家族はもちろん学校や職場、ママ友、その他もろもろの人間関係の中で、なにげなく使われている「普通」や「常識」といった言葉。
一見、マイルドな言葉のように聞こえますが、言われて傷ついたことのある人は多いのではないでしょうか?
それはなぜでしょう?
「常識」は、人間社会や関係性を円満にするための「共通認識」ではあるのですが、明確な基準はありません。
人は生まれた場所や、育った環境でまったく異なる「普通」や「常識」を身に付けて社会に出ていきます。
人と違って当たり前のはずなのに、「常識的」という単語を持ち出されて、集団の中で浮いた部分を指摘する。
似たような意味の「普通」とその基準についてはこちらの記事をご覧ください。
「常識的に考えて」と言われたら良い気持ちはしない
何気なく使われている「常識的に考えて」という発言があります。
「一般的なマナーとして考えて」
みたいな言葉とセットになって使われることが多いですね。
口癖のように言ってくる人に心当たりはないでしょうか?
普段よく使っている当人たちにとっては気にも留めない言葉かもしれませんが、
たとえ本心から心配してくれて、ミスを指摘されたとしても、言われた本人は良い気持ちがする言葉ではありません。
上司や先輩に「常識的に考えて」言われた時に気をつけるたった一つのこと
改めて考えてみるとふしぎな日本語です。
「常識的に考えろ」この「的」が曲者なのです。
これに対する考え方は簡単です。
「常識的に考えて=これを言ってきた人の価値観に従え」という意味で捉えて大丈夫です。
「常識」とは学校や会社など共同体の「明文化されたルール」や、モラルやマナーのような「暗黙の了解」に属する場合もあります。
様々な解釈があるのですが、要は言ってきた人の意を汲めればいいだけです。
目上の人が、言ってきた「常識的に考えて~お前はだからダメなんだよ」
この手の対処法は、相手の望みを注意深く探る必要があるでしょう。
同じ組織内に所属する人(上司や先輩)に言われた場合なら、
「○○するということで問題ありませんか?」
やんわりと確認を取ることも(相手の性格等にもよりますが)アリだと思います。
「そんなことも聞かなきゃわかんねーのかよ!」
等、言われるかもしれませんが、やっかいな相手ですので、気に留めないのが良いでしょう。
誰かに対して「常識で考えて」を多用する人は要注意
面と向かって、誰かに対し、平気でこのような言葉を使ってくる人は「その程度の人」ではないかと思います。
自分の考えが100%正しい=単なる私見に過ぎないことを、会社や組織、社会といった大きなものに仮託して押し付けてくる。
言葉は悪いですが、そういう言動って「虎の威を借る狐」でしょう。
要するに「嫌な奴」です。
嫌な奴を見極める方法についてはこちらの記事で掘り下げてみました。
もちろんこちら側の聞き方にも非があり、相手を苛立たせてしまった側面もあるかも知れません。
それでも、常識だから、当たり前、議論の余地はない…
これではただの思考停止です。
会社の上司だった場合、仕事上の関係は円滑に進める必要がありますが、適度に距離を置くのが賢明かと思います。
友人だったとしたら、あなたの本心や悩みを打ち明けるべき人ではないでしょう。
※この稿は、あくまでも人に対して面と向かって言う「常識で考えて」の多用についてです。
文章などで見る「常識で考えて」の多用には当たりませんのでご注意ください。
例・「常識で考えてゼルダの伝説シリーズって日本が誇るテレビゲームの金字塔だよな?」
こんな感じで使われる「常考」は、まったく威圧感がないと思いますけど
「常識的に考えて」親に言われた時に気をつけること
心底からの愛情からの発言…なら素晴らしい。
そう思いますが、現実はそれほど単純ではありません。
「常識」「普通」を語るときの親の感情は複雑です。
世間体、子供への期待、心配、親としての劣等感、親としての尊厳…
その人なりの人生観と、その場の感情がごっちゃになって、とっさに出てきた言葉です。
愛情がゆえに、子供に対して「良かれ」と思った発言が、すべて裏目に出てしまう。
そんなケースは本当に多いのです。
さらに悲しいことに、当事者同士の「善意が裏目に出てしまった」ことに、お互いが気付かないまま、生涯を終えてしまうこともあるのです。
「居場所がない」と感じている人には、こちらの記事も参考にしてみてはいかがでしょう。
最後に常識についての偉人の名言を紹介して、この記事を締めくくりましょう。
アインシュタインの言葉
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう