人を育てる教育制度は、社会でもっとも大切な仕事の一つだと思っています。
教育が健全に、効率的に機能していれば、世の中はもっともっと素晴らしいものになるでしょう。
しかしながら教師による生徒への暴言やセクハラ等の不祥事は後を絶ちません。
当記事では、内向的な人の視点から、ダメ教師の特徴について考察していきます。
日本の教育制度は内向的な人に向けて開かれてはいない
残念ながら、学校制度はきわめて多くの問題点を抱えていると言わざるを得ないでしょう。
理想の教育なんて夢物語ではありますが、それにしても課題は多すぎです。
体罰は悪という風潮が広まり、暴力教師が処罰されるなど、以前より少しずつですが状況は改善しているとは思いますが。
文部科学省のデータによれば、平成29年度(2017-18)に懲戒処分等を受けた国公立の学校教師は以下のようになります。
○懲戒処分又は訓告等(以下「懲戒処分等」という。)を受けた教育職員は、5,109人(0.55%)で、 平成28年度(8,038人(0.87%))から2,929人減少。
・わいせつ行為等により懲戒処分等を受けた者は、210人(0.02%)で、平成28年度(226人)から減少。
体罰により懲戒処分等を受けた者は、585人(0.06% 懲戒処分121人、訓告等464人)で、平成28年度、654人(0.07% 懲戒処分162人、訓告等492人)から減少。
引用元: 文部科学省 平成29年度公立学校教職員の人事行政状況調査について
令和元年(19年)9月では神戸市の公立小学校の教師による同僚へのいじめ(というか犯罪ですが)も大きな社会問題となりました。
どんな理由であれ、思春期の少年少女がいじめ等で自ら命を絶ってしまうなど、あってはならないことです。
今この瞬間にも「教師は頼りにならない」と心を閉ざし、現在進行形で苦しんでいる人がいます。
そのような苦しみを持つ児童が一人でも少なくなることを願ってやみません。
また、ブラック校則と呼ばれる理不尽な校則が現在も存在しています。
それについては、こちらの記事もオススメします。
教員の方々の立場や、多忙なスケジュールや教育現場ならではの苦労も、報道で知る程度ですが理解はしているつもりです。
毎年、教員の200人に1人が精神疾患で休業する時代でもあります。
過酷な労働環境の中で奮闘するプロの名にふさわしい立派な先生もいることでしょう。
ただ、残念なことに日本の教育制度は「社交的な性格は良い。正しい」と決めつけている風潮があります。
私を含めて内向的で繊細な人にとって、たとえ評判の良い教育者だろうと、彼らのちょっとした言動に傷ついた経験もあるかと思います。
中には本当に無神経な教師もいて、理不尽な「指導」や、暴言を吐かれたことがトラウマとなったり、卒業後もずっと嫌な気持ちにを引きずっているケースもあるでしょう。
そんな心を解放するには、読書をおすすめします。
自己啓発本も悪くはないですが、人類史とか天文学とか、スケールの大きい専門書もオススメです。
知識を身に付けると、自分の悩みがフッと軽くなるときがあります。
良い読書体験は本当に人を救い導きます。
たぶん最良の教師と同等か、それ以上に。
固有名詞や学校名など、個人を特定できるような情報は伏せさせていただきますが、ここに書かれたダメ教師エピソードは全て実話をもとに構成しております。
良い教師とダメな教師の違いは?
良い教師と言っても、大人から見た「いい先生」と、できる子供から見た「いい先生」と、できない子から見た「いい先生」も違います。
社交的な性格の人から見た「いい先生」が、内向的な人から見たら「苦手な先生」の場合もあります。
教育委員会や組合員から見た「いい先生」も、それぞれ違うでしょうし、一概には言えません。
良い教師と一言で言ったところで、扱う要素が多すぎて分類は難しいかと思います。
一年間クラスを大きな問題もなく運営できれば、基本的には「ふつうの先生」なのでしょう。
それに加え、クラスの行事などで先生も率先して盛り上げ役になってくれたら「まあ良い先生」と言えるかもしれません。
学級の雰囲気が明らかに良好で、子どもたちの成績が一挙に伸びる。
いわゆる「スーパー教師」は教師全体の2~3%だと言われています。
100人に2~3人程度。
一学年3クラスだとしても、ほとんどの生徒が遭遇することができない超レアな個体ですね。
彼らは問題の多い学校に回されることも多いようなので、平均的な学校での遭遇率は数字よりも低そうです。
17〜18%程度の割合で存在するのがいわゆる「良い先生」と呼ばれる人たち。
実感ですと、割合はもっと少ないような気もします。
私が内向的でHSP気質だからでしょうか。
周囲の評判がとても良いと言われている先生でも、私とは極端に合わない場合がありました。
一方、ダメ教師にもいろいろあって、明らかに人間的に問題がある人(暴力、暴言、セクハラ等を行う)はさすがに2~5パーセント程度でしょう。
しかし、人を傷つける言動(からかいを含む)、えこひいきをする等々の無神経な教師は意外と少なくない印象です。
実感としては一学年に1~2名程度はいる感じではないでしょうか。
びっくりするような、とんでもなくダメな教師と遭遇した方もいるかと思います。
公立学校の教師である場合は公務員のため辞めさせることができません。
幸いなことに、私はそこまでの問題教師には遭遇しませんでした。
それでもかなり世の中とズレてしまったような教師がいたことは覚えています。
教師を聖職者扱いする気はありませんが、明らかに生徒の気持ちを踏みにじる教師はダメ教師であると言わざるを得ないでしょう。
次項から具体例を挙げていきます。
ダメ教師の条件 約束を守れない教師
そもそも約束を守れない人間は信用できないでしょう。
ましてや相手は子供です。
たとえ雑談でも、子供の心を踏みにじるようなことはあってはいけないと私は考えています。
知人の小学生時代にこんなことがありました。
クラスの女子から、ちょっとしたことで仲良しグループから無視されることがあったそうです。
困ったので担任に相談してみると、
「誰にも言わないから、あなたを無視した人たちを先生に教えてみて」
といって正直に言ったところ、ホームルームで議題にされたことがあるそうです。
○○さんと○○さんは○○さんを無視しないで、みんな仲良くしましょう
クラス全員の前で実名で問題を公開されたそうです。
そして当事者たちを教壇の前に並べて、次のようなやりとりをさせられたそうです。
○○さんと○○さんは○○さんに謝ってください
ごめんなさい
○○さん。2人は勇気を出して謝罪しました。許してあげてくれますか?
…はい
仲直りした3人にみなさん拍手してください
パチパチパチ…
このような茶番劇で本気で状況を改善できると思ったのでしょうか。
個別に指導するならともかく、何のためなのか、件の教師の意図は分かりません。
被害者である知人は、信頼していた先生の「誰にも言わないから」が、たやすく破られたことの方がショックだったそうです。
その後、当事者たち3人に微妙な空気が生まれましたが、大っぴらに無視されることはなくなったそうなので、担任の目論見は一応成功したと言えるかもしれません。
ただし、相談者の心に小さな傷をつけたことを除いて。
とはいえ、社会人になってみると結構な割合で「約束を守らない」大人っているんですよね。
たとえキチンとした企業でも、最小限の説明で一度決まったルールを反故にする事例はあります。
カンタンに人を裏切る人も少なからず世の中には存在します。残念ながら。
なので、逆説的に言えばこの担任は自身が反面教師として「世の中の嫌な面」を見せたのかもしれません。
生徒の可能性をつぶす教師
これは私が中学生の頃の話なのですが、弁論大会がありまして、クラスでその予選を行ったわけです。
私は「私たちの生活とコマーシャルの影響」というような題材で熱弁をふるいました。
民放テレビが無料で見られる理由、私たちの価値観が意外とテレビコマーシャルによって作られていること…
当時スクールカースト3軍に落っこちたオタクの中二病が、目の玉をひん剥いて熱弁をふるいました。
中学生にしてはいろんな資料(電通やリクルート等のデータ)を調べて、そこそこの内容だったと思います。
また、弁論の様子がキモ面白かったのでしょう。
信じられないくらいに盛大な拍手を受けてアンケートでも1位でしたが、担任の一言で落選しました。
「確かにウケはいいけど、先生は中学生らしい内容の方が良いと思うんだ。どうだろう?」
どうだろう? も何もありません。
決選投票もなしで、次点の「本当のチームの強さとは何か」みたいな、優勝することだけが部活じゃないよみたいな記事が代表に選ばれました。
まあ、好感度の高そうな題材を持っていくのは戦略的にはアリだとは思いますが、こちらには一言のフォローもなしです。
こんなことをいちいち気にしない人もいるのでしょうけれども、当時の私はとてつもなく理不尽さを感じたものです。
まあこういうのも社会ではよくある話なので、思春期の段階からそのような悔しさを味わえたのは良かったかなと思います。
普段は3軍で白い目で見られていた私を見る目と空気が、弁論の途中から一変したのは成功体験と言っていいでしょう。
翌日以降は何事もなかったかのように3軍生活ですが、この一件から学んだことは多かったですね。
年代別ダメ担任あるある「先生はもう怒った! 職員室に帰る!」
当ブログに登場する『時空オカルト研究会』の4人のメンバーが80年代~10年代を象徴するようなキャラクターとして、それぞれの年代の教育事情を語っていきます。
この手の教師による「授業ボイコット」は公立であれば、80年代~00年代にほぼ全国的に行われた現象と言っていいでしょう。
教育的な意図は、おそらく「自発的に生徒に謝罪させることによって授業時間の大切さの自覚を促す」ためと思われますが、効果があるのかは分かりません。
女子児童の一部には「どうしよう…」と泣き出す者もいましたが、おおかたの生徒(主に男子)はかえって盛り上がるか、静観するかのどちらかだった印象です。
これは聞いた話ですが、やり手の優等生は15分くらい経過したところで謝りに行き、程よいリラックスタイムを演出するそうです。
一方で、調子に乗ったクラスですと40分過ぎになっても謝りに行かず、教師が業を煮やして怒鳴り込んでくることもありました。
あるいは職員室から応援の先生(教頭率高し?)が駆けつけて代わりに授業をするケースもありました。
もしくは、「それは君達が悪い。早く〇〇先生に謝って来なさい」とアドバイスをする場合もあります。
間違った知識を教える教師
もちろん、受け持った授業で間違いを教える教師はいないでしょう。
しかし授業とは関係ない雑談などでは教師の思い込みやカン違いから間違った情報を生徒に話してしまう教師も少なくありませんでした。
これは実際に私が小学生の頃、とある教師がホームルームの雑談で言ったことです。
「アイルトン・セナは貧しい境遇から苦労して成り上がったんだ」
もちろんこれは誤りです。
伝説のF1レーサーで「音速の貴公子」の異名を持ったセナの生まれはブラジル・サンパウロ。裕福な家庭に生まれています。
「君たちは先進国の人間で恵まれているから、ハングリー精神では外国人には勝てない」
みたいなことを言っていました。
おそらく、その教師の先入観でブラジル=ハングリー精神という構図があったのかもしれません。
今考えるといろいろツッコミどころが多すぎる言葉ですね。
現在ならばネットで検索すればすぐに分かることですが、当時はそういう時代でもありませんでした。
勉強には直接関係ない部分でもあるので、教師の勘違い(あるいは無知)を咎めるつもりはありません。
ただ、生徒を前に間違った発言はどうかと思います。
人によっては間違った知識のまま大人になる人もいるでしょうし。
まあ現在はネットで簡単に調べられるので、そんなこともないとは思いますけれども。
三島由紀夫「教師を内心バカにすべし」は現代も通用するか?
小説家の三島由紀夫氏がエッセイ『不道徳教育講座』の中で面白いことを書いているので引用します。
教師を内心バカにしないような学生は決してえらくならない。……こう私は断言します。しかしこの「内心」という言葉をよく吟味してください。この一語に千鈞(せんきん)の重みがあるのですから。
角川文庫・三島由紀夫「不道徳教育講座」より引用
この作品が発表されたのは昭和33年(1958年)校内暴力が吹き荒れる以前、ヤンキーという不良を差す言葉もなかった時代です。
現在とは大きく教育事情が違うものの、本質的には今でも十分に通用するのではないでしょうか。
なるほど「内心」というのがポイントなのは確かでして、実際に教師をバカにしたり、侮ったりする行動になりますと、個人の場合では単なる非行として扱われます。
集団でやったら学級崩壊です。
実際に教師の無能をブログに書いてしまっている私などもまあ論外でしょう。
社会に出てみると、学校の先生という人たちがどれほどチョロいか身にしみてわかるようになります。
薄給の教師にあわれみをもつのがよろしい。先生という種族は、諸君の逢う大人の中で、一等手強くない大人なのです。ここをまちがえてはいけない。これから諸君が逢わねばならぬ大人は、最悪の教師の何万倍も手強いのです。
前掲書より引用
当ブログで何度も書いていることですが、学校外に居場所があるのが良いんだと思います。
極端な話、空想の世界でもいいしアニメやゲームだって良いと思います。
学校や家庭や地域社会だけが、居場所というわけでもありません。
詳しくはこちらの記事にまとめました。
居場所がない 学校や職場で孤独を感じている人におすすめの考え方
心のよりどころになって安らげるならば、フィクションの世界や自己の内面に居場所を求めるのもアリだと思います。
マスコミなどで発言してるのは大抵社交的な人たちの価値観ですから、無理に合わせる必要はありません。
自分が心地よく生きられる世界を心の中に作りましょう。
まとめ
学生時代に無神経な教師によって傷ついた心は、意外と人生にこびりついて後々まで痛むこともよくあります。
繊細な人は特にそうです。
鈍感な人たちが言う「社会に出て働いていれば、学生時代の悩みなんてタカが知れている」
そんなこともありません。
ふとした拍子に思い出して悔しい思いを蒸し返すことだって多いものです。
具体的に有効なのはたくさんの良い本を読むこと。
知識を身に付けると、自分の悩みが意外とちっぽけなものだと気づくときがあります。
視野も広がるし、自身も含めた人間の愚かさや仕様がなさも思い知ります。
結局のところ、最悪な出会いは自分の気持ちに整理をつけて昇華していくより他にないんだと思います。
良い読書は達観への道しるべですね。
面白いもので社会に出ると「良い大人」とはたくさん出会えます。
高学歴のエリートも、そうでない自由人も。
この社会には魅力的な大人たちで溢れています。
内向的で人付き合いが苦手な私が言うのも何ですが。
良い大人たちとの出会いは、ちっぽけなダメ教師につけられた傷をいやすキッカケにもなります。
まあ、しょうもない大人も多いですけれども。
まだまだ捨てたものではないですよ、この社会も。