文部科学省による調査によると、約9割の子どもが「いじめたことがある」「いじめられたことがある」と回答しています。
どうすればこの世の中からいじめをなくすことができるでしょうか?
結論から言えばきわめて難しいと言えるでしょう。
人間(ホモサピエンス)の習性とも関連してくる問題だからです。
ヒトは残虐な生き物です。
世界危険な生物ランキングでも蚊(マラリア等の媒介者)の次くらいに表示されています。
マンモスをはじめ数多くの野生動物を絶滅に追い込んできた黒い実績がそれを証明しています。
私たちホモサピエンス以外の人類(ネアンデルタール人、フローレス原人等)さえ地球上から消し去ってしまいました。
「異質性の排除」は、人間の習性なのかもしれません。
いまこの瞬間にも、紛争地域などでは多くの人の命が奪われています。
近代文明、人権教育を施された先進国の人々でさえ、凶悪犯罪をゼロにすることはできていません。
このような地球上の危険生物ニンゲンにとって、他者の尊厳を傷つける「いじめ」なんてものは朝飯前です。
無意識にでも人を傷つけたり、優越感を持ったり劣等感を持つ性質があるためです。
それに加えて私たちの社会は「みんなと違う」特徴がある人に対して容赦なく当たります。
社会的な生き物である人間は、根本的に孤立する者に対して敵意をむき出しにする習性があります。
いじめが起こる原因については以下の記事にまとめました。
精神的に未熟な児童・学生は特にそうでしょう。
不満やストレスのはけ口を弱い者や変わり者に対してぶつけることで安心した気になる厄介な性質があります。
もちろん世の中には人格円満で、正義感の強い人たちも少なくありません。
そこには両親からの影響や、本人の資質もあるでしょう。
ですがその百倍以上に劣等感や優越感に苛まれている人たちが存在しています。
漫画家ならではの視点で、いじめをなくす方法を考えてみました。
具体的な方法から突拍子のないものまで、幅広く柔軟に考えてみました。
現実にいじめ等を受けている方に対して、気持ちの面でも少しでも寄り添えたらと思っています。
いじめの定義といじめ防止対策推進法
解決策をあれこれ述べる前に、いじめの定義について掘り下げておきましょう。
文科相によるいじめの定義は、以下のようなものになります。
心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった子どもが心身の苦痛を感じている
ものをいう。引用元: 文部科学省「いじめ」の定義
地方自治体としてのいじめ対策としてはいじめ防止条例が知られています。
こちらは07年12月に兵庫県小野市で「小野市いじめ等防止条例」として初めて制定され、08年4月に施行されました。
中高生の自殺は家庭内の不和や進学等、いじめとは関連づけられないケースもあります。
約6割が動機「不明」とされています。
真相解明と再発防止のための調査が、学校や教育委員会に義務づけられています。
にもかかわらず調査結果は十分共有されていない現状です。
成人も含めた全体の自殺件数は03年のピーク時で34,427人だったのが、18年では2万1,897人
出典:警察庁自殺統計原票データより内閣府作成の資料による
しかし、児童・生徒の自殺件数は18年で過去30年で最多となるなど、現在もなお減る気配はありません。
成果がいまひとつの印象もあるいじめ防止対策推進法の施行にしても、別の見かたをすればやっと「日本人が本気でいじめをなくそう」と考えるようになったとも言えるのです。
残念ながら、これまで世の中の大多数はいじめ問題を見て見ぬふりをしていました。
やっと本格的ないじめ対策のスタートラインといっても良いのではないでしょうか。
生徒および教師のストレスを減らす
いじめの遠因となるものにストレスがあります。
学校が息苦しい場所だと、生徒たちの一部はストレス解消のはけ口にいじめを用いることがあります。
もちろんストレスをため込んでしまうような家庭環境の生徒たちもいるでしょう。
教師たちもまた激務で知られています。
80時間残業の過労死ラインは小学校教師の約30%と言われています。
※16年度「教員勤務実態調査(速報値)」による
部活動の顧問などを兼任する中学教師では60%という高い数値になります。
残業時間はカウントされず、「趣味」で「自主的」な居残りとみなされる場合もあるそうです。
職員室のヒエラルキーというものも関係しているのかもしれません。
本来、校長や教頭が偉いのは理解はできます。
しかしベテラン教師や部活動の強い顧問(特に運動部)の教師の発言力が強く、若手の教師に何ひとつ発言権がないような状況もあるでしょう。
スクールカーストの影響は教師たちにも及んでいるのかもしれません。
もちろん雰囲気の良い職員室もあるところにはあるのでしょうが。
ただ私の周囲にいる人たちへのリサーチでは、職員室の雰囲気はギスギスしていたという意見が多かったです。
長時間労働の問題は、また別の要因をはらんでいます。
現在の教職員たちが教鞭をとる以外の様々な用事に追われていることです。
部活動の顧問などはその代表格でしょう。
強豪校でなくとも運動部であれば、日曜も練習や試合が当たり前です。
それでなくとも、たとえばプールの底を掃除する等の「雑用」は教師でなくともできることではないでしょうか?
花壇の手入れや、休日に動物の世話をするような教師もいるようです。
現実問題、教師側の過酷な職場環境を改善するだけで、生徒のいじめなどにも向き合う時間的・精神的な余裕も生まれます。
教師の側からも生徒の側からも学校内はストレスの温床となっています。
よりストレスの少ない環境を作る努力が、いじめを減らす効果的な方法かと思われます。
こんなことを書くと…
「適度ストレスがあった方が人は成長する」
「ぬるま湯では人は堕落する」
「社会人になったらストレスは当たり前」
「甘えるな!」
等の意見があるかも知れませんが、時代錯誤もいいところでしょう。
私は中学生が自ら命を絶つような現状は「絶対にあってはならないこと」だと認識しています。
人の生き死にがかかっているのに甘えも何もないでしょう。
「弱い者は負けて当然だから強くなれ!」という考え方は確かにあります。
漫画界は特にそうで、それでしかありません。
ですが何をもって「強い」「弱い」なんてのはまちまちです。
だからこのような乱暴な価値観を「戦うつもりのない人」に強要するのは酷なのではないでしょうか。
私たちは原始人でもありませんので、生き方はいろいろあります。
よりよく生きるため、ストレスを軽減して楽になるために知恵を絞るのは「甘え」でもなんでもなく大切なことです。
人間の本質は「悪」か? 性悪説で考える
性悪説とは、「人の本性は悪だから、努力することによって善を獲得できる」という考え方です。
人はありのままでは悪なので、環境や教育なども含めた後天的な要素で善になるというとらえ方もできます。
個人的には善も悪も主観でしかないと思っています。
「いじめは当然起こり得る」
と考えて、そこから逆算して対策を講じるのが現実的に有効ではないでしょうか。
人の本質がどうあれ、世の中にはとんでもない教育をする親もいるものです。
あるいは暴力を肯定したり、他人を見下したり傷つけたりする親もいるでしょう。
そうした環境で育つ子供は、どうしても影響を受けてしまうでしょう。
まあ「性善説」で行われている日本の道徳教育を否定するつもりはありませんけれども。
「君は本当は良い子なんだから話せばわかる」
という考え方にはどうしても限界があるでしょう。
世の中には無自覚でいじめを行う人間がいます。
他人の心の痛みなど何ひとつ理解できない人間がいます。
ひょっとしたら、クラスに2~3人程度はそうかも知れません。
鈍感で無神経な者の心無い行動で、今も多くの人たちが傷ついています。
しかもその手の輩に限って無知で偏見に満ちていて、自分が悪いことをしているという自覚がありません。
「どうすれば人の痛みが分かるようになるのか?」
徹底的に理解してもらう必要があるでしょう。
「いじめられる方にも問題がある」
等と平然という人たちもいます。
典型的ないじめる側の理屈(?)です。
いじめる側も含めて問題のない人間なんて一人もいません。
加害者がターゲットをいじめる「理由」を見つけて、正当化するために「問題をあぶりだしている」だけです。
ひょっとしたら加害者にも後ろめたさのようなものがあるのかもしれません。
でも、それを正当化するために「あいつはおかしな奴だ」というレッテル貼りをするのでしょう。
彼らはターゲットを見つける嗅覚に優れていて「こいつならOK」という線引きをします。
彼らの理屈(?)に根拠なんてありません。
親がお金持ちだろうと有名人であろうと美男美女だろうと関係ありません。
彼らは自分たちの所属する集団に絶対の自信を持っています。
それをよりどころにして少しでも毛色の変わった者を叩くのです。
「なあ? あいつムカつくよな?」
という同調圧力も加わることで、集団によるいじめも起こるでしょう。
そのような友達グループとは一刻も早く距離を置くべきでしょうが、なかなか思い切れない場合もあるかと思います。
友人から学業・容姿・行動などを馬鹿にされた「友人ストレッサー」は誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。
これに対抗するためには、自己否定ではなく、自己有用感を持つことが大切です。
学校外に自分の好きなことが一つでもあれば、救われる可能性があります。
悪しき人間関係に依存するくらいなら、孤独でいた方がいいとも思います。
いじめは最悪にダサいという風潮を作る
「人をいじめる人ほど、絆や友情という言葉を口に出すのは何故?」
というツイートが話題になったこともありました。
社会性が高いということと、いじめが密接に結びついているからです。
仲間意識が強ければ強いほど、異物に対する風当たりは強くなります。
「なんでおれたちと違うんだよ!」
彼らの価値観の「普通」の範囲ではないからといっていじめられる筋合いはありませんが。
いじめる側の多くが「正義感」と「優越感」からいじめを行っています。
それはニンゲンの習性に基づくものなので、改善することは容易ではないでしょう。
それはなぜか?
彼らは基本的に他人への関心が高く、人と関わりたい欲求が強いのです。
だからご親切にも「お前、普通じゃないよ!」
と教えてくれるのです。
言われる方は当然、彼らよりは社交性に弱さがあるわけです。
不器用ながら必死で取り繕うとして頑なになってしまうこともあるでしょう。
あるいはヘラヘラしてしまうこともあるかも知れません。
そんな態度が「ムカつく」
そうしていじめがエスカレートしていく。
ちょっと乱暴な決めつけかも知れませんが、このようなケースは多いのではないでしょうか。
いじめはカッコ悪い。
よほどの愚か者でもない限り頭では理解しているでしょう。
しかし、いじめ加害者の中には「優越感」があるでしょう。
自分より弱い(と思っている)ものに優越感を感じる心。
これがどれほど醜い感情なのか、忌まわしきものなのか
マンガで言ったらザコキャラか三下のやる行為ですからね。
いつも当ブログにご感想をお寄せいただいている読者さまより、いじめ問題に関して次のようなメッセージをいただきました。
で許可を得たうえで引用させていただきます。
「たとえいじめ加害者がクラス内では1軍でも、勉強・スポーツができても、コミュ力が高くても、彼氏彼女がいても、イケメン・美人でも、家が裕福だとしても、他人をいじめている時点で最低最悪な人間という印象しかありません」
私もまったく同意見ですが、ここまで踏み込むことができませんでした。
そして読者の方が示してくれたいじめ対策も併せてご紹介します。
読者さまよりいただいた「いじめ対策案」を追記
当記事のご感想をいただいた読者さまが考えて下さった「いじめ対策案」が具体的で効果がありそうだと思ったので、こちらも引用させていただきます。
①選択・少人数授業を増やしクラス単位の授業時間を減らす
②クラス替えの間隔を半年にしていじめ加害者と被害者を違うクラスにさせる
③学校に心理カウンセラーや臨床心理士などの専門家を常駐させる
④学校側がいじめ現場限定でボイスレコーダー・小型カメラによる録音・撮影を正式に許可し、教師に提出することを全校集会等で呼びかける
①・②は生徒によっては逆にストレスになってしまったり、教師側は生徒の顔と名前を覚える量が格段に増え公平な成績評価がしづらくなってしまう、など難しい課題があるので実現性は低いかもしれませんね。
③は私立校ではすでに設置しているところがあるかもしれませんが、
誰でも入りやすく落ち着いて話せる雰囲気作りが大切だと思っています。
④は最終手段なので極力ないのが望ましいですが、幸いにもいじめ問題は全国ニュースで流れるえSNS・ネット上でも大問題になる時代なので、そこまでのリスクと責任を負ってまでいじめをする生徒はほとんどいないとは思います。
もちろん、未加工の音声・映像データや実名が絶対に流出しないよう受け取り・保管には細心の注意を払い、プライバシーには十分配慮したうえでデータを取り扱うことが鉄則だと考えています。
いじめの根絶によって「学生のいじめ・スクールカースト離れ」が起こり、そしてゆくゆくは「日本人の同調圧力・ムラ社会離れ」まで漕ぎついてくれたら・・・と切実に願っています。」
「いじめ」ではなく犯罪として対処する
もしこの方法が可能であれば日本中の学校から「いじめ」を根絶できます。
「いじめ等」というマイルドで生易しい言葉で表現するから、心理的なハードルが低くなってしまうのです。
いじめっ子なんて言葉も最近は使われくなりました。個人的には死語になるといいです。
いじめ加害者もしくは少年犯罪者でしょう。
暴力は言うまでもなく傷害事件として対処します。
悪口や、人前で笑いものにするのは侮辱罪。
何かを強要させることは強要罪。
難しいのは「ちょっかいを出すこと」と「いじめ」の線引きでしょう。
これは受け手の感受性によって左右される問題でもあります。
被害者意識の強い者ならば、これを逆手にとって立場の強い者を貶める可能性もあります。
それでも「からかい」や「いじり」等は人を傷つける可能性があること。
ましてや児童によっては調子に乗るタイプで、周囲と同調しやすく、攻撃的な者もいます。
やはり、人によって同じことをされたとしても感じ方は違うということは徹底して教育すべきだとは思います。
この社会のほとんどは社交的な人間の価値観で動いていますが、その陰で苦しんでいる内向的な人間も多いのですから。
少なくとも「冗談だった」
「イジっただけ」
という言い訳(?)はアウトでしょう。
残念なことに、このような言い訳(?)まかり通り、ある程度の理解を得ているのが現状です。
加害者側の「そんなつもりじゃなかった」は、被害者に対してさらに追い込む言動ではないかと思います。
彼らにそこまでの悪意はないのかも知れません。
無知か、あるいは思考停止か、その場しのぎの「反省したような言動」ではないでしょうか。
少なくとも、いじめの加害者は社交性に長けています。
否、間違いなく「自身では社交性があると思って」いるのでしょう。
そして彼らには友達というか口裏を合わせる賛同者がいます。
いじめ被害者にとって、基本的には絶望的に不利な状況であることは否めません。
そして加害者のこのような自信たっぷりの「反省したような言動」を受けて被害者はどう感じるでしょうか?
「やっぱり自分の考えすぎなのかな…」
「悪く受け取った自分が間違っていたのか」
「いじめられる方にも原因がある」とか言うし…
「周りのみんなは常に敵」というプレッシャーは冷静な判断も奪うことになりかねません。
結果として、命が失われるような事態につながるのではないでしょうか。
いじめの構造は常に1対多数です。
数による精神的な暴力なのです。
しかも、その理由に根拠もない。
だからこそ、いじめ=犯罪として認識する重要性を説いてみました。
学校内に警備員を配置する
警察官のOBなどを警備員として採用するのはいかがでしょう。
一部の教師たちは猛反発しそうですが、モンスターペアレントや不審者対策にもなるのではないでしょうか。
いじめを行う者からすれば、元警官の視線は嫌なものがあるでしょう。
それでも彼らいじめる側の人間はやるでしょう。
本当にいじめる側の思考回路はどうしようもなくて「人の心を傷つけることで満たされる」人間もいます。
個人の特性なので、変えるのは難しい。
しかしそれでも警備員の目があれば、いじめの数自体は減るでしょう。
でもこの案は現実的ではないでしょうね。
学校は権力の介入しない「聖域」でなければいけないという考え方の教師は未だ少なくないですからね。
まとめ
見果てぬ夢かも知れませんが、いじめを根絶できる日を願ってやみません。
教育や政治の門外漢であるマンガ描きの妄言なので、単なるネット上の記1事以上の何物でもないことは承知しています。
でも、だからこそ誰が読んでいるか分からない可能性も感じます。
いまこれを読んでくれた人の心に何かが残って、何かの行動のキッカケになるのであれば幸せに思います。