1989年から2019年まで続いた平成時代とはどんな時代だったのでしょうか。
本記事ではオタク文化の視点から見た平成30年を振り返ります。
主に取り上げる分野はアニメ、漫画、テレビゲーム、ホビー(フィギュア、プラモデル)その他メディアミックス作品群です。
それぞれのジャンルごとに新書一冊分書けそうなテーマですので、ざっくりとまとめつつ平成のオタク史を振り返りたいと思います。
※余談ではありますが、本記事のアイキャッチ画像は「平成を代表するアニメ作品」のコスプレをする拙作『時空オカルト研究会』の4人です。瞳の色等は原作とは異なりますが、ご了承ください。
元ネタは左より『セーラームーン』のセーラーヴィーナス、カプコンの格闘ゲーム「ストリートファイターシリーズ」よりリュウ、『新世紀エヴァンゲリオン』より碇シンジ、ライトノベル「涼宮ハルヒシリーズより」涼宮ハルヒです。
いまさら説明不要の有名キャラですが、いつの日か「令和」生まれの方が本記事を目にする機会を楽しみにしています。
オタクの定義とは
マスメディアを含めて一般的にオタクとは、主にアニメ、マンガ、ゲーム等のサブカルチャーを熱狂的に好む層を指し、ファッションなどの流行や、一般的な社会性に欠けている人たちを指す言葉であると「言われて」います。
しかし論者によって定義はまちまちであり、実はオタクの定義は定まっておりません。
おそらく今後も「オタクの定義はコレ」と定まることはないと思われます。
というか不可能でしょう。
実際は社会性に富んだオタクもたくさんいます。
さらに言えば医師や弁護士や裁判官のような社会的な責任の大きい職業の方の中にも、オタク趣味の方はいるでしょう。
もちろん萌え文化も腐女子文化も大まかにはオタク文化に含まれるのですが、「オタク」と一くくりにできない様々な属性があるわけです。
主にサブカルチャーの分野で、「子供時代に好きだった趣味を、大人になってもずっとつづけていること」をオタクの起点とします。
どんな分野でも愛好家の熱意でできているものなので、一くくりにしたり、決して否定すべきではない文化だと思います。
独自の価値観に基づいて特定の作品を熱心に視聴したり、分析したり、(二次創作や評論などで)表現することで、より濃いオタクになる…
筆者が「オタク」という言葉を使う際にはこのようなニュアンスを含めています。
この30年間、オタクカルチャーの毀誉褒貶、浮き沈みはかなりのものがありました。
90年代初頭のオタク文化迫害時代から、インターネットの出現によるオタク文化の一般化と細分化の流れをざっと振り返ります。
オタク文化は平成という時代の中でもっとも大きな広がりを見せた文化のひとつなのではないかと思っています。
本記事は、あくまでも著者の主観に基づくものです。
受け手と読み手の関係性
平成時代でもっとも大きな出来事と言えばインターネットの普及でしょう。
ネットはわれわれの生活に様々なところで影響を与えていますが、もっとも影響を及ぼしたのはクリエイターとメディアとの関係性でしょう。
ネット普及以前までは(平成10年頃まで?)クリエイター(小説家・映像作家・漫画家・音楽家等)は、基本的に出版社やテレビ局などのメディアを通じて作品を発表し、メディアによる情報発信で受け手(読者・観客)に届けていました。
一見すれば、この構図は現在でも変わっていないように思えます。
※ネット発の文化で社会現象になったものも多々ありますが、まだ限定的と言わざるを得ません。
では何が決定的に変わったのか? Googleなどのプラットフォーム企業の存在です。
グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェースブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の4社のこと。頭文字を取って称される。いずれも米国を代表するIT企業であり、4社は世界時価総額ランキングの上位を占めている。
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
ネット普及以降、クリエイター、メディアを問わず、「検索」プラットフォームを通じて作り手と消費者がつながる時代になりました。
では、ネット普及以前の平成時代はどうだったのでしょうか?
当時を振り返ります。
平成元年(89年)~平成7年(95年)オタク迫害時代
まだ昭和の余韻を色濃く残す中、オタクにとってはもっとも厳しい冬の時代でした。
なぜ、迫害されたのか。
背景にあるのは東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件です。
この事件へのマスコミの過剰ともいえる報道姿勢によってオタク迫害の空気が生まれたのは疑いようのない事実ではないでしょうか。
当時(90年代前半)のNHKではオタクという言葉に対して「放送上、問題のある用語」とされていた期間があります。
さらに当時オタク評論家を名乗り、主に民放のバラエティ番組に出演していた宅八郎氏が演じたオタク像も、一般層の視聴者に強烈な印象を残しました。
これに対して作家の岡田斗司夫氏の著書『オタクはすでに死んでいる』や、ウィキペディアの『おたく差別』を読む限りでは、90年代のおたくへの悪い印象は薄れ、社会的地位も向上したと書かれています。
実際のところは、どうだったのでしょう。
私見・90年代の「オタク差別」について
お住まいの地域や学校の雰囲気にもよりますが、おおよそ90年代中頃まではオタクに対する偏見や差別的な空気が色濃かったように思えます。
少なくともオタク仲間以外でアニメ好きを公言することはなかなか難しかったのではないでしょうか。
当時はレンタルビデオ店が全国的に広がっていった時代です。当時OVA(オリジナルビデオアニメ)の興隆期でしたが、男女を問わずアニメのビデオ(ジブリ、ディズニー以外)をレジに持っていくのが恥ずかしかった人は多いはずです。
90年代アニメ・ランキングはこちらの記事にまとめてみました。
また、オタク仲間以外のクラスメイト達でカラオケボックスに行く際にアニメソングを歌うと白い目で見られたり、最悪バカにされたりする悪しき風潮がありました。
※『D・N・A2 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』『週刊少年ジャンプ』で連載されていた桂正和原作のテレビアニメの主題歌。
オタク迫害時代、アニメ雑誌をこっそり買いに行く、人目を気にして隣町のアニメショップまで足を運ぶなど、当時十代だったオタクたちは涙ぐましい努力(?)をしていた方も多いでしょう。
コミケやワンフェスに行った話などは教室内ではなかなかできず、親しいグループ同士でコソコソと話したり、隠語をまじえて話したり…
一般人の目を盗んでオタク活動を行う方も少なくなかったのではないでしょうか。
誇張ぬきでオタク=即いじめにもつながりかねない異様な雰囲気が90年代にはありました。
迫害時代の『美少女戦士セーラームーン』、オタク迫害を吹き飛ばした『新世紀エヴァンゲリオン』の衝撃(インパクト)
92年に漫画連載とテレビアニメの放送がスタートした『セーラームーン』ですが、海外での人気も含めて後世に与えた影響はとても大きいと言えるでしょう。
ただ、90年代の中高生で『セーラームーン好き』を公言できる雰囲気ではなかったように思えます。
この状況を一変させたのは、95年に放送された『新世紀エヴァンゲリオン』ではないでしょうか。
宇宙戦艦ヤマト(74年)、機動戦士ガンダム(79年)に続く、社会現象になった3大アニメの一角です。
※ウルトラマン等の特撮や「人類補完機構」シリーズ当の海外SF等の影響。
深夜枠にもかかわらず、テレビ版エヴァンゲリオンの再放送は高視聴率を記録しました。
この結果が、後に深夜アニメの枠につながっていったと言われています。
阪神淡路大震災や東日本大震災など数多くの自然災害に見舞われる中で、当時、頻発した「キレる14歳」やバブル崩壊後の低迷した「失われた十年」の暗い世相とあまりにもマッチして社会現象になったのが『新世紀エヴァンゲリオン』でした。
これに加えてとりわけショッキングな出来事がオウム真理教による一連のテロ事件ではないでしょうか。
90年代初頭~中頃まで時代の風を受け、一世を風靡していた野島伸司脚本のドラマ※よりも、エヴァは90年代中頃の空気をパッケージした作品となりえたのではないでしょうか。
※『高校教師』『ひとつ屋根の下』などヒット作は多数。エヴァと同時代(95年に放送されたのは『未成年』)
少々辛口ではありますが、テレビドラマについての記事はこちらにまとめました。
この流れとリンクしたのが当時日本に定着しつつあったインターネットです。
メディアを介してではなく、ファン目線からの情報の発信と交流が可能になったこと。
この地点が、ターニングポイントだったと思います。
当時、この流れにもっとも後れを取ったのがヤンキーと呼ばれる少年少女たちではないでしょうか。
現在こそ、エヴァはヤンキーにもバッチリ浸透していますが、そのきっかけはパチンコだったり大手企業とのコラボ企画からだと思われます。
もちろん90年代にも実はオタク趣味を持つヤンキー(オタヤンキー?)もそれなりにいたはずですが、口外するヤンキーはきわめて少数派だったと思います。
余談ではありますが、ガンダムのプラモデルMG(マスターグレード)が発売されたのは95年(平成7年)でした。
平成8年(96年)~平成16年(06年)セカイ系~日常アニメ。そして『電車男』のヒットによって進んだ一般化
そしてインターネットの普及でオタクたちの逆襲が始まりました。
セカイ系と呼ばれる世界の崩壊と自意識やトラウマを一直線に結びつけるという構成で、ポスト・エヴァと呼ばれた作品群の中です。
代表的なものとして挙げられるのが、上遠野 浩平(かどの こうへい)氏による「ブギーポップシリーズ」や新海誠監督作『ほしのこえ』だと言われています。
評論家の東 浩紀(あずま ひろき)氏の定義によれば…
"主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと
東 浩紀・著『波状言論 美少女ゲームの臨界点』より引用
東氏がセカイ系の代表作にも挙げた高橋しん氏の漫画『最終兵器彼女』がもっとも分かりやすい例なので解説します。
北海道を舞台にした本作は、平凡な高校生男子「シュウジ」(僕)と彼の同級生で彼女で戦争の最終兵器に改造された「ちせ」(きみ)の心情に焦点が絞られ、物語の舞台となる日本がどの国と戦争していたのか(=具体的な中間項)などは一切明らかにされないまま、世界大戦(世界の危機)(この世の終わり)に向けて物語が突き進みます。
話が逸れました。
喪失感をともなう「自分語り」と、突き抜けたキャラ設定のヒロインへの希求感は、セカイ系の最大の特徴と言えましょう。
誤解をおそれずに言うならば、90年代初頭から続いた恋愛至上主義に対する憧れと、冴えない日常に対する強烈なアンチテーゼではなかったでしょうか。
その文脈では個人的には滝本竜彦氏の『ネガティブ・ハッピー・チェーンソーエッヂ』もセカイ系に含んでいいような気がします。
この背景にある同調圧力とリア充至上主義については以下の記事にまとめました。
リア充至上主義の価値観の中での、モヤモヤした思いは、男女を問わず主に内向的な若者の間でくすぶり続けていました。
そんな00年代において「重い」セカイ系が流行する一方で、『らき☆すた』などのほのぼの日常系アニメが支持を集めていたのはなかなか興味深いと思います。
涼宮ハルヒ放送開始
谷川 流(たにがわ ながる)氏の原作『涼宮ハルヒの憂鬱』(すずみやハルヒのゆううつ)は03年角川スニーカー文庫から刊行されたライトノベルシリーズです。
「ビミョーに非日常系学園ストーリー」イラストを担当したのは、いとうのいぢ氏。
テレビアニメ化は06年が最初で、09年に二期が放送され、10年に劇場版『涼宮ハルヒの消失』が公開されました。
エヴァ→セカイ系→ハルヒ→日常系→
90年代から00年代の深夜アニメの流れを大ざっぱにまとめると、このような図になるのではないかと思います。
もちろんジブリや有名少年誌原作アニメ(ワンピースや鋼の錬金術師等)なども00年代をけん引するアニメ作品でした。
00年代のアニメについては以下の記事にまとめました。
それに加え、西尾維新原作の「物語シリーズ」のアニメも平成オタク文化を語る上で避けては通れないでしょう。
ちなみに00年代からは、それまでワンダーフェスティバルなどのイベント販売が主流だった美少女フィギュアが、着色済みモデルとして一般ホビー市場にも進出してきたことが挙げられます。
海洋堂時代の「チョコエッグ」は、食玩ブームを巻き起こしました。
06年にグッドスマイルカンパニーが発売した「ねんどろいど」シリーズは、特徴的なデフォルメが「初音ミク」をはじめとするキャラクターたちの魅力を存分に引き出す大ヒットシリーズとなりました。
また、08年より同社によるアクションフィギュアシリーズ『figma』(フィグマ)※企画・開発はマックスファクトリー。
安価で非常によく動くのが特徴で、王道のアニメヒロインから「考える人」「ダビデ像」など意表を突いたものまで、幅広いラインナップが特徴です。
平成20年(08年)~平成23年(11年)深夜アニメ全盛期とボカロ、動画サイトの興隆とSNSの浸透
この時期を3年という短い期間に分けたのは08年に日本でiPhone 3Gが発売された年であるためです。しかしこの頃はまだガラケーが主流であったはずです。
日本でスマホが爆発的に流行る少し以前に、動画サイト『YouTube』(05年~)『ニコニコ動画』(06年)が急成長をみせています。
当初はPCで閲覧していたユーザーですが、スマホの普及と共に手軽に動画視聴・投稿が楽しめるようになりました。
スマートフォン爆発的な普及は総務省のグラフを見て頂けるとわかる通りです。
画像の引用元:数字で見たスマホの爆発的普及(5年間の量的拡大)
スマホの普及で何が変わったかといえば、動画サイトなどでそれまでより一般層がオタクコンテンツに触れる機会が激増したということです。
たとえばニュースのまとめサイトの広告などでもアニメやゲームに関するものが表示されることもあるので、嫌でも目にする機会は多かったと思います。
これに加えて駅の広告や町おこしのポスター、銀行などにもアニメ絵のキャラクターが描かれることも多いため、それが何のキャラクターであるかはともかく、
アニメ系コンテンツが一般にも浸透していきました。
そして11年に起きた東日本大震災では改めてツイッターなどのSNSが存在感を強めました。
安否確認や避難所の開設、道路の警戒情報や停電・断水に関する情報などがピンポイントで得られるようになりました。
災害時のデマという負の側面はあるにせよ、SNSを活用した災害情報の発信は今後ますます重要性を増すのではないでしょうか。
平成24年(12年)~平成31年(19年)スマホの普及と「なろう系」のヒット SNSによる作り手に対するツッコミの可視化
この頃になると、スマートフォンの普及によって若年層のほとんどがネットを通じて情報を得る時代になりました。
さらに自分の姿や思いを、SNSを通じて発信することもできるようになりました。
また、誰かに共感したり、クラウドファンディングで資金を募って事業を行ったり、ネットを通じて可能性が広がりました。
それが、あたりまえになった時代です。
10年代のおすすめアニメは以下の記事にまとめました。
さて、この頃になると、90年代に十代だったオタクたちも親世代となり、小学生の子供にアニメ、マンガ、ゲームなどの英才教育を行うようになりました。
印象的なのが、マンガ・アニメ作品の中でも親との距離感が縮まったことが挙げられます。
両親の影響でアニメにハマったという人も多いのではないでしょうか。
「ポケモン」にせよ、「ドラゴンボール」にせよ、19年現在も続編が作られており、親子で楽しむファンも多いのではないでしょうか。
詳しくは以下の記事にまとめました。
また、定額制動画配信サービスなどの拡充で、昭和時代のコンテンツも、90年代のものも、最新の作品もフラットに楽しむことができる時代になりました。
母親キャラのヒロイン化と父親キャラのいい人化
エヴァ辺りまでは父親キャラとは敵対が当たり前で、父親キャラは少年主人公が乗り越えていく存在でした。
※アニメ『スマイルプリキュア!』の通称「みゆきママ」こと星空育代、『妖怪ウォッチ』ケータくんのお母さん等と『ドラえもん』のび太のお母さんを比較しても、母親キャラのヒロイン化は進んでいるような気がしてなりません。
なろうの影響を考察する
なろう系とは、小説投稿サイト『小説家になろう』の人気作品などでアニメ化された作品に対して、一部から否定的に評価される際に使われる言葉です。
異世界転生モノで、主人公が何の苦労も苦戦もなく強敵に勝利し、ヒロインたちから慕われる展開など、きわめて主人公に都合の良い設定などが揶揄される理由となっています。
ネット時代の最大の恩恵である、誰でもすぐに小説を発表でき、人気を得れば既存のメディアに乗れるということが顕著に発揮される場となっています。
それまでの、新人賞を受賞して小説家デビューというルート以外にも、さまざまな経緯で出版に至るケースが本格化していった時代です。
余談までにスマホ太郎は『異世界はスマートフォンとともに』デスマ二郎『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』イキリ骨太郎は『オーバーロード』キンキン太郎『無職の英雄 別にスキルなんか要らなかったんだが』のことです。
いわゆる蔑称とも取れる名称をあえて用いたのは語感を面白く感じたことと、視聴者の意見がネットを通じてダイレクトに広がっていることに時代性を感じたからです。
決して悪意で名前を出したわけではありません。
こんな風に書いておりますが、『異世界はスマートフォンとともに』『オーバーロード』はアニメ版を全話楽しく視聴させていただきました。
たとえ批判的な評価が目立つ作品であろうとも、多くの人の目に触れているということは、人を引き付ける魅力を持ち合わせた作品ではないでしょうか。
それでも不快に思われる方がおりましたらすみません。
まとめ~
個人的な感想になりますが、まとめになります。
平成と共に大きく育ったオタク文化は、いまや一大産業になりました。
若者文化の中では、かつてのテレビドラマが占めていた位置にスマホゲームや深夜アニメがあるといっても、決して極端な意見ではないでしょう。
このような一般層への浸透化とともに、かつて虐げられた限られた人たち(おたく)だけの秘密基地。
それが平成の移り変わりと共に整備され、誰でもが楽しめる巨大な(オタク)テーマパークができたことを誇りに思います。
だけど同時に、一抹のさみしさを感じますね。
平成はオタク文化の大躍進と一般化、定着の時代だったと思いますが、
オタクの特権であった自己言及化(メタフィクション)がネットを通じて広く一般にも浸透して、
全国民総ツッコミ社会になったのではないでしょうか。
「おそ松さん」や「刀剣乱舞」などの女性がメインターゲットの作品については別記事を準備中です。