80年~90年代前半にかけて(主に地方の不良たちに)圧倒的な影響を及ぼしていたのはロックバンドBOØWYではなかったでしょうか。
歌謡曲を「仮想敵」としながらも、 歌謡界ないしJ-popの中心に躍り出て、 一大ムーブメントを形成した経緯を考察します。
主に都市部の先鋭的な若者文化であったロック音楽が、時代と共に形を変えていきながら、 地方のヤンキーカルチャー、ファッションに与えた影響力も併せて語ります。
ヤンキー的ミュージシャンの系譜
ヤンキー的ミュージシャンの系譜ということを眺めた時、先ずキャロルの登場による『目覚め』があり、その市場的可能性を、プロデューサー的に分析し具体化させたのが横浜銀蠅で、本能的に本質を受け継いだのがBOØWYである。そして音楽性そのものにはそれほどのこだわりもない、というのがここまでの考えである
ヤンキー文化論序説 五十嵐太郎著 河出書房新社 「ヤンキー音楽の系譜 私のヤンキー観 近田春夫」より引用
日本における音楽評論において、近田春夫氏の存在は避けては通れないのではないでしょうか。
氷室京介などを見ていると、むしろ無意識のうちに矢沢永吉の持つ色気やカリスマ、そして≪商売っ気≫を吸収してしまった感があるのだ。そのことを一番強く思うのが、日本語を英語風に発音する歌唱法である。
(前掲書)
BOØWYがJポップにもたらした影響力
90年代J-POP全盛期に活躍したビート系バンド(ビーイング系、一部V系も含む)のお手本になったバンドの代表は、BOØWYでしょう。
「誰にも似ない」「何処にも属さない」というバンドコンセプトを掲げ、貫きました。
BOØWY以前 BOØWY以後という言葉があるほど、それまでの歌謡界とは違う音楽スタイル、プロモーション活動で彼らは成功しました。
- ライブ活動を中心に、ほぼ口コミだけで人気が広まっていった。
- タイアップ曲、ヒットシングルがない状態でもアルバムを大ヒットさせた。
- 人気の全盛期に解散した。
今回の記事では、BOØWYの音楽的な影響力よりも、不良文化に与えた影響に焦点を当てていますが、音楽面も少しだけ掘り下げます。
80年代末~90年代前半にかけて、BOØWYはある種の「特別感」を醸し出していました。
150万枚という数字が、解散後の10年間での影響力の蓄積を物語っていると思います。
もちろん、このベストアルバム発売時のCM等はあったにせよ、本人たちによるプロモーションはなかったわけです。
なぜBOØWYは「伝説のバンド」になったのか?
誤解をおそれずに言わせていただくと、BOØWYの凄さは楽曲のパワー、メロディのキャッチ―さ、分かりやすさもさることながら…
「芸能界、アイドル文化とは一線を画した売り方のスタイルでセールスを記録」し、「その価値観が地方まで届いた」
これに尽きると思っています。
そして「BOØWY的な価値観」の影響をもっとも受けた層は、解散後にBOØWYを知った90年代初頭のリスナー(メインはヤンキー層)ではないでしょうか。
BOØWYと不良文化
もちろん、BOØWYというバンドが、ヤンキー御用達だったなどと言うつもりはありません。
乱暴な分類になりますが、どちらかといえば前世代のキャロル等の方が、不良文化と密接にかかわっていた傾向は強いでしょう。
不良文化とロック音楽はヒップホップが台頭するまでは密接に関連し合っていました。
ハードコア・パンク系ならば遠藤ミチロウ氏によるザ・スターリンを始め、アナーキー、G.I.S.M.(ギズム)などが知られ、過激なパフォーマンスが物議をかもしました。
しかし、こちらは不良文化というよりも反社会的な傾向もあるアングラ文化に該当するでしょう。
もちろん遠藤ミチロウ氏や町田町蔵氏のファンにも不良はいたと思いますが、ヤンキーというよりも文化系不良の資質が強いような気がします。
これに対し、BOØWYは絶対にアンダーグラウンドではなく、一貫してメジャー志向でした。
だからこそ極端に少ないメディア露出にもかかわらず、日本全国にファンを持つに至ったのではないでしょうか。
BOØWYはアンダーグラウンドではなかったから、みんな(ヤンキーも含む)に届いた
BOØWYの初期のアルバム『MORAL』は社会的なメッセージ性の強い歌詞が多いですが、『SCHOOL OUT』などの視点は実にヤンキー的です。
もっとも、初期はパンク、ニューウェーブ色が強かったBOØWYです。
初期では『NO,NY』『IMAGE DOWN』辺りを除いては、過激な歌詞も含め、決して万人に向けて聴きやすい音楽とは言えなかったのではないでしょうか。
しかしアルバムを追うごとに歌詞の荒っぽさは影を潜めて、楽曲も洗練されていきました。
『DREAMIN' 』『わがままジュリエット』『ONLY YOU』など耳に残るキャッチ―な楽曲とともに、ライブの動員数が増えていきました。
極論かも知れませんが、ミスチルが台頭するまでの期間(93年くらいまで)ヤンキー文化におけるBOØWYの特別感は揺るがなかった印象はあります。
それぞれがソロ活動に移行したり、布袋氏が吉川晃司氏と組んだ『COMPLEX』も、BOØWY伝説と共に語られることが多い印象でした。
本人たちにとってはBOØWY伝説をいつまでも引き合いに出されるのは不本意だったのかもしれませんが。
「BOØWY=筋が通った硬派なバンド」
そんなイメージで90年代初頭での中学~高校などで、主にヤンキー系の男女が、彼らを強く支持していた印象があります。
言うまでもなく地域や所属しているコミュニティで、全く違う意見もあると思います。
XやブルーハーツもB'zも、一般層に(ヤンキー層含む)とてつもない影響力を誇っていました。
90年代に渋谷系の流れを作るフリッパーズ・ギターやサブカル系に支持された筋肉少女帯もセールス以上に特定の人たちの心に刺さる強い影響力を持ちました。
しかし、こと地方都市でのヤンキー文化圏に限った場合、93年くらいまでの期間はBOØWYの時代が続いてたように思います。
さらに詳しく
90年代カルチャーについてはこちらの記事をどうぞ
解散後にやってきた地方都市でのBOØWY現象
BOØWYが解散したのは87年12月25日です。
解散発表をNHKが速報で伝えたり、翌年4月のラストライブのチケット電話窓口のあった文京区の電話回線がパンクしたりと、大きな話題となりました。
ブレイク中の全盛期に解散したことから長らく「伝説のロックバンド」の代表という地位にありました。
何をもって「伝説のバンド」とするかは、世代によってまちまちです。
セールス上のランキングにしても「ロックは売り上げじゃねぇ!」と異論が当然出ます。
その後、89年「イカ天」※等のテレビ番組のヒットにより起きたバンドブームで、ビートパンク系の類似バンドが現れてくる中でも、BOØWYの存在感は揺るぎませんでした。
音楽的にもパフォーマンス的にも後のJロックやV(ヴィジュアル)系に多大な影響を与えました。
独特のマイクの持ち方や、アンプに足を掛けるスタイルはとくに有名です。
ヤンキーファッションにおけるBOØWYの影響
BOØWYのファッション、氷室京介をはじめとするメンバーの考え方や行動は不良少年、少女たちにも強烈な影響を与えたと思っています。
あくまでも人口10万人~30万人の地方都市や郊外でのケースです。
大都市での不良に及ぼしたBOØWYとファッションの相関関係は正直なところ分かりません。
※スクウェア・エニックスのゲームデザイナー『FFⅦ』『キングダムハーツ』などのキャラクターデザインを手掛ける。
実際、厳密なルーツをどこに求めるのか難しいところはあると思いますが、少なくともキッカケのひとつであったことは間違いないでしょう。
BOOWYのファッションはそれまでのロックンローラー=革ジャン(ライダースジャケットにリーゼント)や、メタル系、パンク系とも一線を画したものでした。
それまでのツッパリファッション、革ジャンのイメージから黒を基調としたシックな不良のスタイルが流行した原因の一つにBOOWYの影響があるのではないでしょうか。
BOØWYがもたらしたもの「テレビに出る」=「カッコ悪い」という風潮
Xは『天才たけしの元気が出るテレビ』に出演したのは有名な話です。
80年代は『ザ・ベストテン』をはじめとする歌番組の全盛期でした。
余談ではありますが、この「殿さまキングス物まね事件」は、どうもリハーサルで打ち合わせた(メンバーが物まねをする)内容を、布袋氏が本番で拒否したために起きたやりとりのようです。
現在の価値観であれば、段取りを無視したバンド側の対応に非難が集まるところですが、当時のファンの間では古舘氏が悪者に捉えられてしまいました。
この一件についての関係者の証言は残っていませんし、これが直接のキッカケとは考えられないことですが。
それ以降ほとんどBOØWYがテレビ出演をしなくなったことは事実です。
そしてファンたちの間では、「媚びないアーティスト」としての評価がさらに集まった一件ではないでしょうか?
もっとも、BOØWYに限らず、バンドがテレビ出演する際は機材のセッティング等で大変な労力がかかります。
当時はドラムセットも自前のものが使えないような収録現場もあったと言いますので、基本的にバンドのテレビ出演はハードルが高めではあります。
90年代になっても『ミュージックステーション』等、歌番組はありましたが、『HEYHEYHEY』や『うたばん』など、トークを主体とした
音楽バラエティ番組に変わっていった時代でした。
アーティストは新曲が出るとプロモーション活動で積極的にテレビに出るタイプと、テレビ出演をしないタイプに分かれました。
これが可能になったのは、MV(ミュージックビデオ)で本人がテレビで歌わなくても楽曲のイメージをファンに伝えられることが大きかったでしょう。
テレビドラマのタイアップ、カラオケボックスの定着、CM曲全盛期にあって、CDが売れに売れた時代です。
アーティスト側が強気になれる音楽市場の空気もありました。
「消費される音楽とは対極のイメージ」「伝説」「本格派」(あくまでイメージですが)を印象づける戦略としてテレビに出ない売り方が成立したのだと思います。
私見ではありますが、こうした考え方でプロモーションが許された背景にはBOØWYの成功があったことも少なからず影響しているのではないでしょうか。
元BOØWYメンバーが31年ぶり“再集結”布袋氏の新アルバムで新曲を発表。再結成の可能性は?
19年に発売する布袋氏の新アルバム「GUITARHYTHM 6」(5月29日発売)に収録。6日に先行配信されました。
懐かしい仲間と交わす音のラリーは言葉以上に心に響いた。無言ながらも聞こえてくるそれぞれの思い。31年ぶりのセッションで僕のギタースタイルの原点はこのリズム隊にあることを再確認した
布袋氏のコメントより引用
まとめ
いかがでしたか。
BOØWYの影響力を不良文化の視点も交えてまとめてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。