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東京と地方の文化格差を年代別で考察してみた サブカル編

東京出身者と地方出身者にはどうしても文化的な格差があります。

特にポップカルチャーの分野では情報の発信地が東京に集中しているためにその傾向は強いでしょう。

 

決して地方文化を低く見ているものではありません。

都市部に生まれた人でも、まったく文化的なものに興味を示さずに成人する男女もいるわけですし。

ただ、どうしても密度が違います。

 

もちろん地方にもすばらしい美術館や文化施設はたくさんあります。

近代化以前の日本は各藩ごとに独自の文化や風習が形成されていましたし、明治以降もその地方独自の文化は伝統という形で残りました。

しかし昭和30年代以降の高度経済成長とテレビの普及。それに伴うメディア主導の消費社会は、東京と地方の文化格差を生じさせました。

作り手側は東京を起点に文化を発信し、地方の受け手が消費する。

地方出身者がテレビ局や大手広告代理店などに就職するには、少なくとも大都市の有名大学に進学する必要があります。

 

大勢の作り手を志す者が上京して、チャンスをつかんだ者だけが情報を発信できる。

そういう循環はネットの普及によって変わりつつあります。

80年代から20年代まで、主にポピュラー音楽、サブカルチャーの分野で年代別に文化格差を考察します。

東京と地方の文化格差

日本のポップカルチャーはほぼ東京の一極集中といっても決して過言ではありません。

なぜなら文化を発信するテレビ・ラジオ局や広告代理店、出版社や大手レコード会社にいたるまで、東京に本社を置いています。

なので必然的に、地方のクリエイター志望者たちは上京することになります。

彼らの出身地にもよりますが、東京との(物理的な)距離感は、作家やミュージシャンにとってさまざまなカタチで影響を与えます。

日帰りで帰ってこれる関東地方出身のアーティストと、北海道や九州出身者ではどうしても意気込みが違ってくるのではないでしょうか。

それは結構作風にも表れている印象です。

また、大阪などの大都市部と政令指定都市、人口数十万人規模の地方都市、人口数万人の市町村、離島などでも娯楽や文化施設などの差は明白ではないでしょうか。

 

特にネットの普及以前は、文化格差は計り知れないものがありました。

ちょっと言い方は悪いですが、大多数の地方出身&在住者は「メジャーの上澄み=ヒットチャート1位~50位くらいまでの」J-POPなどの音楽を主に聴いて育ちます。

うっかりすると、テレビに出ている人たちが歌手やミュージシャンの全てだと思ってしまうような時代が長く続きました。

八十島 小夜子
80年代はそうだったわ。雑誌や深夜ラジオが都会と地方をつなぐ糸だった
九重 直行
90年代の深夜の音楽番組あたりから、地上波でもインディーズの人たちの名前を聞くようになったな
零乃瀬 知里
00年代の後半には、どんなマイナーなミュージシャンにもファンのコミュニティがあったけどね
八十島 小夜子
情報が少ない分、都会やマスコミに対する憧れが過剰だったわ
九重 直行
90年代J-POP全盛期では、都会の奴はタワレコでマニアックな洋楽を聴いているという変な思い込みがあったな
零乃瀬 知里
実際には都会の子だって普通にJ-POPとか聴いてるし。皆がオサレなわけじゃないし
十念 絵馬
SNS普及以前と以後で、地方民と都会民のリアルな文化的な背景が可視化されました
弐重 ねん
いまはYouTubeやアマゾンプライム等で知らない歌がいっぱい聴けます

本当の意味で都会と地方の文化格差がなくなることは不可能だとは思いますが、ネットによって文化的な格差は限りなく小さくなりつつあるのは確かではないでしょうか。

ミュージシャンに限らず、夢を追う若者が東京に出てくるという物語は20年現在では未だすたれることはないでしょうけれども。

それでも時代と共に地方と東京を取り巻く文化格差は変化していっています。

年代別に考察していきましょう。

80~90年代・「東京で成功する」という物語と「地方はダサい」という価値観

80年代と言えば、空前のバブル景気に浮かれていたというイメージがあります。

実際に浮かれていたのは大都市圏と、大量のスポンサーがついたマスコミやメディアだったのではないでしょうか。

地方都市がそこまで華やかだったかといえば、疑問が残ります。

鉄道や高速道路などのインフラの整備は、都市部と地方との物理的な距離は縮めはしましたが、文化的な格差はそこまで縮めなかったようです。

なぜなら、インフラの整備により地方在住者が容易に都会に出てこられるようになったからです。

当時の地方都市の様子を写真などで見る限りでは、それ以前の高度経済成長期の方が活気があった印象です。

郊外に通勤圏が広がり、ドーナツ化現象などとも言われましたが、文化的には逆に中心部に娯楽・文化設備が集中していったのではないでしょうか。

 

ただし銀行は積極的に地方都市の企業にも融資をしていたようで、個人経営の青果店やパン屋などが2号店を出していたり…

まだ個人商店や町のレコード店などは健在でしたが、店の規模や品ぞろえなどはささやかなものでした。

もちろん個性的な店主の趣味によってマニアックな品ぞろえのお店もあったとは思いますが、あくまでも例外でしょう。

これらのお店は現在シャッター街の一部となってしまいました。

地域にもよりますが、地方にショッピングモールが立ち並ぶのが90年代以降です。

 

当時リアルタイムで地方都市で暮らしていた年長者の何名かに話を聞いてみると、地元ではなく東京でブイブイ言わせてた武勇伝ばかり語っていたことが印象に残りました。

八十島 小夜子
それは地方都市の話で、本当に田舎だと何もないんだけどね…
十念 絵馬
そんな中で、雑誌や深夜ラジオが都会との接点だったと
八十島 小夜子
80年代のマンガは音楽ネタのパロディも多かったり
九重 直行
ジョジョのキャラやスタンドの元ネタで洋楽を聴き始めたり

一方、80年代文化の特徴として、けっこう田舎や地方をバカにしたような風潮(自虐的な表現も含めて)がありました。

当時のテレビドラマやアニメなどを見る限りでは、地方をカッコよく描くという視点はほぼなかったような印象です。

地方を美化するとしても、大林宣彦監督の尾道三部作で見られるような「美しい風景」として描かれていました。

歌手やミュージシャンの楽曲にしても、地方や故郷の純朴さなどが強調して描かれる作品が多い印象です。

零乃瀬 知里
その一方でシティポップなんかはとても洗練されていたんじゃない
十念 絵馬
10年代にシティポップは海外で再評価されました

80年代シティポップの歴史的変遷 なぜ海外で再評価されたのか

このような文化的な背景の中で、地方の少年少女にとっては東京はいっそう輝いて見えたことでしょう。

洗練された都会で、情報の発信者になりたい。

そういう少年少女たちが地元のライブハウスなどに足を運びだすと、大体どこの街にもけっこう凄い人たちや個性的なミュージシャンがいて驚くことになります。

そんな中で腕に覚えのある野心的な人たちが、メジャーデビューを夢見て上京することになります。

九重 直行
でも地方だと実際多かったのがヤンキー崩れのバンドマンでBOØWYのコピーバンドとか

BOØWYの影響力 80年代~90年代 地方のヤンキー文化に与えた影響

零乃瀬 知里
ブルーハーツのコピーバンドとかも多かったんじゃない
八十島 小夜子
地方だと、どうしても情報が限られてるからね
九重 直行
そうした中でも沖縄と福岡はちょっと違ったんじゃないかな

ミュージシャン大国・福岡と東京発のメディアの関係

この流れとは別に、音楽シーンでは福岡や沖縄や大阪など地域によっては独自の音楽文化が育まれてきました。

その土地土地で伝説として語り継がれるバンドやミュージシャンも少なくありません。

特に福岡県は全国的にも影響力の強いアーティストを多数輩出しています。

70年代は天神のライブ喫茶「照和」からチューリップ甲斐バンド井上陽水武田鉄矢長淵剛などが現れています。

80年代はめんたいロックと呼ばれたロックバンドの数々が登場しました。

代表的なバンドとして、サンハウス鮎川誠THE MODS(ザ・モッズ)THE ROOSTERS(ザ・ル―スターズ)などが知られています。

八十島 小夜子
松田聖子チェッカーズも福岡出身だよ

 

90年代になっても福岡県出身のアーティストは続々と登場しています。

スピッツ草野マサムネ浜崎あゆみ椎名林檎氷川きよし等…

九重 直行
NUMBER GIRL(ナンバーガール)も忘れてはいかん

ジャンルを問わず、J-POP黄金期・CDバブル時代に登場し、相当な影響力を誇った第一人者ばかりが並びます。

00年代ではYUI中島美嘉(出身は鹿児島ですが)

10年代以降も、家入レオ藤原さくら等、バンドではポルカドットスティングレイ等も活躍しています。

 

掘り下げると福岡出身のミュージシャンだけで何本も記事が書けてしまいそうです。

しかし、彼らの名前を全国区にしたのは東京のレコード会社なりテレビ局なり雑誌社ではないでしょうか。

 

時代を超えて、これほどまでの才能が出た福岡でさえも東京というフィルターを通さないとメジャーにはなれないという…。

まさに文化格差を象徴するような福岡の環境ではないでしょうか。

最近は音楽フェスなどの隆盛もあり、地方を拠点にしながらも全国でライブ活動し、物販などで収益を上げるミュージシャンは増えてきましたけれども。

同人イベントの地域格差

世界最大規模の同人誌即売会コミックマーケットから、小さな町で行われるファン同士のコンベンションまで、同人イベントは多種多様な形態で行われています。

あらかじめ申し上げておかないといけませんが、私自身はそれほど熱心に同人活動をしてきた経験はありません。

過去に夏コミ2回サークル参加、コミティア1回の他は、交流のある作家さんに頼まれてイラストを寄稿した程度の活動歴です。

あとは友人の付き合いで地域の創作オンリーイベントや、三国志オンリーイベントに参加したくらいでしょうか。

ガッツリとイベントを楽しんでいる方に比べたら貧弱な体験なのはご了承ください。

弐重 ねん
同人イベントって地方でも開催しているものなのですか?
九重 直行
開催する人がいれば、どんな田舎でも行われているよ
零乃瀬 知里
人が来るかは別としてね
八十島 小夜子
公民館や会議室なんかを借りてイベント開催する場合もあったり
九重 直行
会場によっては販売禁止とか。地方のイベントは内輪だけで終わる場合も多い
十念 絵馬
そりゃあコミケの規模とは比べ物になりませんよね

コミケに参加する最大手サークルともなれば、プロのイラストレーターとしても活躍している場合もあったり、知名度は並外れているグループも少なくありません。

地方在住の有名作家などもいらっしゃったりします。

零乃瀬 知里
まあ地元には住んでるだけで発表の舞台は東京のメディアだったりするんだけどね

演劇文化の地域格差

当記事はあくまでもポップカルチャーに焦点を当てておりますので、芸術文化環境の格差等の問題点等についての意見は差し控えさせていただきたいと思います。

松竹や東宝など大手興行会社が主宰する大規模な商業演劇は、地方の方にもお馴染みではないでしょうか。

しかし東京には数多くの小劇場があって、新宿や下北沢や中野や高田馬場などで行われるお芝居をチェックする地方在住者は少数派ではないかと。

私も地方出身である上に、演劇に関しては全く門外漢なのですが、演劇文化の熱量と面白さは肌で感じたことは何度かあります。

八十島 小夜子
80年代は小劇場ブームで、地方にいても野田秀樹さんの夢の遊眠社』やバンド『有頂天』のケラさんの劇団とかの情報は入っていたわ
九重 直行
ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏の劇団『ナイロン100℃』は93年活動開始だな
八十島 小夜子
地方の中高生は、雑誌なんかの情報先行で実際のお芝居を見ることはできなかったわ
九重 直行
劇団☆新感線』の公演はBSで観たな
零乃瀬 知里
新感線は大阪の劇団だけどね
十念 絵馬
ネットで検索すればすぐ分かることが分からず、間違った知識を引っ張ってしまうこともありますよね
九重 直行
お、おう…

余談ではありますが、地方や郊外などのクセの強い個人商店やカフェやバーなどの中には、けっこうな確率で元・劇団員たちが経営していたりするものです。

そうした方たちが、地元で劇団を立ち上げたり、あるいは一人芝居などを地域イベントや祭り等で公演していたりします。

十念 絵馬
たまにこじらせた気難しい人もいますけどね…

00年代~10年代・ショッピングモールとチェーン店による地方都市の郊外化と均一化と「地元サイコー」

00年代初頭にインターネットは一般に広く普及し、07年前後に登場したYouTubeニコニコ動画などの動画配信サイトはそれまでの文化格差を一変させる衝撃がありました。

それはメディアを通さないでも流行は起こせることを証明した点です。

零乃瀬 知里
実際にはもちろんメディアの方が全然強いんだけどさ

"一般に普及"と書きましたが、実際には"ネットに全く触れない層"という分断化がスマホ普及以前には起こっていました。

ネット文化を面白がる人たちと、そうでない人たちの分断化が起きたのも00年代の特色です。

この時代から、いわゆる"情報格差"は顕著になっていったのではないでしょうか。

やがてテレビも積極的にネット発の文化を取り入れて番組を作っていたり、10年代以降は双方向で影響を与え合っていると言えるのではないかと思われます。

 

一方、ネットとは一見無縁に見える郊外のショッピングモールの濫立や大手チェーン店の進出による地方都市の郊外化と均一化もこの時代から始まりました。

零乃瀬 知里
わざわざ都会に行かなくても、それなりのものがそろっちゃうからね
十念 絵馬
おそらく、この年代から10年代のマイルドヤンキーの芽はできていたのではないかと

地方民がネットで情報発信できるようになった一方で、マイルドヤンキーに代表される人たちとの"意識の違い"や行動格差などが明らかになりました。

九重 直行
90年代はそうじゃなかった。なんか大都市行ってた
八十島 小夜子
80年代は原宿のタレントショップに憧れてたわ
十念 絵馬
10年代でも渋谷のハロウィンには地方から人は集まりますが
零乃瀬 知里
文化系だってイオン行ってビレバンやチャイハネとかで楽しむけどね
十念 絵馬
カルディで試食のコーヒーもらうんですよね

単純に東京に憧れるという価値観は薄まり、都会と地方に限らず、私たちはフラットに趣味や嗜好によって分断される社会に生きていると言えるでしょう。

『ここは退屈迎えに来て』の世界

山内マリコ氏の小説『ここは退屈迎えに来て』(2012年・幻冬舎)は、18年に映画化もされました。

この小説の中で描写される郊外の描写にドキッとした地方在住者はたくさんおられるのではないかと思われます。

特に文化的な理由で地元の話題に馴染めず、一度でも都会に出てしまった経験のある方にはグサリと来る内容です。

以下に引用してみましょう。

大河のようにどこまでもつづく幹線道路、行列をなした車は時折ブレーキランプを一斉に赤く光らせ、道の両サイドにはライトアップされたチェーン店の、巨大看板が延々と連なる。ブックオフ、ハードオフ、モードオフ、TSUTAYA

とワンセットになった書店、東京靴流通センター、洋服の青山、紳士服はるやま、ユニクロ、しまむら、西松屋、スタジオアリス、ゲオ、ダイソー、ニトリ、コメリ、コジマ、ココス、ガスト、ビッグボーイ、ドン・キホーテ、マクドナルド、スターバックス、マックスバリュ、パチンコ屋、スーパー銭湯、アピタ、そしてイオンモール。

こういう景色を"ファスト風土"と呼ぶのだと、須賀さんが教えてくれた。

引用元:山内マリコ著『ここは退屈迎えに来て』幻冬舎

十念 絵馬
映画版の主演は橋本愛さんでしたね

20年代~新型コロナ禍が音楽業界にもたらす影響

20年の新型コロナウイルス禍は、いったいどれほどの文化イベントに影響を与えたことでしょう。

特にミュージシャンたちはライブ活動の自粛を余儀なくされ、出口の見えない中で苦しい思いをされていることでしょう。

 

果たして文化の流れはどのようになってしまうのか、現時点では想像もつきません。

ワクチンなり治療法なりが確立して、元のように全国各地でライブが行われる日を願ってやまないところです。

 

しかし、たとえコロナ禍に終止符が打たれたとしても、まちがいなく価値観の転換(パラダイム・シフト)は起こるでしょうし、良い点も悪い点も含めて変革は進んでいくことでしょう。

そうした中で、文化(ポップカルチャー含む)はどのように変遷していくのか、現時点では予測することも困難な状態です。

ただ、ライブでの一体感や会場ならでは音圧は、自宅のモニタやスピーカーでは再現が難しいでしょうし、何よりもそこで得られた"リアルな体験"というものは代替不可能なものです。

単純にVRで解決可能というわけにはいかないでしょう。

そして人は本質的に群れを好む生き物ですから、いずれは群衆の復活する時も来るとは思いますが、まだ先の話です。

 

東京の一点集中がどう変わるのか、変わらないのかも含めて、私たちは図らずも時代の転換点に遭遇してしまいました。

まとめ

東京と地方の文化格差を、おもにポップカルチャーの分野で年代別に考察してみました。

地方と東京の文化的な距離感は、かつてクッキリと横たわっていました。

 

アマゾン等のネット通販が普及する以前は、書店で本を注文するにも2週間かかりました。

単館上映系の映画は、地方のレンタルビデオ店には置いていないケースもありました。

深夜アニメでさえ、都会でないと放送していないような時代でした。

ちょっとマニアックな音楽や映画やアニメの話題になると、話の合う友人がいないような環境が地方でした。

この文化格差は、ネットによって間違いなく埋まったと言えるでしょう。

それまでは絶望的だった「地元に話題の合う友達がいない」という問題も、SNSの「#○○好き」で瞬時に解決できる時代になりました。

もちろん都会でしか味わえない文化は、実は際立っている印象ですが、大多数の人はそこまで関心がなくても全く問題ないはずです。

 

00年代初頭までは確かにあった"東京への無条件の憧れ"のようなものはほとんど感じられなくなったのではないでしょうか。

全国展開したコンビニやチェーン店によって、地方在住者を取り巻く消費環境の格差もほとんどなくなりました。

 

"ファスト風土"の郊外で、家に閉じこもってこのような記事を書いていると、何とも言えない気持ちになってきます。

私たちの文化はいったいどこに向かうのでしょうか。

興味は尽きないところです。

弐重 ねん
最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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