今ではすっかり減少傾向にあるヤンキーですが、昭和から平成初期にかけての価値観では確かにヤンキーはモテていました。
「ヤンキーはダサい」風潮が定着した現在でも、彼や彼女らにはたいてい同居するほど身近にパートナーがいます。
反社会的な組織の構成員たち(たとえ下っ端でも)も、派手な女性と交際していたりします。
モテるモテないは個人の外見や内面、コミュニケーション能力によっても個人差が大きいので一概には言えません。
しかし実際問題、街に出ても元ヤンキーと思われる外見の人たちは、カップルや家族連れでいる場合が多いでしょう。
なぜ彼らが恋愛に積極的なのか、その理由を考察します。
ヤンキーがモテる理由
結論から言えば、ヤンキーだからモテるわけでは決してありません。
男女ともに恋愛に対して積極的な人が多く、交友関係が密接(絆が強め)なので、恋愛に発展する機会が多い。
乱暴な意見かもしれませんが、単純にそれだけのような気がします。
巷でよく言われる「女性は本能的に強い男性を求めている」という話があります。
子孫を残していく過程で、弱い個体は淘汰されてしまうから、「不良=強いオス」「いざとなったら守ってもらえる」ところに惹かれるという話もあります。
一理ある、としてもヤンキーの男性が一緒にいるのは大抵同じような価値観・ファッションセンスの女性たちです。
繁華街でとびっきりの美人と腕を組んで歩くチンピラっぽい男性(イケメンでもない)姿を一度は見たことがあるかと思います。
よく観察してみると、その美人、清楚風に見えたとしてもどこかヤンキー入っていませんか?
恋愛に関してパートナーに感化されることはよくある話ではありますが、ヤンキーに関していえば狭い美意識と言わざるを得ないでしょう。
ヤンキーが本当にモテるならば、彼らはもっともっと多種多様な人たちと交際しているはずです。
なので、ヤンキーがモテる理由として「強いオスに惹かれる」のは話半分と言ったところではないでしょうか。
単純にチャラい人たちやヤンキーが異性関係に積極的だからカップルが成立しているのだと思われます。
加えて彼らの所属するコミュニティが恋愛に対するハードルが低いことも関連しているでしょう。
相手に求めるスペック(外見・内面・社会的地位等)も、さほど高くはない傾向も影響していることも考えられます。
もちろん、これらは人にもよります。十把一絡げでヤンキーの恋愛志向を決めつけるものではありません。
恋愛に関する理想の高いヤンキーもいるでしょうけれども、オタクに比べて、相対的に見たらヤンキーは恋愛そのものに対するハードルが低い状態であることは断言できます。
これが、ヤンキーがモテると言われる真相ではないでしょうか。
ヤンキーと経済的な困窮や虐待を安易に結びつけるのは偏見かも知れません。
それでも、児童虐待などで逮捕される容疑者がテレビなどで報道されるのを見る限り、ヤンキー気質の人が多いと言えるのではないでしょうか。
社会的に最適な行動が、異性を引き付けるわけではない
デート中、彼女がチンピラに絡まれたとします。
もし彼氏がヤンキーだったら問答無用で止めに入り、相手を威圧するか時には暴力に訴えかけるでしょう。
一方で、彼女を助けるために、近くの交番まで警察を呼びに行く行動をとった彼氏がいたとします。
警察を呼んで解決した場合、彼女とすれば直感的に「守ってもらえなかった感」が強いのではないでしょうか。
チンピラは刃物を持っている可能性もありました。
傷害事件にならないためにも穏便にことを治めた後、警察を呼ぶのが妥当ではあります。
にもかかわらず、ほぼ例外なく彼女の心にモヤモヤ感が残るのではないのでしょうか。
逆に、ひ弱なタイプが勇気を振り絞ってチンピラに立ち向かった場合、勝敗はともかく心動かされるものがあるはずです。
現実ではほぼ見られない光景ですが、フィクションの世界ではよく見せ場として作られる場面です。
なぜ、そのように感じるのでしょう。
私たちは長い年月をかけて進化の道をたどってきました。
文明を持つはるか以前。言葉を話すよりもずっと長い間、非言語のコミュニケーションを積み重ねてきた経緯が、私たちの遺伝子には刻み付けられています。
本能的に体を張って相手を守ろうとする行為は、対象をとても安心させ、愛情を感じさせるものではないでしょうか。
それは男女間に限った話ではなく、親が子を守ろうとする行為、敵の注意を引きつけ、戦友を守る行為…。
言葉を越えて「グッとくる」のは、私たちの生存本能を刺激されるような危機から身を挺して守る行為であることは確かなようです。
暴力は決して肯定できるものではありませんが、社会的に最適な行動が必ずしも異性を引き付けるわけではないのです。
だからといって不用意にトラブルに介入するのは文字通り命取りになりますので、冷静な対処を心がけるのが良いと思います。
内向的な人がモテる方法は、こちらの記事にまとめてみました。
エリート層とヤンキーに見られる恋愛観・家族観の違い
人間は男女を問わず、思春期に会得した価値観や、熱中していた趣味から、逃れることは難しい生き物なのではないでしょうか。
私たちは大人になって過去を切り捨てたつもりでも、意外と思春期の感性に引きずられてしまうものです。
感受性の最もするどいこの時期に、勉学や部活にいそしんだ「リア充」は、成績の良しあしはあれど社会的な活動に積極的になっていくでしょう。
マンガやアニメ、ゲームなどの娯楽作品にどっぷりとやられてしまった人間は、その時夢中だったキャラクターの生き方に自身も影響を受けてしまうものです。
楽器演奏をするしないに関わらず、音楽に夢中になった人は、一生その頃に聴いていた音楽から逃れることはできないでしょう。
よく言われるエリート層が恋愛に対してドライだったり、積極的でないのは思春期の頃の日常に起因していると思われます。
難関大を突破するような人たちで、彼氏彼女とイチャイチャした思春期を送った人は極めて少数ではないでしょうか。
思春期を勉強に明け暮れた人は、恋愛に関して醒めていたり打算的だったりする傾向があります。
逆に極端に(結婚生活・子育ても含めて)理想主義的になってしまう場合もあります。
一方で無理やり勉強させられた人が反動で遊び人になるケースもありますが、それはまた別の話です。
エリート層の結婚がしばしば戦略的な協力関係・あるいは理想の子育て同盟のような形になってしまうのは、ある意味仕方のないことなのかもしれません。
ヤンキーの視点からはドライに見えても、当人たちにとっては思いっきり情熱的だったりするものですので、価値観の違いというものは面白いものです。
内向型と社交型でも恋愛観は違います。
詳しくはこちらの記事にまとめました。
対してヤンキーの思春期はシンプルで全力です。
屈折した不良タイプもいますが、基本は遊びにケンカに恋愛と大賑わいです。
昭和末期から平成初期80~90年代的のポップカルチャーではヒーローとして描かれることも多かったヤンキーですが、現実の世界では問題行動がひんしゅくを買うことも多々ありました。
ただ、当時は規範意識に対して現在よりも大らかな時代であったために、相対的に不良が許されていたとも言えます。
80年代~90年代のヤンキーに見られる価値観・恋愛観は、現在も続くヤンキーの基本理念となっています。
一途に好きな異性に尽くす(惚れた相手を何があっても守り通す)
仲間との絆を大切もする。
家族や仲間がトラブルに見舞われたら、法律的や社会通念よりも身内を優先させる。
意外と時代の影響を受けないのがヤンキー的な恋愛観なのかもしれません。
ヤンキー夫婦の早婚率や離婚率、シングルマザーになる確率は確かに高めではあります。
が、その一方で強固な信頼関係や絆を仲間内で形成するケースも多く、利害を超えた任侠的なコミュニティを築き上げる可能性も持ち合わせています。
ヤンキーは少子高齢化社会を救わない
『26世紀青年』(06年 米)という映画があります。
知的レベルの高い層が少数の子孫を残すのに対し、そうでない人々が野放図に子孫を残した結果…
500年後の26世紀には人類の平均IQが低下し、どうしようもなく劣化した未来社会を描いたブラックコメディ映画です。
ハリウッドのコメディ映画で諷刺された社会と、現代日本の少子高齢化社会の現実を一緒くたに比較することは無理がありますけれど。
特に出生率に関しては先進国の中でも日本はとりわけ「少産少死」(低出生・低死亡)の割合が高くなっています。
都会に住んでいる方には実感がないかもしれませんが、地方での人口は目に見えて減っている印象を受けます。
中規模程度の地方都市だろうと学校の統廃合をはじめとして、街を歩く人たちが年々少なくなっており、高齢化が目に見えて進行しています。
ヤンキー世帯が出生率を劇的に回復させる突破口となるかと言われたら、難しいと言わざるを得ません。
なぜなら、彼らの地盤・ホームグラウンドである地方都市の高齢化と経済の失速に歯止めがかからないからです。
マイルドヤンキーを含めてヤンキー層が地方で豊かに暮らしている背景には、経済的に彼らをバックアップしていた親世代(バブル世代)の存在があります。
もちろん親から完全に自立した若者も少なくはないですが、地方の場合、土地や畑などの相続問題も含めて親世代の経済的な援助はよくある話ではないでしょうか。
団塊世代からバブル世代がシニア層に移行した現在では、彼らが良き祖父母として子供世帯をフォロー出来る経済状況にあります。
が、続く就職氷河期世代が祖父母となる時代となると、前世代よりも厳しい経済状況を経験していますから、その子世代に当たるZ世代への経済的バックアップは、より厳しくなる傾向があるのではないかと思います。
もちろん資産状況は個人や家庭によって千差万別ですので、一概に決めつけることはできませんが。
政府の方針として検討されている移民政策ではありますが、経済面・文化面での影響はさておき、出生率のみに焦点を絞ってみると付け焼刃に過ぎないという意見も出ています。
たとえ一時的な人口増加ができたとしても、日本がモノと娯楽に満ち溢れ、教育レベルの高い「先進国」である以上は、いずれは移民たちの出生率も下がっていくと考えられているからです。
勉強嫌いのヤンキーが、意外とわが子に対して教育熱心だったりする例は多いです。
子育てと教育にお金がかかり、賃金や暮らしやすさが改善しきれない状況では、たとえ人を増やしたとしても少子化は改善されないのではないでしょうか。
まとめ
ヤンキーは必ずしもモテるわけではありませんが、そのように見えるのは男女ともに恋愛に対して積極的な性格の人が多いからではないでしょうか。
盛り場など、出会いが多い場所によく集まることも関係しています。
関心があって機会が多ければ、必然的にカップルも増えていくのではないでしょうか。
また、オタクのように偏った美意識や、極端に高い理想像を持たないこともヤンキーの恋愛ハードルを下げている一因かと思われます。