夏祭りに限らず、各地の花火大会や酉の市などのお祭り会場にはほぼ100%、ヤンキーが元気な姿を見せています。
ヤンキーはダサい、マイルドヤンキーでさえ時代遅れなどと言われ、ヤンキー人口は年々減っているにもかかわらず、です。
どうしてヤンキー(マイルドヤンキーも含む)は祭りが好きなのか、大上段から考察してみたいと思います。
ヤンキーが祭り好きな理由~
なぜヤンキーは祭りが好きなのでしょう。
彼らに聞いても答えてはくれません。
「あァ? んなもん楽しいからに決まってるじゃねーか」
「理由なんて、どうでもいいだろ」
理屈を嫌う彼らに代わって、祭り好きな心理を考察したいと思います。
なお、当ブログに登場する『時空オカルト研究会』の4人のメンバーは80年代~10年代を象徴するようなキャラクターとして、それぞれの年代ごとの特徴を語っています。
ヤンキーと祭りの親和性を語る
年代を問わず、一般的にヤンキーと言えば派手好きという印象があります。
中には黒ずくめやスウェット上下のヤンキーもいますが、たとえ地味な格好をしていても髪型やアクセサリーで目立つのがヤンキーです。
そんな彼らとハレの舞台である祭りは相性抜群。
ましてやヤンキーの大多数が地元をこよなく愛する気質を持っています。
土着性とゴテゴテとした様式を好むヤンキー的な感性にとっては、これ以上ないほどしっくりくるイベントです。
かつては親や他人に迷惑をかけた不良グループが、地元の祭りへの参加がキッカケで更生したなどという話は多く聞かれています。
内向的な人の中にはお祭りの賑やかな雰囲気が苦手という人もいます。
しかしヤンキーと呼ばれる人たち(マイルドヤンキー含む)で祭りが嫌いだと言い切る人は、まず皆無なのではないでしょうか。
異論はあるかと思いますが、よく言われる「ヤンキーがモテる理由」について記事にまとめてみました。
ヤンキーとお祭りの相性の良さは少なくとも昭和の時代から続くものですけれども、それ以前はどうでしょう。
不良(荒々しい若者)と祭りの相性の良さは、ずっと以前より続いてきたのだと思われます。
ヤンキー全盛期80年代の夏祭りは無法地帯?
ヤンキーや不良がすたれた19年現在でも、夏祭りにはどこからともなく怖そうな人たちが集まってきて、笑い声や怒号を響かせているのではないでしょうか。
この話は少しだけ脚色してありますが、ほぼ事実のようです。
以降、ここまで露骨に?悪徳商売をしている方は見ないので特殊な案件だとは思います。
この他にも背中に500円とか2000円とか書かれたミドリガメをすくうと現金がもらえるといった「亀すくい」なども記憶しています。
どう考えても法律に触れるような商売のような気がしますが、当時の小学生たちは嬉々として挑戦していたものです。
13年の記事(引用先は外部サイトにリンクしています)が、昨今のカラーひよこ事情で参考になりましたので引用させていただきました。
昔は縁日で頻繁にうられていた色付きのひよこ「カラーひよこ」ですが、昨今の動物愛護問題もあり、販売されなくなりました。
これらひよこは一昔前まで単純にスプレーなどで色をつけて販売されており、その製造工程によるストレスなどで短命に終わることが多かったと言う。
しかし最近のカラーひよこはそんなストレスもなく製造されているようです。
引用元:秒刊SUNDAYよりカラーひよこの製造方法が過酷すぎて泣けてくる
提灯と露天商の電灯に照らされた、夏祭りの夜のむせ返るような人いきれの中で繰り広げられる人間模様。
時代は変わっても、見てはいけないものを見てしまったかのような気持ちにさせられるのは私だけではないはずです。
あくまでも外から見た印象に過ぎないので、当事者であればまた別の感慨を抱くのかもしれませんけれども。
現在の規範意識からすれば、認められないような考え方ではありますが、80年代の祭りの空気感を知るひとつの証言として残しておこうと思います。
祭りと天変地異とヤンキーと縄文人の共通点!
たとえば一般的な神輿や山車人形、ねぶた・ねぷた祭等の巨大な山車などを見るにつれ、ハレの舞台にふさわしい姿と共に、どこかヤンキー的なニュアンスを感じるのは私だけでしょうか。
過剰な華やかさと勇壮な中に、どこか祭りの後の哀愁とさみしさも連想させるような感慨は、調和の美とは違う何かを感じさせるような気がします。
ひょっとしたら祭り=ヤンキーという先入観が、そのような見方をさせてしまうのかもしれません。
日本には様々な奇祭があり、グロテスクなものや性的なものも含めて、数多くのへんてこな祭りが繰り広げられています。
祭りを楽しむ分にはどうでもいい話ではありますが、歴史のある伝統的な祭りのようであっても、案外ルーツは戦後だったり意外と夏祭りの歴史は浅かったりします。
01年に始まったスーパーよさこい祭りなどは新しい祭りの典型例ですね。
今では失われてしまった祭りも多々あるでしょう。
本稿で取り上げる祭り=五穀豊穣などを祈願して、集団でエネルギーを発散するイベントと考えています。
また、イベントとしての祭り以外にも、地震や噴火などの天変地異がキッカケで突発的に起こる踊狂現象(大衆乱舞現象とも)が知られています。
有名なところでは江戸時代末期に350万人とも言われる数の人間が踊り狂って伊勢神宮に参拝したという「ええじゃないか騒動」がよく知られています。
当時の日本の人口は約2000万人と言われていますから大変な数です。
それ以前でも、大災害の時などは踊狂現象が起きていて、平安時代に起きた南海トラフ沿いの巨大地震「永長地震」後にも、そのような騒動があったと言われています。
同じ日本人でありながら、規律を重んじる生真面目な人たちと、羽目を外すヤンキー気質の人たちにクッキリと分けられるのは興味深く思います。
ひょっとしたら、縄文人たちの築き上げた大らかなコミュニティ文化と、大和朝廷律令制以降のカッチリと法に整備された二つの世界観がさほど交わることもなく現代まで併存していることの影響でしょうか。
漫画家の乱暴な空想ですが、日本文化の土台にはゴテゴテ装飾趣味(縄文系)とシンプル機能性趣味(弥生系)の二つの大きな柱から成り立っているように思えます。
このテーマは興味深いので、いずれ掘り下げて記事にする予定です。
式典で暴れるヤンキーはなぜ場違いなのか
祭りと同じようにハレの舞台ではありますが、成人式や卒業式などの儀礼や式典は調和の取れた厳粛さを持ち合わせています。
言ってみれば秩序が支配する空間です。
唯一の例外は消防の出初式(でぞめしき)あたりでしょうか。
厳かな式典にはヤンキー的な荒々しいニュアンスは似つかわしくありません。
たとえば、成人式の会場で騒いでいる派手な格好をしたヤンキーにはどうしたって場違い感があるのではないでしょうか。
一方で、日本各地で行われる祭りで、威勢のいいヤンキー兄さんが神輿を担いだり山車に乗ったりする場合は、それほど違和感がなく見られるのは私だけではないと思います。
もっとも最近は祭りから反社会的な要素を取り除こうという動きもありますが、それはまた別の話です。
マイルドヤンキーと呼ばれる人たちも、基本的には暴れることはないでしょう。
渋谷ハロウィンとヤンキー
近年10月末になると、テレビなどでは渋谷のハロウィンで暴れる若者たちがテレビなどで報道されています。
彼らの中には、当然ヤンキーと呼ばれるような存在も多く含まれているのでしょう。
中には「渋ハロ」目当てに地方から上京してくるマイルドヤンキーもいるでしょう。
ヤンキー自体の数は減少傾向ではありますが、ここ10年でのハロウィンの盛り上がりは驚嘆するものがあります。
ハロウィンの由来と、日本に根付いた経緯は以下の記事にまとめました。
日本の伝統的なお祭りではありませんが、ハロウィンもまたヤンキーに好まれるイベントであることには言うまでもないでしょう。
祭りの掛け声とヤンキーの気合いの親和力
お祭りに掛け声はつきものです。
ワッショイの由来は諸説ありますが、
「和を背負う」「和と一緒」「和上同慶」
などの説があります。
いずれも関連するキーワードは「和」です。
「和を以て貴しとなす」でおなじみで、今なお日本人の心に深く根差しているのが「和」という観念ではないでしょうか。
まとめ
ヤンキーに限らず、地元への帰属意識の高い人たちは地域の祭りに積極的に参加します。
そこで得られる一体感や仲間意識は、古くから日本の共同体を形づくってきたはずです。
ヤンキー的な価値観に土着性と保守性も関連しているという意見がありますが、まさにそれを裏付けるものでしょう。
こうしてみると、ヤンキーが単なる不良文化に収まらず、民俗学的な広がりを持っているように感じるのは私だけでしょうか。