って生まれた資質もさることながら、両親からの影響や家庭環境も深く関係しています

特に暴力をともなういじめは、暴力を振るうことに抵抗のない環境で育ってきた等の関連性がありそうです。

 

暴力をともなわない「無視や悪口」等のいじめについても不平不満やストレスなども強く影響しているでしょう。

「なんかムカつくんだよな…」

学校や家庭の居心地が悪かったり、勉強や部活で自分が思うような結果が出せない苛立ちがいじめのターゲットに向かうこともあります。

八つ当たりのような感情で、いじめを行う。

やられた方はたまったものではありません。

 

そもそも学校とは、特に親しくもない間柄の人たちが無理やり団体行動を取らなければならないところです。

社会人になっても会社勤めともなれば同様です。

目的意識が明確ではなく、何となく「なあなあ」な他人以上友達未満微妙な人間関係。

 

こうした状況下では些細なことでストレスが発生しやすいし、いじめにつながる環境といってもいいでしょう。

学校で発生するストレスは「友人関係」「競争的な価値観」などが最たるものです。

 

テストの点が悪かった。

このままでは志望校に合格できない。

友人だと思っている奴にマウントを取られる。

部活でもレギュラーになれそうもない。

 

具体的にこのような場合でなくとも思春期の不安定な心に絶えずストレスがかかってしまう状況は生徒を追い詰めていきます。

不機嫌怒りとも言うような、収まり切れない苛立ち。

こうした学校生活のストレスのはけ口として「弱そうな者」「集団から浮いている者」をターゲットにしていじめが行われます。

 

いじめを行うような人間は本人の無知や偏見もあり、「自分たちとは違う」個性の人間を許容できなかったり、うまく感情の制御ができないケースもあるかと思います。

他人の些末な行動や言動に「こいつ普通と違う」と苛立つことがキッカケとなる場合もあるでしょう。

本人がいじめ加害者の自覚がないまま、被害者を追い詰めていくような場合もあり得ることです。

 

基本的に人をいじめるような人間は無神経です。

分別のない子供だからと言ってしまえばそれまでですが。

大した想像力もないので、被害者がどれほど悔しいか、苦しいのかさえも理解できないのでしょう。

いじめ加害者は物事を深く考えるようなタイプでもなく、その場のノリと要領の良さで切り抜ける浅い人間であることが大多数です。

浅い、というのは思慮深くないという意味です。

中にはそれなりに知恵の回るものも少なからず存在していますけれども。

そんな彼らは一見、同調性と仲間意識だけには敏感で、場を盛り上げる雰囲気づくりには長けているように見えます。

 

暴力をともなういじめは論外だとしても、いじめは程度の差こそあれ、誰かを傷つける卑しい行為であることには変わりがありません。

つまらない正義感を振りかざすつもりはありませんけれども。

いじめ加害者はもっと社会的に軽蔑されていいとも思います。

 

いじめをなくす方法については以下の記事にまとめました。

https://satomi-manga.com/how-to-eliminate-bullying/

もっとも、実際いじめ加害者は悲惨な末路をたどるケースが多いようですが。

少なくとも、よほど悔い改めている人でない限りは社会的な成功を収めるというケースは少ないでしょう。

誰でもいじめ加害者になる可能性はある

前項で私はいじめ加害者の精神性を卑しいと断言しました。

しかし自分はいじめとは無関係の清廉潔白な人間かどうかと問われると微妙なところではあります。

 

私は学生時代を通じて暴力で人を傷つけた経験はありません。

他人の私物を隠したり、壊したりもしなかった。

たぶん加害者グループから「やれ」と命じられても断る勇気は当時から持っていたつもりです。

そういうふうに育ててくれた両親と、少年マンガから学んだことは大きかったです。

 

ただ、一度たりとも無視したり悪口を言わなかったのかと言われたら微妙なところです。

幸いにして集団で一人を無視したりしたこともないのですが、状況によっては流されてしまう可能性はありました。

まあ、私の場合はどちらかといえば陰口を言われた方ではありますが。

中二病で痛い行動をとってしまったので自業自得なんですが。

https://satomi-manga.com/to-recover-from-chuuni/

バカにされる程度で、暴力をともなういじめを受けなかったのは幸運だったのかもしれません。

 

実際に暴力をともなわないいじめである「仲間はずれ・無視・陰口」は※約4割の生徒が加害者の経験があるといいます。

※文部科学省の国立教育政策研究所の「いじめ追跡調査2013-2015」による。

いじめる側がターゲットを定める理由

ほとんど例外なくいじめる側は自身の「コミュニケーション能力」に優越感を持っています。

そもそもいじめを行うこと自体、加害者に本当のコミュ力なんてないに等しいと断言できますが、一般的には加害者の方がコミュニケーションに積極的でです。

それが劣等感の裏返しだとしても、いじめを行う者たちは一様に得意げで優越感を持っているように見えます。

嫌な奴を見極める方法は以下の記事にまとめました。

https://satomi-manga.com/people-who-disliked/

彼らはほとんど本能的に「こいつならいじめても大丈夫だ」という線引きをします。

その基準には彼らならではの「普通の範囲」なり「共通認識」のようなものがあり、基本的にはそこから外れた人を叩くことになります。

 

意識的にせよ無意識的にせよ、誰かをいじめることに罪悪感や後ろめたさを感じているのかもしれません。

だから彼らはいじめられる側の理由を見つけて自身の加害行為を正当化します。

なぜ彼らは「異物」を排除しようとするのか

たとえば人と違う容姿。

くせ毛や身体的特徴などをあげつらい、「普通ではない」とレッテル張りをする。

どうもいじめ加害者の心理には「自分たちは集団の中の主流だ」という意識があるようです。

 

その中でいじめる側、特に加害者の中心人物には「基準」のようなものがあります。

たとえば、オドオドしている者やヘラヘラ笑っている者をターゲットにするか…

それとも身体的な特徴をあげつらうか…

いじめる側によって理由は様々です。

 

彼らがよく言う「いじめられる側にも問題がある」という妄言の根拠はここにあります。

要するにいじめる側の「普通の範囲」に入っていないから、「いじめてもいい」という判断の基準になります。

 

社会学者の森田洋司氏は以下のように述べています。

〈いじめとは相手に脆弱性を見出し、それを利用する。あるいは、脆弱性を作り出していく過程である〉

引用元:『いじめとは何か 教室の問題、社会の問題』森田洋司著(中央公論新社)

たとえば、いじめ加害者が「オタク=キモイ」という偏見を持っている場合もあるでしょう。

正否はともかく、現在まかり通る社会通念をバックボーンに被害者をターゲットにします。

なので、被害者の側も自己肯定感が失われてしまい…

「そっか。オタクはキモいからいじめられて当然かな…」

と思わされてしまう。

オタク趣味等ならまだしも、身体的特徴などを揶揄された際の絶望たるや筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。

いじめられたことで、どんどん自分が嫌いになっていく。

 

これこそがいじめの構造だと言います。

特定の趣味や娯楽をキモイと決めつけていじめるケースはよく見られることです。

ただ、この場合本人が空気を読まずに「普通の範囲」ではない趣味をアピールすることから発生する場合もあります。

 

趣味嗜好はおろか一挙手一投足がいじめ加害者の価値観で決まってしまうので理不尽なことですが、

不用意に相手の懐に飛び込むことは社会通念として「甘い」と言わざるを得ないでしょう。

集団においての「暗黙の了解」「空気を読む」

これさえバッチリこなせればいじめ被害に遭う確率は相当に減らせるでしょう。

しかし、世の中には「暗黙の了解」が理解できなかったり、「空気を読む」ことが苦手な人もけっこういます。

いじめる側も「同調しない奴」ならばイジってもOKと考えるのかもしれません。

いずれにしても、どんな理由があろうともいじめは加害者が全面的に悪いのは言うまでもありません。

しかし、なぜ彼らは自分たちの価値観にそぐわない「異物」を排除しようとするのでしょう。

先史時代から続く人間の原始的な本能と言ってしまえばそれまでですが、それでは実もフタもありません。

 

いじめる側の人間からすれば、仲間意識の結束を乱す「キモい奴」という認識なのかもしれません。

おそらく上手く言語化できないまま「変な奴がいる!」とあげつらうのでしょう。

いじめる側はなぜいじめだと自覚がないのか?

いじめる側は、意外といじめだとは認識していないケースもあります。

よくニュースなどでいじめ加害者たちは以下のような言い訳を口にします。

「いじめてるつもりはなかった」

「ちょっかい出しただけ」

「みんながやっていたし本人も嫌がってなかった」

「イジリのつもりだった」

個人的には「自覚あったんじゃないの?」と思いますし、にわかには信じられない言質ですけれども。

 

加害者が群れの中心側に立ち、外れた被害者の存在を否定することで優越感を得る。

自分たちこそが多数派だと悦に入る。

仲間にならない被害者こそがおかしいとでも思うのでしょうか?

 

いずれにせよ、いじめ行為には加害者と被害者で気持ちに相当のギャップがあるのは事実でしょう。

やった方は遊びのつもりでも、やられた方の心は深く傷つけられ、生涯消えることのない痛みともなり得ます。

被害者だった私の友人なども今もなお「思い出すと辛い」と話してくれます。

 

たとえ加害者を問い詰めたところで…

「いつまでも昔の事なんて気にしてるんじゃねーよ」

「だからお前は仲間外れなんだよ」

程度にしか思わないでしょう。

 

どうしていじめ加害者はいじめを軽く考えてしまうのでしょう。

その根底には、彼らの側の仲間意識が関係していると思われます。

ひょっとしていじめる側は被害者を敵とは思っていないのではないでしょうか?

 

どんくさい奴だからイジってやろう。

ダセー奴だからイジってやろう。

加害者の側には、そこまでの悪意はないのかもしれません。

 

でも被害者にとっては人としての尊厳を踏みつけられ、傷つけられているわけです。

彼らの悪意をハッキリと「敵」として認識しています。

このギャップは埋めることができないし、たとえ話し合ったところで平行線なのではないでしょうか。

まとめ

いじめはなぜ起こるのかを考察してみました。

・原因の背景はストレスと本人の資質や家庭環境の影響が大きいでしょう。

・他人以上友達未満で、一緒にいなくてはいけない空間で発生する確率が高くなります。

・いじめをする人間は、何らかの不平不満を持っていることが多いでしょう。

「何か分かんないけどイラっとする」

このような精神状態で、手近なターゲットをいじめることで安易に優越感を得て、ストレスを解消しようとする行為でもあります。

いじめる側はよく「いじめられる方にも問題がある」と称しますが、どんな理由であれいじめは卑劣な行為で軽蔑されてしかるべきものです。

 

「いじめられたくなければ、いじめられる側も強くなるべき」という意見もあるようですが、これは少し的外れではないかと思います。

欠点だから、いじめられるのではありません。

弱いから、いじめられたというわけではありません。

加害者のいじめる理由は様々で、要するに被害者に対して難癖をつけているようなものです。

美男美女だろうと「調子に乗っている」という理由でいじめられたりもします。

加害者のレッテル貼りに屈しないという心持ちはアリだとは思います。

 

もし現在この記事を読んでいる方がいじめに苦しんでいるとしたら「自分にも原因がある」とは思わないでください。

視点を変えてやり過ごせば必ず道は開けるものです。

協調性ばかりが求められる世の中かも知れませんが、孤独というのも悪くないものです。

己との対話を続ける中で人間的な深みを手に入れるチャンスでもあります。

 

一方いじめ加害者の末路はけっこう悲惨です。

特に暴力行為などに及んだ者の中には、犯罪者として法律で裁かれた者も少なくありません。

問題は加害者まで行かないけど人を見下す連中が要領よく世渡りするくらいでしょうか。

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