「好きなことを仕事にする」
SNS等で最近よく目にする言葉で、理想的な生き方のようなニュアンスで語られる場合も多いのではないでしょうか。
実際のところはどうでしょう。
実体験を交えて、その難しさと可能性を述べていきます。
私見ですが、「好きなことを仕事にする」ことを「無条件に礼賛する」ような昨今の風潮については、少し違和感を覚えます。
収入面でのリスクが軽視されがちな点がひとつ。
誰もがなろうと思って楽に達成できない難易度の高さもあります。
そこで高額な情報商材やセミナー等に頼ったり、ノウハウ・コレクターになってしまいがちな点もあります。
一方「生活のためにはツライ仕事もやむを得ない」「理不尽な仕事に耐えてこそ社会人だ」という考え方は、ブラック企業などの温床にもなり得るし、本人の心身にも悪影響を与えるのは確かです。
何が言いたいかといえば…
「好きなことを仕事にできるとは限らないけど、できることや得意なことを活かせたらそれなりに稼げるし楽しく生きる方法はある」
…という事です。
確かにネット時代は機会に満ちています。
だからといって、不用意に「好きなことを仕事にする」ことはオススメできるものではありません。
反面教師という点も含めて、参考になる部分もあるのではと思い、記事を書きました。
好きなことを続けてプロになったとしても、好きな仕事が得られるとは限らない
私は好きなことを仕事にしました。
一応、プロの漫画家という事になっておりますが、キャリア的には非常に中途半端であり、堂々と漫画家を名乗るには程遠い状態です。
アニメ化はおろか単行本も出せていませんし。
売れている作家さんから見たら、鼻で笑われるようなキャリアです。
しかし曲がりなりにも原稿料をいただき、締切を守り続けて「またお願いします」と言われることもあります。
それは依頼に対する責任を果たしているということなので、僭越ながら漫画家を名乗らせていただいている次第です。
私は大手出版社のマンガ新人賞を何度か受賞しましたが、休刊等もあって残念ながら本紙で連載を勝ち取るまでには至りませんでした。
その後、紆余曲折あってWEBメディアや広告代理店、新聞社等で漫画を描く仕事を続けてきました。
おそらくマンガ業界で最年長記録に近いような年齢での雑誌連載デビューも果たしています。
言うまでもなくマンガを描くのは好きです。
世の中には生活のためにガマンして好きでもない仕事、行きたくもない職場で働いている人の方が多いので、私は幸運な部類なのでしょう。
なので、これから述べることはとてもゼイタクな不満であることは承知しています。
検索からこの記事にたどり着いた人のために、「中途半端に夢を叶えた者の率直な感想」として書いています。
不快に思われる箇所もあるかも知れませんが、ご了承ください。
好きなことを仕事にするメリット
まず、好きなことを仕事にした私なりに感じたメリットをいくつか紹介します。
主にクリエイター系の個人事業主を想定しました。
業種によっては、作業内容や"業界"の常識もまるで異なるのであくまでも参考程度にとどめて置かれることが賢明かと。
好きなことを仕事にしたメリットとして真っ先に思いついたのが以下の感想です。
何といっても自分自身の人間性に忠実になるというか、良くも悪くも"自分らしく"生きられることではないでしょうか。
"好き"の度合いが高ければ高いほど、情熱を傾けられ、こだわりや充実感が得られる点はメリットと言えるでしょう。
それに好きなことだったら自然と勉強もするし、情報感度は高くなりがちです。
努力が全く苦にならないという点もメリットかも知れません。
努力したからと言って勝てるとは限らないのがツラい点ではありますが。
個人的には人間関係を自分の価値観に基づいて選択できる点もメリットと考えられます。
私の場合、まず集団行動が苦手です。
特に親しくない人たちとグループで談笑するのが吐き気がするほど嫌いです。
賑わっている場所に行くのも、かなり無理をしないとすぐ気持ち悪くなってしまう。
社会人としてはもちろん、人間としてもダメな部分ではありますが。
何度か治そうと努力しましたが、良くも悪くも人付き合いを軽く流せたり出来ない性分です。
付き合いたくないなと思った人といっさい付き合う必要がない点は、私のような人間にとっては良い点だと思われます。
もっとも、嫌だなと思う人からの方が学ぶ何かと機会は多いのも確かではありますが。
人間関係がギスギスした会社などに勤めてしまえば、合わない人間と顔と話を合わせないといけない場面ばかりでしょう。
人によってはかなり神経が磨り減るし、人間不信や厭世的になってしまうことも多い。
その点、現在は基本的に好きな人としか付き合わないので、人間関係が心地いいです。
打ち合わせもメールやSkypeなどで行うので、内向的な自分にとっては、人と会う精神的な負担はあまり感じません。
ここだけの話ですが、ペン入れや仕上げ等の作業時には好きな音楽を聴いたり、アニメを見ながら作業できるのもポイントです。
職種によっては難しいかも知れませんが、一日の行動の主導権が自分にあるのが最大のメリットでしょう。
その分、仕事のペース配分や段取り等、自己管理が求められるのですが。
好きなことを仕事にした際のデメリット
言うまでもなく収入の問題があります。
仕事がなければ無収入というのは、すさまじい不安定な境遇です。
よほどの能天気か鈍感か命知らずでなければ耐えられない状態ではないでしょうか。
在宅ワークやアルバイト等、いくつか複数の収入源を確保しておくというのは精神の安定を保つためにも重要な考え方です。
好きな分野にもよりますが、ライバルたちは自分以上にその分野が"好き"な人たちでひしめいています。
嫌々やっている人が少ない分野という事は、同業者が超手ごわいという事です。
何度となく自分よりもはるかにすごい人たちの仕事に打ちのめされ、歯を食いしばってできることを探す日々です。
現在はネットを通じて情報発信できるので「好きなことを仕事にする」スタートラインは本当に容易くなっています。
資金調達などもクラウドファンディングなどを通じてこれまでよりも容易にはなっています。
しかしスタート地点のハードルが下がっただけで、ビジネスの難易度はむしろ上がっています。
もちろんゴールをどこに設定するのかにもよりますが…。
中途半端に"好き"では、結果が出ないと途中で嫌になったり、飽きてしまうこともあるでしょう。
ひょっとしたら、"好きなふり"をしているだけだった…なんて現実にぶち当たることもあり得ることです。
自分だけならまだしも、家族の厳しい意見や世間の冷たい視線に心がバキバキに折られることだってよくあります。
想像以上に風当たりは強いものです。
「好きなことは絶対仕事にしなきゃいけない!」というような、ある種の強迫観念めいた価値観が独り歩きしている現状があります。
「好きなことを仕事にする」という言葉がひとり歩きする理由
考えてみてください。
「好きなことを仕事にする」という言葉。
とても耳障りの良い言葉です。
多くの人が"そうなりたい"と望んでいる…という事は、そこに需要があると考えるしたたかな商売人たちもいるわけです。
ちょっと意地悪なものの見方かも知れませんけれども。
「好きなことを仕事にしたい人たち」は格好のお客様となります。
セミナーや自己啓発本、教材などは玉石混交。
本当に良いものもあれば詐欺レベルのものもあります。
すばらしいメンター(指導者・助言者)もいれば、そうでない人もいるでしょう。
さまざまなカタチの需要×供給が、この耳障りの良い言葉の周辺に渦巻いています。
だから今後もますますこの言葉は流行っていくと思われます。
「好きなことを仕事にする」その考え方自体は少しも悪いことではないと思います。
しかし実際にはいたるところに甘い罠が仕掛けられています。
言葉は良くないですが、カモにされても気づかないふりをして自己投資と言い続けることもできる。
皮肉なもので、良い教材を参考にしても行動しなければ意味はないし、ダメな教材でも行動していれば結果に結びつく場合もある。
色んなものに惑わされずに行動した分しか実績は積み上がらないものです。
私ごときが、このようなことを述べるのも上から目線っぽくて心苦しいのですが…。
好きなことと、得意なこと、できることは微妙に違う
好きなことがある。それだけで人は楽しく生きられるものです。
ヒップホップグループ「RHYMESTER」の宇多丸氏は、『ライムスター宇多丸のお悩み相談室』で次のように語っていました。
「本当に好きなもの」が確立している人は、それだけでもう人生の大部分が救われているようなもの
本当にその通りだと思います。
この好きなことで「救われた」という観点は非常に大切なものです。
ただ、「好きなこと」×「ビジネス」で必ずしも「幸せ」につながるとは限りません。
本人がいくら夢中で打ち込めることだとしても、需要がなければビジネスとしては成立しないからです。
需要を作り出せればチャンスはありますが、そんな機会はそうそう得られないのが実情です。
特にクリエイター界隈ですと、ヒット作を出すことの難しさは筆舌に尽くしがたい次元です。
作家も編集者も、誰もが勝ちを目指して、しのぎを削っている業界です。
参考までに、マンガ業界のレジェンド中のレジェンド鳥嶋和彦氏の意見を紹介しておきましょう。
鳥嶋和彦氏といえば、鳥山明氏や桂正和氏らを見出した伝説の編集者と言われています。
『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』等の大ヒットマンガ作品から、テレビゲーム黎明期~発展期に『ドラゴンクエスト』『クロノトリガー』の企画を立ち上げた実績はあまりにも知られています。
作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。
引用元: 電ファミニコゲーマー【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった!
このインタビューによると、『Dr.スランプ』連載前の鳥山氏が"描きたいもの"は、アメコミ風のヒーローマンガだったそうです。
結局鳥嶋氏によって"ボツ"になり、ヒーローとは程遠い博士と、メガネ姿のアラレちゃんで大ヒットとなりました。
ヒット作をモノにした人気マンガ家さんの次回作が、デビュー前から温めていた"描きたいもの"だったりする場合もあります。
これがけっこう打ち切りになってしまうパターンがあります。
具体的な作品名は申し上げませんが、マンガ好きな方なら思い当たる作品名も多々あるのではないかと思います。
しかし、もちろん例外もあります。
鈴木 央氏のデビュー作はファンタジーマンガでしたが、初連載のゴルフマンガ『ライジングインパクト』では、一部の登場人物の名前や団体名に中世の騎士物語「アーサー王伝説」の登場人物の名がつけられています。
扉絵等もファンタジー風のイラストが描かれることもあり「作者はファンタジーが描きたいんだろうなあ」と勝手に思ったものでした。
その後、いくつかの連載を経て描かれたファンタジーバトルマンガ『七つの大罪』は、彼のキャリアで最大のヒット作となりました。
岩明 均氏は『寄生獣』のヒット後に描かれた『ヒストリエ』も、デビュー前から温めていたアレクサンダー大王の時代を描いた歴史漫画の傑作として知られています。
両者は単純に"描きたいもの"を描いただけではなく、連載を通じて得たスキルや読者をつかむ"描けるもの"に昇華したと言ってもいいでしょう。
結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。
引用元: 鳥嶋和彦氏 前掲インタビューより
彼の言う作家とはあくまでもマンガ家の才能に関する発言ですが、この「描きたいもの」という言葉は、マンガに限らず「やりたいこと」に通じるのではないかと思います。
曲解かも知れませんが、好きなことややってみたいことの多くは、多くの場合、先人の達成した結果への憧れということもあるかも知れません。
たとえば、スティーブ・ジョブズ氏や、日本人だと堀江貴文氏などでしょうか。
アップル製品のようなクールでスタイリッシュな製品を作りたい!
堀江氏のように既成概念を打ち破ったビジネスがしたい!
では具体的に何ができるか?
些細なことでも、できることを積み上げて行動すると、思わぬところから視界が開けたりするものです。
できることを得意なことまで上達させて、それを好きになるという考え方(たぶんもっとも可能性の高い成功法則)
自分ができることが、好きなこととは限りません。
私の場合は、画力は大したことがないですが「情報を分かりやすくマンガにする」ということができました。
これを磨き上げたら、広告マンガやニュース漫画等のご依頼をいただけるようになり、いつしか自分でも「こういうのは得意かな」と思えるようになりました。
ありがたいことに贔屓にしてしていただり、他社に仕事を紹介してくださった依頼者様もいらっしゃいました。
本当はあの巨匠のように、練りに練ったストーリーテリングやカット割りで読者を魅了したいものですが…。
「得意かも」と思ったものに対しては、さほど興味がなくても好きになります。
マンガに限った話でもありません。
世の中には思いもよらないことが全く苦手な人もいるので、何であれできることは強みになります。
気配りができる人は、物事の段取りやマネジメントなどに応用できたりします。
できることを続けていると、ふとした時にコツをつかんで得意なことに変わります。
得意なことは、似たような事例に応用できたりするので、ますますその人の強みになるでしょう。
そうなると得意なことは好きなことになります。
この循環は、好きなことを仕事にしていく上でとても大切なものだと個人的には実感しています。
まとめ
「好きなことを仕事にする」ということについて、自身の経験と照らし合わせながら、掘り下げてみました。
好きなことよりも、できることを優先する。
そうすると得意なことになり、できることが好きになるという循環が生まれる。
無理をせずにマイペースに手を広げていくと、けっこう良い感じに収まるのではないでしょうか。
そうして重なった好きなことやモノが、仕事や人脈の呼び水になることもあります。
とにもかくにも、ネットによって私たちの選択肢は無限に広がりました。
目指すゴールや、それに伴うハードルの高さも自身で選択できる時代になりつつあります。
そんな中で、「本当に好きなもの」の見つけ方や「人生の救い」の意味に関しては、改めて記事にしたいと思っております。