大学でスポーツの部活動を経験した男女は、体育会系と呼ばれます。
実際にスポーツの経験はなくても「上下関係」に厳しく「根性論」などを持ち出す人も体育会系的とみなされる風潮もあります。
一般的には社交的で友達も多く、上下関係と礼儀をわきまえた行動力にあふれる体育会系。
企業にとっては従順で体力もある「理想的な人材」でもあります。
人との距離が近く、暑苦しいという意見もありますが、社会人としては適材と言えるかもしれません。
「全国の大学生のなかで体育会系の部活に所属している学生はわずか7~8%。しかし、新卒採用のうち3~4割を体育会学生が占める大手人気企業は少なくありません」
引用元:ダイアモンドオンライン体育会学生が就活に強い4つの理由
しかし私たち内向的な人にとっては、彼ら独自のノリ、理不尽ともいえる精神論、根性論が苦手という方も多いでしょう。
ブラック企業やパワハラにも通じる価値観があることは否定はできません。
一方的に価値観を押し付けてきて、反論も許さない高圧的な性格の人も少なくないのは事実です。
ネット上では「体育会系 うざい」等、ネガティブな言葉で検索され、罵詈雑言を浴びせられる存在です。
実際に社会に出てみると、そのような型通り(ステレオタイプ)な体育会系は少数派のような印象もあります。
それでもやはり、体育会系特有のノリは広く社会に浸透していて、内向的な私たちを苦しめています。
当記事は、特定の個人を中傷するような意図は全くありません。
自分と合わない人間のタイプを否定する意図もありません。
体育会系の何がそこまで嫌われるのか、考察してみました。
価値観の違う人を理解したうえで、最適な距離の取り方も考えていきたいと思います。
「体育会系」はなぜ嫌われるのか?
重ねて言いますが、当記事で言う「体育会系」とは彼ら特有の価値観、考え方、ノリのことを差します。
彼らの醸し出す自信満々な雰囲気や強気な言動は、なぜ私たちをモヤモヤさせるのでしょうか。
結論から言ってしまえば、体育会系のほとんどの人は「自分たちが当たり前」だと思っているからです。
その上で「理不尽なルールを強要する」
だから、合わない人にはとことん合わない存在です。
彼らだって価値観の多様化した現在の風潮くらい、理解している人もいるでしょう。
価値観は時代とともに変わります。
スポーツだって時代と共にルールは変化していくものです。
にもかかわらず自分たちが正しいという信念は1mmも揺らぎません。
社会とは理不尽なものです。
体育会系的な考え方の人は(心ではどう思っているか知りませんが)理不尽な社会に従順で、価値観を強要してくる。
「今ががんばり時だ!」
「ストレスは人を成長させる! 根性でここを乗り切れ!」
「終わったら飲みに行くぞ!」
彼らにしてみたら私たちを励まし、アドバイスをしているつもりが、何ひとつ響いては来ません。
「飲みに行くぞ!」に至っては追加の拷問のようなものです。
「価値観を強要しないでください」
「いやいや組織のルールはそういうものだから!」
なぜ、私たち内向型が彼らの価値観に合わないのかを説明してもなかなか理解されません。
ましてや、相手が体育会系の上司だったりしたら、口に出すことさえできません。
にもかかわらず…
「もっと腹を割って話そう」
「相手の懐に飛び込まないと信頼は得られないぞ」
などと言われたりもします。
それでも、体育会系的な考え方が主流な企業は今も少なくありません。
なぜ、これほどまで嫌われている考え方が、一部の企業にとっては必要になるのか?
体育会系の良いところも分析してみましょう。
体育会系の良いところ
まず、経営者からしてみれば使いやすい人材と言えるでしょう。
職場にいるOB・OGの存在も大きいでしょう。
上の命令は絶対という価値観を叩き込まれているので指揮系統は乱れにくい。
また、競争の世界にいたから営業や業務の勝負どころを肌で感じることができる=勝負勘を持っている。
メンタルも強く、立ち直りが早い。
叱られても腐らない。
体力もあるから多少の無理は効くし、コミュ力もある。
学生時代はチャラくても就活(外見上は)ではビシッとできる。
体格も良いものが多いし、ユニフォームを着慣れているからか、スーツをバッチリ着こなせる人も多い。
個人競技出身者でも、仲間の輪を重んじることができる人が主流なので、チームで仕事をするのにも向いています。
行動力があって、面倒見も良い人も多いので、多くの人と打ち解けることができます。
災害救助や犯罪捜査など、極度にストレスの高い状態で仕事をする自衛官や消防士、警察官には鋼のメンタルが必要です。
チームの連携など、ひとつのミスが命に関わる可能性もあります。
そうした現場には、体育会系で鍛えた人たちの目的意識やチームワークが有効になるでしょう。
難しいミッションを続けている彼らには頭が下がるばかりです。
一方で営業職などで体育会系的な考え方が上司になると、たちまちブラック企業的な雰囲気になる場合もあります。
多くの内向型の人間にとっては、そういう職場はとても苦手な環境ではないでしょうか。
今度はその苦手な理由を探っていきましょう。
体育会系は30代で終わる?
タレントのマツコ・デラックスさんがテレビ番組内で語った「体育会系出身の社員のリスク」は、ネットで話題になりました。
「30代までなら体育会系は仕事は勢いでできる。でも40代になってくると、人間の本質が問われ始める」
マツコ・デラックス
20代は言われた仕事を一生懸命にこなし、こなす仕事量は誰よりも多い。営業でも挫けることなくアタックする姿勢は光っています。ところが30代になると息切れして失速する社員が出てくる。共通するのは指示された目の前の仕事だけをやり、他のことは何も考えていないというか、創造性やクリエイティビティに欠けるのです。上司に対する忠犬ぶりはすごいが、後輩や周囲を巻き込んで創意工夫しながら仕事をこなす能力が低い。その結果、昇進レースでは部下に先を越されてしまう社員もいます。
引用元:プレジデントオンライン マツコ・デラックス断言「体育会系社員は30代で終わる」説を人事部長に聞いてみた
体育会系が当たり前だと思っていて、それ以外の価値観を理解できない
スポーツを始める人は、小学校低学年くらいからスポーツクラブに所属していたりします。
両親のどちらかが運動部出身者だったりすれば、よりそうした傾向は強いでしょう。
物心つかないうちから、スポーツ打ち込む。
あるいは中学生で運動部に所属し、高校大学と競技に明け暮れる。
スポーツと一緒にマナーも叩き込まれます。
それ自体はすばらしいことですが、日本の少年スポーツ界の指導者の中には問題のある人たちもいます。
もちろんマトモな指導者が大多数でしょうけれども、根性論を振りかざす人も未だ少なくないでしょう。
「気持ちで負けるな!」
体罰など論外ですが、根絶までには至っておりません。
人間関係も部活のメンバーや活発な人同士でコミュニティを形成しやすいでしょう。
これが、当たり前として育つと、そもそも自分が体育会系だと気づかない人もいるくらいです。
内向的な体育会系ももちろんいますが、それでもクラス内で文化系や大人しい人たちとの接点が生まれにくい。
接点や想像力がないと、相手がどんな価値観を持っているのか理解しずらいことになります。
「価値観が合わなくなってきたな…」という方は、こちらの記事もオススメです。
運動部をやっている人にとっては、競争は当たり前のことです。
ライバルと切磋琢磨し、勝つのが楽しいし正しいと思っているでしょう。
中には適当でいいやと思っている運動部員もいるかもしれませんけれど。
チームスポーツであれば、試合に勝つために一丸となって立ち向かうしかない。
これに対してスポーツに打ち込まない人たちの競争に対するスタンスは千差万別です。
テストで良い成績を取る優等生がすべて競争好きだとは限りません。
単純に知るのが楽しいという人もいます。
RPGのレベル上げのように、コツコツ積み重ねること自体が好きな人もいます。
会社という組織に入れば、体育会系もそうでない人も企業の理念(ルール)に基づいて行動しなければなりません。
これを否定することは企業そのものを否定することになるので、そうなったら辞めるしかない。
体育会系の人は上下関係や競技でルールを守ることに慣れているので、理不尽なルールでも受け入れることにそこまでの抵抗はありません。
彼らは「だってルールはルールだから仕方ないだろ」と受け入れます。
私たちは「理不尽なルールは嫌。でも仕方ないから我慢する」そしてストレスを抱えます。
この感情の温度差が、私たちが理解し合えない最大の原因ではないでしょうか。
語気が強い。言葉遣いが乱暴。語彙に乏しい
単純に「○○だよな!」とか、断定的に語気を荒げられたら、内向型やHSPはビックリしてしまいます。
「コレ何とかしとけ!」
「早く片付けろよ」
体育会系では先輩後輩の差は絶対なんでしょうけれども。
上司ならともかくとして、人にものを頼むのに命令口調なのはいかがなものでしょう。
もちろん体育会系だからといって乱暴な言葉を使わない人は多いでしょう。
トップアスリートの中には、非常に丁寧な言葉遣いをされる方も多々います。
哲学者のような発言をツイートするアスリートもいます。
しかし、一般的なレベルでの運動部系の言葉遣いは、よくいえば親しみやすく、悪くとるならば粗野な言動も目立ちます。
「おねしゃす!」
「あざーす!」
お願いや感謝を短縮するのもどうかと思われます。
上下関係や礼儀作法に厳しいんじゃなかったっけ…と思わずにはいられません。
いじりが面白いと思ってる・無神経
もちろん体育会系のすべてがそうであるわけではありません。
ただ、ふだんから勝利のために切磋琢磨している仲間たちは戦友のようなものでしょう。
チームスポーツならば、なおさらです。
合宿などでは同じ釜の飯を食べ、皆でお風呂に入り、大部屋で眠る。
家族以上の関係が生まれるのかもしれません。
だから気安くもなれるし、いじりもできる。
同じ目的のために心を許し合った仲間ですから。
私のような帰宅部で、たった1人で漫画を描いて投稿したり勉強してきた者には計り知れない人間関係があるのでしょう。
帰宅部は極端だとしても、文化系とは人との距離感に圧倒的な差があります。
そんな仲間意識の強い体育会系と、人との距離感が遠い文化系の人間が飲み会で一緒だったとして、
彼らにとっては親愛のしるしで、いじったりからかったつもりでも…
受け手によっては吐き気がするほど嫌な気持ちになる場合だってあります。
たとえば、軽くだけどお腹にパンチされたり、漫才のツッコミみたいに頭を叩かれたら親愛の情ですむ話ではないでしょう。
内向的な人にとっては、テレビのお笑い系バラエティ番組が苦手という方も多いかと思います。
テレビの芸人にはうんざり お笑いバラエティ番組がつまらないと感じる理由
また、こうした馴れ馴れしさはエスカレートしていくと人によってはとても苦痛に思えるものです。
向こうはいじめと認識していなくても、明らかにいじめと呼びうる案件になります。
いじめについて詳しくは、以下の二つの記事にまとめてあります。
学生時代に運動の得意だったタイプは、積極的な性格で人に対する距離感の近い人も多いでしょう。
「もっと気合い入れてがんばれよ!」
相手に良かれと思って言ったことが、嫌な顔をされることもしはしばあります。
年代別・理不尽な部活ルール
私にはそもそも運動部の経験がないので、理不尽な部活ルールに関しては実体験はありません。
そこで運動部経験者の知人や読者さま等に情報提供いただきました。
その上で拙作『時空オカルト研究会』のメンバーによる年代別座談会形式でお届けします。
「昭和の時代はそんなものじゃなかった」
「ウチの部活ではこんなこともあった」
等の体験談等ございましたらお問い合わせページよりご意見をいただければ幸いです。
3年生が引退するまでは部活前後の着替えは部室外の土の上でしなければいけなかった
引用元:読者様よりいただいたメールより
00年代に友人が所属していたダンス部には、体操着の腕まくり裾まくりルールがあったそうです。
部活LINEで言い争いが繰り広げられる
まとめ
言うまでもありませんが、体育会系の社会人すべてを否定するわけではありません。
彼らの中にはキチンと論理的だったり、他者への思いやりにあふれる素晴らしい人も少なくはありません。
それでも、彼らの中にある「自分たちの考え方こそが当たり前」という価値観から来る無神経さは、しばしば私たち内向的な人間を苛立たせるでしょう。
突然ガンダムの話になってしまいましたが、人は自分の興味があるものを中心に話を進めてしまいがちです。
人と人とは悲しいほど分かり合えないものです。
極論するならば、人間関係とはお互いに分かり合えないまま、最適な距離を取りつつ協力していくしかないのではないかとも思います。
だからこそ、たとえ一瞬でも価値観を共有できた経験は尊いものになるのでしょう。