「ドラゴンボールハラスメント」とは18年にWeb制作会社のLIG(リグ)の当時26歳のアシスタントエディターが書いたブログ記事が発端でした。
先輩に「コンテンツ制作に携わる人間として、ドラゴンボールを読んだことがないなんてありえない!」と言われ、実際に読んでみた結果、自分が楽しめなかった理由を考えた記事を書いたところ炎上騒動となりました。
【新着記事】
『ドラゴンボール』を読んだことのない僕が、先輩に反論するために全巻読了した結果https://t.co/oTkCdbD1Wcアシスタントエディターの八が、先輩に反論するため、26歳にして初めて『ドラゴンボール』を読み、当時ヒットした理由やゆとり世代の自分がハマらなかった理由を考えました。 pic.twitter.com/1Ql4dUUnJs
— 株式会社LIG 公式アカウント (@LIG_J) October 14, 2018
「批判を前提で書かれたあら探し」
「コンテンツ制作会社の人間が、企業ブログで国民的マンガのファンを傷つける内容を書くのはおかしい」
「ドラゴンボールハラスメントをやった上司が悪い」等々…
ネット上では様々な意見が乱れ飛びました。
この背景には言うまでもなく世代間の認識の差があります。
そもそもハラスメントとは何か?
ハラスメントという言葉は毎日のように耳にします。
しかしその定義については人によって様々でしょう。
ハラスメント(Harassment)とはいろいろな場面での『嫌がらせ、いじめ』を言います。その種類は様々ですが、他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えることを指します。
引用元:大阪医科大学 ハラスメント防止委員会 ハラスメントとは?
言うまでもなくセクハラ、パワハラ、マタハラ等…個人の尊厳を踏みにじるようなハラスメントは決して許されるものではありません。
ただ、当記事で取り上げる「ドラゴンボールハラスメント」のような娯楽作品の世代間の認識のギャップをハラスメントとして取り上げる行為は、ややもすると息苦しい世の中をつくる原因にもなりかねません。
どのように感じるかは人によって様々です。
私にとっての善が、誰かにとっての悪ともなりかねません。
たかがエンタメ作品と言っても、思い入れは人それぞれなので慎重に論を進めていきます。
なぜドラゴンボールがハラスメントに使われたのか?
ドラゴンボールに限らず、世代間では「何を面白いと感じるか」ポイントも価値観も違うので評価が違うのは当然でしょう。
昔のコンテンツを押し付けられるのはキツイ等の意見も理解できます。
このような事例はドラゴンボールに限らず、ガンダムやエヴァンゲリオン等でも起こり得るでしょう。
ドラゴンボールは84年から94年までの10年間週刊少年ジャンプで連載されたジャンプ黄金期を代表する大ヒット漫画です。
鳥山明氏の圧倒的な画力もさることながら、卓越した画面構成力と読みやすさに加えて、とぼけたユーモアも魅力です。
それゆえに当時は極端にアンチがいないことでも知られていました。
そんなドラゴンボールを当時リアルタイムで読んでいた読者は現在30代~40代でしょう。
彼らにとっては十代の頃の感受性MAXの時期が、ドラゴンボール連載時と重なったわけです。
多くの人が、毎週ジャンプの発売日を心待ちにしていました。
コンビニによっては、発売日の朝にはジャンプが売り切れるという事態も当たり前でした。
この時代のジャンプで人気投票1位をキープし続けていたドラゴンボールにはある種の別格感がありました。
それに加え、連載終了後も人気が衰えずに世界的なコンテンツとなっていった過程も、彼らの世代の共通認識としてあります。
自分たちの世代のコンテンツが、世界的にも認められていく経緯を知っている分、よけいに思い入れがあるのかもしれません。
特に制作者ともなればIP(知的財産)の重要性をもっとも体現した化け物コンテンツの一つでもあるために、神格化してしまうのも無理もないことです。
アンチが極端に少なく、連載終了後も世界的なIPとして成長を続けていたことが、ドラゴンボールハラスメントの根拠と言っても良いのかもしれません。
一方、若い世代はそのような過程を全く共有していません。
あくまでも昔の作品として見てしまいます。
緻密な世界観を構築していたり、ラストまで明確に構成された現在の人気マンガと比べたら、素朴な印象を受けるのは否めないでしょうから。
またネットの普及により、ドラゴンボール信者といってもいいくらいの熱狂的な読者の声も、若い世代を辟易(へきえき)させる原因でもありましょう。
別作品のキャラ同士を比べての最強談義にうんざりしている人もいるでしょう。
ドラゴンボールの魅力をどれほど熱く語られても、年長者の思い出語りにしか感じないかもしれません。
おそらくドラゴンボール世代に、『あしたのジョー』全巻を無理やり読ませたら若い人と同じように感じるかもしれません。
もちろんどちらも名作ですので、人によっては普通に楽しめる方もいるのでしょうけれども。
ドラゴンボールの設定のいい加減さはギャグマンガ枠だったから?
連載開始の80年代は、何でもありのメチャクチャな世界観の作品が多く見られました。
そんな作風の中心にいた鳥山氏はギャグマンガ『Dr.スランプ』を大ヒットさせた後に『ドラゴンボール』の連載を開始しました。
当初はギャグマンガ枠だったというのは明確な証拠があります。
週刊少年ジャンプ連載のストーリー漫画は初回や巻頭カラーを除くと主に20p~22pです。
『北斗の拳』も『NARUTO』も『鬼滅の刃』も20pが基本です。
これに対してギャグ漫画は14~16pという枠がありました。
ドラゴンボールのページ数が少ないのはギャグマンガ枠だったという旨の発言は作者の鳥山氏もしています。
それにしてもドラゴンボールがマンガ界に与えた影響ははかり知れません。
もしも鳥山明氏がマンガ家になっていなかったら、現在の少年マンガの主流の「絵」はかなり別のものになっていたであろうことは断言できます。
情報革命によって昔の作品をありがたがる風潮が変わった
これは何もマンガに限った話ではないでしょう。
かつて宮崎駿監督は「『七人の侍』を面白がれないような奴はこの世界(アニメ業界?)に入ってくるな」と言っています。
現在の感覚で言えばこれは「黒澤ハラスメント」と言えるでしょう。
もちろん『七人の侍』は掛け値なしの名作ではありますが、ハリウッド映画『アヴェンジャーズ』シリーズの派手さに慣れた人が観たら迫力に厳しいものがあるでしょう。
しかし仲間を集めて、それぞれに見せ場を与えて敵と戦うというスタイルは間違いなく『七人の侍』の影響下にあると言えるでしょう。
昔ながらのコンテンツ制作者の中には職人気質だったり、先駆者を大変リスペクトする考えの人が多かったりするものです。
現代の若いクリエイターたちとの認識のズレはそこにあるかも知れません。
インターネットによる情報革命で、「知識を持っている人がマウントを取れる」時代は終わりました。
検索すれば何でも情報が手に入るのが当たり前の時代です。
若い制作者は限られた古典的な作品から学ばなくても、WEB上やSNS上の膨大なコンテンツからアイデアを得ることが可能です。
制作現場から「昔の作品をありがたがる」風潮が変わったことを示す象徴的な出来事のように思えます。
少し次元の違うワンピースハラスメント
ドラゴンボールに対して、ワンピースハラスメントと呼ばれるような事例も存在します。
しかし、こちらはちょっと次元の違う話ではないでしょうか。
決してマンガ「ONE PIECE」をけなす意図はありませんのでご了承ください。
ワンピースのファンは熱量が高い人が多いと言われています。
作品の内容に踏み込む以前に、
「面白いだろ!」
「感動したよな!」という共感の強要してくることがあります。
「ワンピース」の話は飲み屋ではタブー? 面白くないと口にすると「テメェは人間の心が無ぇ!」とファン激怒
お笑い芸人のオードリー若林正恭氏は次のように番組で語っています。
「ワンピースって読んでないと『血が通ってない人間』みたいな言われ方しません?」
「仲間に入って『俺たちやるぞ!』って言わなかったら、めっちゃ排除されるんだろうなってすっごい怖いんですよね」引用元:「セブンルール」フジテレビ系列・若林正恭氏の発言より
特にマイルドヤンキーと呼ばれるようなタイプは、こういう言い方をする傾向があるでしょう。
私は以前マイルドじゃないヤンキー系の人たちと仕事をする機会がありました。
その打ち上げの席でワンピース話になったのですが、私が
「世界情勢編と歴史の本文(ポーネグリフ)を解き明かすところは抜群に面白いんだけど…」
みたいな話をしたら、キレられたことがあります。
「もっと他に感動するとこあるだろ!」
キレられたと言っても、冗談半分ではあったのですが、少し面喰いましたね。
私は決してアンチではないのですが、同じ読者でも感情の温度差を感じてしまった一件でした。
ドラゴンボールハラスメントの記事より、それを読んだ人の反応の方が興味深い。自分の好きな物を面白くないと言った人が気に入らず、記事を書いた人をけなす人と、「へー、そういう人もいるのか、気をつけよう」と思う人…。何を面白いと思うかも、それについての感想も、ほんと人それぞれだなぁと。
— ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) October 16, 2018
逆に「ワンピース読むのやめた自慢」というモノも存在しています。
もちろん単純に合わなかったという場合もあるでしょう。
その一方で、あたかもワンピースを「マイルドヤンキーご用達」などと決めつけたり、
「仲間!」を連呼する展開を「うざい」「ついていけないと」とSNS上で呟いてみたり…。
中にはワンピース読むのやめた自分=イケてる!
みたいな優越感が透けて見える場合もあるでしょう。
お酒の席などでは「政治」と「野球」「宗教」の話はするべきではないと言われていますが、確かに一部の読者にとってワンピースは宗教かも知れません。
巨大IPの宿命とも言えますが、読者層が大きくなりすぎると極端な読者も出てきます。
ネットの普及で個人が情報発信することも容易くなりました。
様々な意見が見えてしまうことで、極端な考え方も人目に付きやすい時代になったのだなと思います。
なぜ「鋼の錬金術」や「進撃の巨人」はハラスメントに使われないのか
『鋼の錬金術』は01年~10年まで連載された漫画です。累計発行部数は実写映画が公開された18年で7000万部を超えています。
『進撃の巨人』は09年~現在も連載中。累計発行部数は1億部を突破しました。
両作品とも社会現象と呼べるほど大ヒットを記録しましたが、なぜかハガレンハラスメントや進撃ハラスメントはあまり見覚えがありません。
ためしにグーグルやツイッターで検索してみましたが、コレというものにはたどり着けませんでした。
連載開始当時に中学生だったとして、ハガレン世代も30歳を越えています。
進撃の巨人の連載もすでに10年を越えているので、そんな声が聞かれてもよさそうなものですが…。
もちろん個人レベルでは「進撃読んでないの?」「ハガレン名作なのに読んでないんだ」等を言われた人はいるでしょうけれど。
ちなみに私の友人は「NARUTO」や「BLEACH」の絵柄が苦手だったことでハラスメントを受けたそうです。
「ああいう絵が分からない奴はダサい」と、言われたそうです。
時代が変わっても個人の趣味を否定する人はいます。
おそらく「ハガレンの良さが分からない奴は~」などと言う人もいるのでしょう。
月刊誌よりも、より一般的である週刊少年ジャンプの作品の方が、ハラスメントに使われやすい気はします。
何年かしたらヒロアカハラスメントや鬼滅ハラスメントなどと呼ばれたりするのでしょうか。
そうはならないのではないかと思います。
なぜなら、現在どれほど『鬼滅の刃』が社会現象レベルで盛り上がっていたとしても、関心のない層には全く届いていないからです。
「アニメ見ないから」
「マンガ読まないから」
で、終わってしまうでしょう。
メディアの影響力も昔ほど圧倒的ではなくなりました。
過去作品だろうが現在の作品だろうが、個人が好きなものを好きなように楽しめる時代です。
個人的な意見ではありますが、「ドラゴンボールハラスメント」「ワンピースハラスメント」に続くコンテンツハラスメントはないような気がします。
80年代後半〜00年代前半にかけてのメディア全盛期とコンテンツによる同調圧力が最も強かった時代の産物ではないかとも思います。
ただ、個別の表現に対し「ハラスメント」だと名指しされ、問題視されるケースは今後増えてくるだろうとは危惧しています。
個人的には「表現の自由」を振りかざすのことに対して違和感は感じるところですが、物書きにとっては今後ますます息苦しい世の中になっていくのでしょう。
それを承知の上で、読まれるものを書けるようにと切に願うばかりです。
まとめ
「ドラゴンボールハラスメント」は2年も昔に話題になった事例です。
にもかかわらず今回記事にしたのは、ある意味で20年代以降のコンテンツの消費のあり方、作り手のあり方を象徴していると思ったからです。
要するに「クリエイターだったらこの作品は押さえとけ!」という価値観がすたれたということです。
各ジャンルごとの「文脈」や「お約束」は、作品から直に学ばなくても、動画サイトやSNSでの空気から察することはできる。
そういう時代になったのかもしれません。
もちろん、だからといって研究や評論などでは地道に資料を読み込むことが何より大切だという事は1mmも変わってはいません。
先駆者たちの編み出してきた表現に敬意を表するのも、作り手にはとても大切な心意気です。
たとえ一瞬で消費されゆくコンテンツだとしても、傲慢な気持ちで生み出された作品はそう人の心を打つものでもありませんから。
過去の作品に学ぶか学ばないかも含め、それぞれが表現を追求していく時代なのかなと思います。
何だか益体もない記事になってしまいました。