この記事は主に90年代のヤンキー文化について書かれています。
※もちろん地域によって年代は前後するでしょうし、ヤンキー文化そのものも都市部と地方では大きく異なります。
この記事では地方都市から見た東京との流行の違い、温度差などを考察しました。
不良行為が社会的にも大目に見られていた最後の時代かもしれない90年代のヤンキー文化とは、どのようなものだったのでしょうか?
あくまでも内向的な人間の視点によって書かれた90年代ヤンキー文化です。
主にメディアの影響についてを語っており、実在の不良グループ等には言及しておりません。
読み物としてお楽しみいただければと思います。
90年代はどんな感じだった?
いつの時代も若者たちの有り余るエネルギーは既存の文化に対する反抗という形になって表れます。
不良を指す言葉として、「ツッパリ」が死語となり「ヤンキー」という名称が定着したのは、80年代末~90年代初頭にかけてです。
地方でもほぼリーゼントのヘアスタイルは絶滅していたのではないでしょうか。
90年代~として10年で一くくりにされがちですが、実際のところ~94年くらいまでと95年以降でまるで違う時代の空気がありました。
前半はバブルの残滓というか、まだ明るいノリを辛うじて維持している印象がありました。
95年の「オウム事件以降」はある種異様な暗さと妙な喪失感があったように感じます。
ファッションで言えば、80年代のDCブランドブームの流れからアメカジ、古着、ストリート系に移り変わっていきました。
まだまだテレビの影響力が強かった時代です。
そして見過ごされがちなのが雑誌の影響力。
実は出版文化の黄金時代ともいえるほど、多種多様な雑誌や単行本が書店に並んでいました。
ファッション誌の細分化が、より進んだのが90年代でした。
やはり決定的になるのは「携帯電話」の普及以前と以降でしょう。
ただし、インターネットに関しては90年代の黎明期はオタク・マニア層が核となって情報をやりとりしていました。
ヤンキー文化とネットとのはつながりは『爆サイ』やSNSの普及によって起こりました。
90年代前半のチーマー文化 都会と地方の差
バブル時代の余韻があった90年代前半は、渋谷では「チーマー」と呼ばれるパーティー文化が盛んでした。
80年代末~当初の「チーム文化」は首都圏(六本木か渋谷の諸説あり)の私立の高校生たちによる『穏便な社交場』であったと言われています。
その後、暴力的な印象を強めていったチーマー文化ですが、それ以前の不良文化と比べてファッションはあくまでもカジュアル寄りなのが特徴です。
90年代のクラブカルチャーや、ファッション、最新の音楽など当時の最先端の流行を一身に集めるような文化が渋谷を中心に席巻していました。
90年代…「フリッパーズ・ギター」や「ピチカート・ファイヴ」「コーネリアス」等の「オサレ」な「渋谷系全盛期」でした。
そんな中でも地方の不良のごく一部では、未だツッパリ文化の余韻が冷めやらない状況でした。
地域によっては90年代の末になっても、夏祭りの時に特攻服を着て集団で繁華街を練り歩く集団の姿が見られたのではないでしょうか。
90年代では地方においてまだまだ、不良っぽい人(主にお調子者系)がスクールカースト上位にいて、カッコいいという風潮はありました。
地方発? BOØWYファッションを基点としてV系とホスト系に枝分かれした?
一方、90年代前半の地方の不良の間では、まだBОØWYの影響が強かったように思えます。
もちろん地域や、所属するグループによっては全く異なる例も多いとは思いますが、
私の知る限りBОØWYを聞いて、それっぽいファッションの男子中高生は地方に多かった印象です。
BОØWYが(主に地方の)不良文化に与えた影響について、詳しくこちらの記事をご覧ください。
BОØWYがヴィジュアル系に与えた影響力については初期BUCK-TICKへの影響や、GLAYとの比較が挙げられます(カラフルなX-JAPANは除く)
※GLAYをV系とするかは異論がありますが…当サイトでは大きな枠の中で、影響下にあったと認識しています。
氷室京介のマイクの持ち方、黒を基調としたシックな装いは、当時のビートパンク系寄りのV系バンドマンに圧倒的な影響を与えました。
V系の独特の歌唱法に関しては、DEAD ENDのボーカルMORRIE(モーリー)氏の影響が大きいと思われます。
しかし、この系統のファッションは一般的にはアメカジ等が地方にも広まってきた95年頃になると終息しました。
ヤンキーがよりカジュアル化、ストリート寄りにシフトしていく時代の流れがあったためです。
その一方で、黒を基調としたファッションをより強調して独特の世界観を築いていったのがV系と呼ばれるジャンルです。
V系のミュージシャンのイメージは中世ヨーロッパの城や月夜、霧に閉ざされた街並み等を連想させる神秘的な演出のPVが多く見られました。
「夜の繁華街が似合う」イメージを突き進んでいったのが、ホスト系のファッションではないでしょうか。
BOØWY的なファッションから枝分かれして神秘的なイメージに飛躍していったのがV系、「華やかな夜の繁華街」のイメージに進んだのがお兄系やホスト系。
実際には、80年代の日本のヘヴィメタルやハードロックなどの影響も混ざって複雑に流れ込んでいるとは思います。
90年代の都会から発信したヤンキー文化・ストリート化!
ストリート系と呼ばれるファッションがあります。
よりカジュアルに、よりラフに、よりルーズになっていったファッションの傾向です。
94年くらいを境に街(主に大都市圏)の不良たちのファッションが変わりました。
アメカジや古着に身を包んだチーマー文化は、一説にはバブル崩壊後の経済状態が影響していると言われています。
DCブランドに手が出せなくなった渋谷の若者が、手軽に着られるファッションを選び、それが時代の空気ともマッチして地方に広まっていきました。
B系(HIP-HOP系)の台頭
90年代半ばごろ、日本の不良文化をHIP-HOPが席巻していきました。
ヒップホップは単純にラップだけのものではなく、MC、DJ、ダンス、グラフィティの四大要素で成る文化です。
ニューヨーク発祥のアフリカ系アメリカ人たちによる創造性あふれる文化を、単純に不良のものとみなすのは乱暴でしょう。
あくまでも、90年代の日本での不良文化にも強い影響を与えたという視点で語っています。
ヒップホップ文化を貶める意図は決してありませんのでご了承ください。
それまで一般的に名の知られていたラッパーといえは80年代のいとうせいこう氏や、90年代初頭のスチャダラパーでしょう。
しかし彼らは大まかに言ってサブカル系の文脈で語られることが多かった印象です。
これに対して現れたのが2PAC、スヌープ・ドッグなどに影響を受けた日本のHIP-HOP系アーティストです。
もちろん、80年代の黎明期で本格的なヒップホップミュージシャンは日本にもいましたが、全国的に知られるようになったのは90年代半ばからでしょう。
代表的なのがKダブシャイン、Zeebra、DJ OASISによるヒップホップグループ『キングギドラ』(※現KGDR)やラッパ我リヤ(ラッパガリヤ)でしょうか。
ルックスも強面であり、威圧感があります。
ベースボールキャップやオーバーサイズの服、腰パンなど、これまでの不良文化とは一線を画すファッションは、瞬く間に全国へと広まっていきました。
これとともに、当時「失われた10年」と言われ、シャッター街と化した地方都市のシャッターがスプレーで落書きされる事件も社会問題化しました。
「ヒップホップヤンキー」の流れは00年代に
カラーギャングといった不良グループにつながりました。
HIP-HOP系というかミクスチャー・ロックバンドになりますが、90年代後半の不良文化を語る上で欠かせないのがDragon Ash(ドラゴンアッシュ)です。
ボーカル/ギターのkj(降谷建志)は音楽雑誌のみならずファッション雑誌の表紙を飾り、一般層にも強い影響力を示しました。
彼らのブレイクにより、地方も含めた不良のファッションが一変する決定打となりました。
90年代後半が、雑誌等のメディア文化がもっとも栄えていた時期でした。
これを境に、00年代以降の若者文化はネット時代もあり、多種多様な島嶼群(とうしょぐん)のようなコミュニティを形成することになりました。
別の若者文化圏との接点も極端に少なくなり、それぞれの道を歩むことになります。
アンチ小室哲哉サウンドと不良文化のややこしい関係
不良およびヤンキー的な価値観のひとつに「独特の美学を持つ」という嗜好があります。
安室奈美恵氏をカリスマと崇めるヤンキーがいる一方で、小室サウンドに否定的なヤンキーもいたり、一筋縄ではいきません。
ヤンキー特有のプライドの高さから、あえて人気絶頂だった小室ファミリーを避ける層も一定数いました。
90年代特有の空気感として、一世を風靡した小室哲哉氏の楽曲に対して、ヤンキーたちの反応はそれぞれでした。
具体例を挙げると「黒夢」や「SADS」の清春氏の、攻撃的なサウンドや言動、ファッションに憧れる不良少年は大勢いて、彼らの多くがアンチ小室系だったと思います。
00年代後半から10年代にかけてマイルドヤンキーも含めて多くのファン層を獲得したエイベックス系に対してもギャルやヤンキーで反応はそれぞれでした。
ギャル文化とヤンキー文化の違い
ではヤンキーとギャルの違いとは何でしょう?
基本的に友達を大切にして遊び好きなのはヤンキーもギャルも同じです
それぞれが独自のポリシーを持っていて、学校や権威を嫌う傾向があります。
ヤンキーは主に先輩・後輩など縦のつながりを重視するのに対し、ギャルは横に広がったコミュニケーションを重要視します。
両者ともに過剰な化粧やファッションを好みますが、方向性が微妙に違っており、
そんな彼女たちの会話は、しばしば自己目的化する。つまり、「会話のための会話」になりやすいのだ。言い換えるなら、彼女たちの会話の主な目的は、もはや「情報交換」ですらない。会話はお互いの親密さやキャラを再確認するためにだらだらと続けられる。
引用元:『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』斎藤 環・著 角川文庫
個人的には、ギャル文化とは96年頃に定着した女子高生~を基軸にしたメディアおよび消費社会の一傾向だと認識しています。
90年代半ばにあって、バブル後の不景気に打つ手のなかった当時の大人たちは、女子高生の感性に着目しました。
茶髪にミニスカートの制服でルーズソックスをはいた女子高生の美意識と消費行動は時代の中心となりました。
大人たちは、女子高生たちの口コミをマーケティングに利用し、新しい若者向けの商品を次々に投入していきました。
キーワードは「ストリート」「カジュアル」でした。
注目されたことによる相乗効果、あるいは反発も含めて様々な趣味嗜好に枝分かれしていったギャル文化ですが、近年では海外の人々の関心を集めているようです。
まとめ
いかがでしたか。
ヤンキー文化と言っても一筋縄ではいかず、大変難儀をしました。
オタク的・サブカル的な立ち位置からの私見なので、当然異論はあるかと思います。
ヤンキー文化圏、ギャル文化圏の側から見たら噴飯モノの考察なのではないかと心配しております。
しかしながら、文化の異なる立場の視点による考察は、物事を立体的に見せてくれるのではないでしょうか。
ザックリした時代の流れと共に、内向的な人間とヤンキーの溝や意外な共通点など、思考の一助となれば幸いです。
支離滅裂な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。