いま、このページを開いた方は常に世間体を気にしている人でしょうか?
たまに思い出したように気になるタイプでしょうか?
それとも普段から世間体なんて気にしない人でしょうか?
人間は誰しも「世間から見た印象・社会的な評価」が気になる生き物です。
これは、群れの生物であるヒトの習性ともいえるので仕方のないことです。
特に日本人は世間体を気にするタイプが多いと言われています。
人と違った行動や生き方をするのには勇気がいります。
見ず知らずの人や、知人、友人から向けられる冷たい視線。
あるいは、世間体を理由に恋人にフラれてしまった人、破談になってしまった方もいるかもしれません。
逆に世間体を気にして親しい人との別れを選択した方もいるかもしれません。
共通するのは、ほとんどの人は世間体に嫌々従っているという事ではないでしょうか。
世間から外れた人を嬉々として叩く人は多いとしても…。
世間体を気にする人でも、嬉々として従っている人はまずいないはずです。
…でも犯罪の抑止力になっていたり、否定はできない側面もあるのも確かです。
「周りを気にせず生きていこう!」
J-POPの歌詞でもドラマでもよく耳にする言葉です。
が、孤立する覚悟が伴わないと空疎な言葉に聞こえます。
出る杭は打たれるのが世間の常です。
わが道を行くのは強靭な精神力か、余程鈍感な人でないと厳しいものです。
常識や他人の価値観にがんじがらめにされて生きるのがツラい。
自分の生き方が完全否定されているようで生きづらい。
社会的な偏見や先入観で傷ついている人の心を、いくらかでも和らげることができたらと思います。
世間体とは何か?
世間体は「せけんてい」と読み、「たい」とは読みません。
体裁の「てい」と同じく体と書いて「てい」と読むわけです。
世間に対する体裁で、世間体。
この「世間」という言葉が曲者です。
元々は仏教用語で「移り変わる迷いの世界」という意味でした。
そこから転じて、自分の周りにいる人々の集まりを言うようになり、
いつの間にか社会全般を指すようにもなりました。
その範囲がどこまでなのかは人によって様々ではないでしょうか。
日本人がアフリカのマサイ族に「世間」を感じることはありません。
遠すぎますからね。
一方、家族を「世間」という人もいないでしょう。
近すぎる関係も「世間」とは言い難い。
ところが親せきとなると、途端に「世間」感が出てくる。
家族や親せきを取り巻く関係性は、まさに「世間体」以外の何物でもありません。
遠すぎず、近すぎない人間関係。
ママ友や、周囲5キロくらいの生活圏が「世間」の人は多いでしょう。
人によっては職場の人間関係を「世間」と捉える人もいるかもしれません。
ただ売り上げ目標や成果が明確な職場では「世間」は感じにくいのではないでしょうか。
変わり者だろうと目標の達成に役立つならば立派な戦力ですから。
逆に明確な目標がない、あってもゆるい「アットホームな職場」では、急に「世間」感が出てくる。
以上をふまえて、私なりに「世間」を定義してみると…
どちらかといえば、「公」ではなく「私」的なつながりの人間関係。
何となく顔の思い浮かぶ人々だけれど、話をする間柄でもない。
家族よりは少し遠い親戚と、その周辺での噂話が身に刺さる関係性。
もしくは今自分がいる場所(例・電車内)の視界に入っている群衆全般。
このあたりの微妙な距離感が「世間」ではなないかと。
世間体の基準は「他者との比較」
世間体は誰かとの比較によって成り立っています。
「世間」に実体なんてありません。
ありもしない存在に、多くの人が振り回されています。
あちらこちらと比較して、「みんなが同じようにしていること」と足並みをそろえることが世間体の基本です。
世間体は男女によっても違います。
成人男性であれば平日の昼間に(スーツでも作業着でもない私服で)1人ブラブラ歩いていると、何となく冷たい視線を受けるでしょう。
都会の繁華街では特に気になりませんが、住宅街などでは「あの人は仕事何しているのだろう」という視線をもらいます。
地方では特に。
女性であれば、結婚の有無や子育て等、あれやこれや様々な世間体にさらされます。
気になってしまう人は、非常に苦しい思いをされているのではと思います。
人に迷惑をかけているわけではないのに、責められているように感じてしまう。
多様性が言われている世の中で、なんと理不尽なことでしょう。。
昭和の時代の同調圧力はもっと凄かったと思われます。
が、時代は変われど日本の共同体は「ちょっと異質な何か」に対して厳しいです。
「和を以て貴しとなす」は、「和」の中に入らないものには容赦がないのです。
「わ」は「調和」の「和」でもあり、「輪っか」の「わ」でもあります。
言い換えれば大ざっぱに価値観を共有する輪の中=世間。
その時々で流行は移り変わります。
しかし日本人の本質的な価値観は、おいそれとはと変わらない。
多様性の尊重などという「きれいごと」に惑わされてはいけません。
自分の心を、世間の偏見を受け流せるように鍛えていく方が、苦痛をずっと減らせるはずです。
マイホームと世間体「持ち家信仰」がすたれない理由
ネット時代になって、「持ち家か賃貸どちらがお得か?」などの議論も目にする機会が増えました。
堀江貴文氏のように「持ち家はいらない」と公言するオピニオンリーダーも数多く存在します。
「持ち家信仰」は時代錯誤という意見がある一方で、現在進行形でローンを組んでマイホームを建てる若者は後を絶ちません。
地方のマイルドヤンキーのみならず、大手企業に勤めるエリートサラリーマンにも見られる消費行動です。
学歴や興味、時代の流れを越えて、マイホームの誘惑はなぜ人々を魅了するのでしょう。
日本人には住宅についてのある強迫観念が存在していると考えている。それは、「一人前になったら家を買わなければならない」というものだ。仕事を持ち、結婚して、子どももできた一人前の職業人が、いつまでも賃貸住宅に住んでいると、世間から「どうして?」と思われる。
引用元:NEWSポストセブン なぜ日本人は賃貸自由主義より35年ローン地獄を選ぶのか
これは日本人の「自分の土地」に関する思い入れがとても強いことも影響しています。
農耕を始めた頃から、土地を巡る争いは頻発していました。
自分の耕してきた土地と収穫物は、自分で守る必要がありました。
中世日本の在地領主による「一所懸命の土地」という言葉は、命がけでその土地を守る覚悟が示されています。
農民たちも、野盗などから農作物を守るために武装したのが武士の成り立ち(複数あるうちのひとつ)です。
近代以降も、土地をめぐる法律の制定には時の政府は頭を悩ませてきたことでしょう。
以上のことから、基本的に土地への執着は根深く私たちの中に息づいているのではないかと思います。
それがマイホーム神話となったのはいつでしょう。
第二次世界大戦の敗戦と、戦後の混乱、高度経済成長…
1950年代末くらいから工業化された住宅が生産されるようになり、マイホームは商品として住宅市場が展開されてきました。
それとほぼ同時期に消費者向けの住宅ローンが発展し、一生で一度のお買い物として消費行動に組み込まれました。
当時は団塊の世代、今よりも人々の好みは均一化しており、メディアを総動員した広告戦略は見事に的中。
マイホーム神話が生まれました。
「一人前になったら家を買わなければならない」という強迫観念に苦しんでいる方がいたら、単なる消費行動に過ぎないと思ってみてください。
日本人の心に刻み付けられている考え方ではありますが、そんなものに固執する必要はありません。
結婚と世間体
世間体に対する考え方はその人の性格や立場で様々です。
ではありますが、結婚すると世間からは何となく信用を得たような感覚を得るのはふしぎなことです。
「いい年して独身は世間体が悪い」
差別的とも受け取られかねない考え方ですが、大人=結婚=普通…みたいな空気が、この社会に未だ根強くあるのは事実です。
普段は「世間体なんて気にしない」と公言している人でも、結婚が決まったとたん、急に世間体を気にしだす人もいるでしょう。
結婚相手については当人たちの人生のみならず、相手の家族なども関わってくる問題です。
慎重になるのは当然でしょう。
場合によっては、相手の嫌な一面を見たり、悔しい思いにさらされる可能性もあります。
万が一「世間体」が理由で破談になったとして、自分そのものが否定されたわけではないのです。
その人(たち)にはその人の価値観があり、自分とは違った。
それだけのことです。
結婚前に分かったので、お互いによかったと言えるかもしれません。
世間体を気にすることで得られるメリットとデメリット
逆説的になりますが、一番のメリットは「世間体を気にしなくてよくなる」ことでしょう。
世間体で優位に立ち、ステージの人たちと同じ立つことは、大きな優越感になるでしょう。
このグループにいるだけで特権的な感情を抱くことができますから。
普通よりも上にいる優越感があれば、必要以上に「世間体」に気を取られなくて済みます。
そして結果的に安定した生活が送れる確率が高まるのではないでしょうか。
世間体だけで生きているような人(特に高齢者に多い)がいます。
彼らは世間体にこだわったからこそ、平穏無事に生きられるという安心感があります。
デメリットは、世間ばかりに気を取られて、自分が何がしたいのか分からなくなってしまう点です。
「あの時、好きなようにしておけばよかった」
年を取って人生を振り返ると、後悔することも多いでしょう。
しかし、やりたいことを我慢して歩んできた結果なので仕方がないことです。
もうひとつのデメリットとして…
世間の価値観に合わせて行動していると、不測の事態での行動が裏目に出やすい点も挙げられます。
たとえば順風満帆に世の中と折り合いをつけてきても、配偶者や子供もそうなるとは限りません。
子供が非行に走った時や、ご自身がリストラに遭ってしまった時など、予期しないトラブルが発生した時、
世間体を取り繕おうとした行動が全て裏目に出て、さらにみじめな思いをする可能性もあります。
嫌なことを忘れる方法として、こちらの記事にまとめました。
https://satomi-manga.com/take-someones-mind-off/
気休めかも知れませんが、参考になれば幸いです。
世間体の悪さを気にする前に「誰が言ったのか」を理解して距離を置く
要は実体のないものに怯えるくらいなら、「世間体が悪い」と非難している人を特定し、距離を置いた方が気が楽になります。
「世間」とは言うまでもなくその他大勢です。
顔の見えない人々の総意=常識であり普通であるから苦しいこともあるでしょう。
たとえ偏見に過ぎないモノの考え方でも、「世間」という後ろ盾があると、正論のように聞こえてしまいます。
「そんな仕事は世間体が悪い」
「その人と付き合うのは世間体が悪い」
言ってる人は親戚のおばさんか、会社の同僚か、それとも古い付き合いの友人か、近所の人か。
具体的に特定できなくても、「世間」の重しを取っ払うことで、ただの意見になります。
自分にとっての役に立つアドバイスになり得るかは、「みんなの意見」というフィルターを外してみることで冷静に対処できます。
ヒソヒソ話なども同様で、気になるようならその場を離れる方がいいでしょう。
職場などで席を外せない場合は、他のことを考えて気を紛らわすのが良いかと。
https://satomi-manga.com/mounting-person/
世間の目が苦しいなら遠い町に逃げるのもあり
どうにもならない理由があって、世間的に厳しい目にさらされているのならば、逃げることも有効な選択肢のひとつです。
誰も知らない街へ移り住み、人間関係をリセットする。
家族がいては難しいかもしれませんが、不可能ではありません。
https://satomi-manga.com/leave-the-group-for-society/
悪評は影のようについて回るかもしれませんが、所詮は人のうわさに過ぎません。
場合によっては海外でも良いでしょう。
環境が変われば人生を好転させる機会を得られるかもしれません。
行った先ですぐに問題が解決することもないし、戸惑うことも多いでしょう。
それでも、行動したことには変わりがありません。
得てして行動した先に幸福のキッカケがあったりするので、環境を変えてみるのもいいかもしれません。
少なくとも、その場で耐え忍ぶよりは道が開ける可能性は高いでしょう。
まとめ
世間体についてザックリとまとめてみました。
みんなで何となく共有している「普通」や「世間体」
気にし出すとキリがなく、世間体に振り回されてしまう。
必要以上に気にする必要はないと言っても、あまりにも世間体を無視すると、結構な確率で孤立や挫折が待っています。
実体がないものに、私たちはなぜここまで心を乱されなければならないのでしょうか。
ただ一つ言えることは、世間体を理由に人から非難されたことを真に受ける必要はないという事です。
そんなものは無責任な正義感を振りかざしているだけに過ぎません。
もし、世間体に苦しめられている際は、それが何の根拠もない幻であることを認識すべきでしょう。
その上で、自分に合った生き方を選択すれば良いのではないでしょうか。
「薔薇はなぜという理由もなく咲いている。
薔薇はただ咲くべくして咲いている。
薔薇は自分自身を気にしない。
人が見ているかどうかも問題にしない」
アンゲルス・シレジウス 17世紀ドイツの神秘主義者