J-POPが嫌いを公言する人は、意外と周りにいるのではないでしょうか。
「嫌い」まで行かなくても、売れ筋の音楽が同調圧力のように感じて、苦手な人もいるでしょう。
ちょっと背伸びしたい人や、マニアックな音楽ファン、洋楽好きの人にとってはJ-POPは物足りないと感じる人も多いでしょう。
タイアップや宣伝があざとい、曲の構成が似ている、歌詞が安っぽい、心に刺さらない…等々。
このようにざっと思いついただけでも、J-POPが苦手な人たちの理由は多種多様であります。
当記事はJ-POPの歴史を紐解きながら、様々な視点からJ-POPが嫌い、苦手な人たちの心理を分析して、J-POPのどんな部分が否定されがちなのかを考察します。
J-POPとそのファンを貶める意図はありません。
言うまでもなくJ-POPの中にはたくさん名曲もありますし、大多数の日本人に支持されている事実は、決して否定するようなものではありません。
J-POPの歴史 1988年のJ-WAVEから広まっていった経緯
J-POPは日本製ポピュラーミュージックを示す言葉です。
「J-POP」という言葉が誕生したのは1988年でした。
今回この記事を書く上で、烏賀陽 弘道(うがや ひろみち)氏の著書『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業』『「J-POP」は死んだ』を主に参照しています。
さて、88年に開局したFMラジオ局「J-WAVE」は、当初は24時間原則として洋楽しか流さないという編成でした。
その中で邦楽を流すコーナーの名前が「Jポップ・クラシックス」だったそうです。
そのコーナーで流れていたのは「大瀧詠一」「松任谷由実」「山下達郎」「佐野元春」「サザンオールスターズ」…
j-POPの特徴
j-POPの音楽性については、演歌や歌謡曲(ムードコーラス・グループサウンズ、フォークソング、歌謡ロック等)との差別化だけが明確化されていましたが、厳密な定義があるわけではありません。
J-POPといえば「夢」「光」「愛してる(I love you)」といったような歌詞のフレーズと、キャッチーなサビのメロディ、キラキラしたサウンドでカラオケで盛り上がるといった印象をお持ちの方も多いのではないかと。
対する、演歌や歌謡曲の目立った特徴を一言で言うとするならば、主に男女間の恋愛における「哀愁」や「情念」「悲哀」に焦点を当てているのが演歌や歌謡曲と言えるでしょう。
J-POPの由来と経緯については、以下に引用させていただいた記事がとても参考になったので、より深く知りたい方は併せて参照にしてはいかがでしょう。
1987年4月に国鉄が民営化に伴いJRに名称変更、日本たばこ産業が1988年10月からJTの略称を使い始め、1992年4月に農協がJAに、1993年5月にサッカーのJリーグが正式発足、といったふうに、“J”というのは80年代後半から広く使われ始めた略称である。“J”がジャパン / ジャパニーズであることは言うまでもない。ではなぜ“N”(ニホン / ニッポン)ではないのか。それはもちろん“海外から見た日本”という一度迂回した視線が込められているからだ。
J-POPの音楽性を大づかみすると、歌謡曲の「湿っぽさ」から距離を置いたポップスを志向している印象です。
昭和歌謡ならびにJ-POPの「すごい歌詞」については、こちらの記事を参照ください。
ポップス寄りの曲、ロック寄りの曲、ダンス音楽寄りの曲、R&B寄りの曲、ジャンルは多岐にわたりますが、加えて共通するのは万人に向けた聞きやすさではないでしょうか。
聴きやすいのに、(一部の人から)なぜJ-POPは嫌われるのか?
答えの一つに、タイアップなどのメディア産業との関連が挙げられます。
J-POPを取り巻く産業構造
90年代初頭以降、J-POPは若者向けドラマの主題歌、CMソングとして多くの人の耳に入ってきました。
「J-POPの全盛期」98年には、年間シングルセールス上位50曲のうち、タイアップがついたものは47曲。
J-POPの歴史はタイアップと共にあったと言っても間違いではないでしょう。
主題歌とタイアップの違う点は、タイアップが必ずしもドラマや映画、CMの商品そのもののために描き下ろされた曲ではないためです。
もちろん清涼飲料水のCMソングならばアップテンポの曲で「弾ける」「さわやか」のような商品に関連する歌詞を(あくまでイメージさせる程度に)盛り込んだりします。
一方、ドラマの主題歌は作品の主題のイメージ(ラブストーリーだったらバラード、暴力モノならロックかラップ調)これに、抽象的な作品のキーワードが歌詞に盛り込まれます。
近年では、物語の世界観と楽曲のすり合わせは行われていますが。
一目で分かる「キャラの立った」アーティストは、今もなおCMにも引っ張りだこです。
J-POP全盛期には浜崎あゆみ、矢沢永吉、安室奈美恵…これらのキャラクターと商品、楽曲がきれいに収まるか(逆に意外性を出すか)製作者たちの腕の見せ所でした。
この手法は、00年代以降もperfumeやAKB48、きゃりーぱみゅぱみゅ等でも積極的に行われています。
CMは長くても30秒、ドラマの主題歌でもフル・コーラスで曲が流れることはまずありません。
そこで印象的なサビのメロディーを際立たせることで、耳に入る時間が短くても「あ、この曲いい!」と思われるような曲作りが行われていました。
これは「音楽業界」「テレビ局」「広告代理店」三社の産業複合体が「どのポピュラー音楽が流行するのか=リスナーに消費行動を起こさせるのか」を決定する力を独占していた、ということを意味する。
烏賀陽 弘道・著『「J-POP」は死んだ』より引用
乱暴な言い方になりますが、90年代のメディア複合体によって「カッコいい」ものの価値観は定められていました。
バブルがはじけて、テレビ局や広告代理店は苦境に陥りました。 景気は悪くなりましたが、マスメディアが最も影響力のあった時代です。
ドラマで描かれたライフスタイル、J-POPで歌われた恋愛至上主義的な価値観、 これらの先には当時の若者たち(メインは団塊ジュニア世代)の消費行動がありました。
「音楽業界」「テレビ局」「広告代理店」は企業にとって都合の良い若者像を作り出すことに成功しました。 この流れを完全に過去のものにしてしまったのが、インターネットなのは言うまでもありません。
11年以降は「若者のテレビ離れ」と言われる時代になりました。
詳しくは以下の記事にまとめました。
J-POPファン同士によるマウント問題
90~00年代のJ-POPファンによるマウント問題は、地方や学校の文化レベルでも様々に温度差がある話ではあります。
ピンとこない人には、とことんピンとこない話でもありますがご了承ください。
たとえば、B'zのファンの男子(体育会系)がV系ファンの女子グループをバカにしたり…
バンドファンがJ-POPファンを「媚びた曲」と見下したり…
逆にインディーズバンド好きが、メジャーバンド好きに対して「ミーハー」だと見下す現象がありました。
多感な時期に自分の心をつかんだ音楽に対して絶対視、神聖視してしまうがゆえの現象でしょう。
音楽に限らず、思春期から青年時代に憧れた文化や価値観は、その人にとっての「個性」となってほぼ一生を支配します。
大人になって価値観は変わることもありますが、根っこにある部分は変わらないでしょう。
J-POPを否定するファンやミュージシャンの心理
これに対してバンドやミュージシャンの側はJ-POPをどう見ていたでしょう。
※]黒夢のメジャー4枚目のアルバム
「J-POP」というジャンル分けを嫌がるミュージシャンもいましたが、95~00年あたりまでの音楽業界におけるCDバブル全盛期と、広告代理店によるタイアップ戦略が当たりに当たった状況では、そんな声もかき消されていきました。
テレビを中心とするメディアは「不特定多数に均一な情報を届ける」性質を持っています。
なので、「自分たちが本当にやりたい音楽」「本当に聴きたい音楽」とはどうしてもズレが生じます。
J-POPは非常にリスナーの層が幅広いので、「アンチJ-POP」という音楽スタイルでも、タイアップがついてメジャーレーベルで一定のセールスを見込めるという矛盾した現象も起きました。
独立系レーベルによるインディーズシーンなどが盛り上がり、よりマニアックな音楽志向を持つ人たちの支持を受けました。
それに加え、J-POP的な文化に馴染めない人たちの受け皿にもなっていました。
J-POPは日本の音楽の「氷山の一角」に過ぎない。しかし大抵のリスナーにとっては「氷山」しか視界に入らない問題
いわゆるJ-POPのファンには、ジャンルとは別に様々なタイプが存在しています。
①主にテレビの地上波の『Mステーション』や『うたコン』などの歌番組で好きな歌手・アーティストの歌唱・演奏を楽しむ人たち。
②特定のアーティスト、グループの熱狂的なファンで、CDや配信などで音源は音源は購入するけど、ライブには稀にしか足を運ばない人たち。
③ライブ・フェス等イベントにも頻繁に足を運ぶ熱狂的なファン。
④いわゆる「追っかけ」で、ツアーは加えてグッズや限定商品などもコンプリートしないと気が済まないような人たち。
日本レコード協会によると、オーディオレコード(音楽を記録したCDやアナログレコード、カセットテープも含めた)売上額はJ-POP全盛期の1998年で6075億円(数字は日本レコード協会より)でした。
それが18年には1,576億円と約1/4にまで縮小しています。(参照:一般社団法人日本レコード協会 2018年のレコード生産・音楽配信の概況)
一方コンサートチケットの売り上げ額では98年が710億円。
18年では3448億円(参照: コンサートプロモーターズ協会)となっております。
J-POPは基本的に大手レコード会社に所属するアーティストですのでファンの総数は多いです。
が、言うまでもなくJ-POPが日本の音楽のすべてではありません。
クラシック(オペラ含む)やジャズに民族音楽、ノイズ系など数々の音楽ジャンルがこの世の中にはあり、それぞれのファンを楽しませています。
インディーズと呼ばれる、日本音楽協会に所属しない独立系のレーベルに所属するアーティストたちも数多く存在します。
インターネットの普及によって、アマチュアミュージシャン、コピーバンド等も含めて、たくさんの人に音楽を聴いてもらえる機会に恵まれました。
現在はyoutubeなどの動画サイトで、プロアマ問わず過去の名曲からマイナージャンルの楽曲を気軽に無料で楽しむことができる時代です。
しかし、以前はそうではありませんでした。
マイナージャンルのファンは輸入レコード店やライブハウスなどを巡って音楽を探し当てる必要がありました。
そうした状況の中で、J-POPが世の中の音楽の全てであるようなメディアの姿勢にはうんざりした人も多かったのではないでしょうか。
J-POPがダサいと感じる理由
ここまでJ-POPを取り巻く広告業界・メディアなどの産業構造を軸に書いてみました。
ネット上でも、J-POPはダサいという意見がチラホラと散見されます。
彼らの多くが「洋楽至上主義者」だったり、「音楽通」として一家言もっている人たちではないでしょうか。
音楽理論を駆使した高度な分析から、単なる感情的な批判まで玉石金剛ではありますが。
不特定多数に向けて作られた商業作品には、どうしても批判が付きまといます。
ここでは、まとめに代えてJ-POPがダサく感じられる理由をキャラクターたちに語ってもらいましょう。
※感想はあくまでも個人の主観です。
「日本のテレビドラマがつまらない理由」をこちらの記事にまとめました。
まとめ
20世紀はレコード技術の進化によって、ポピュラー音楽に革命が起きた時代です。
1887年に発明された円盤レコードは、1925年の電気録音方式をはじめ、音響・録音技術の進歩によってポピュラー音楽は絶えず進化していきました。
もちろん音楽を作るのは人ですが、録音技術の進化と作曲家のアイデアが相互に関係して数々の楽曲が生まれました。
それが消費社会の一翼を担う音楽産業に成長していきます。
広告事業とマスメディアもまた、20世紀に花開いた産業構造と言えるのではないでしょうか。
特に広告事業(CM)の出現は、それまでの産業構造からの大転換となりました。
民放テレビやGoogle検索やyoutubeなどが「無料」で楽しめるのは、広告主がお金を払っているからです。
乱暴なくくりになりますが、J-POPもこの流れに乗って隆盛をきわめました。
音楽CDは無料ではありませんが、CMやテレビの宣伝によって、多くの人たちの耳に届きました。
その結果、カラオケを含んだ消費行動に結びついたのでしょう。
その意味では、20世紀が生んだ最も重要な3つの産業構造の混合物であるといえるのではないでしょうか。
嫌われてしまうのは、「不特定多数の若者」をターゲットにしたがゆえでしょう。
もちろん名曲として歌い継がれるJ-POPも少なくはありません。
ヒット曲であっても、コアなファンには「物足りなさ」を感じるものはあるでしょう。
社会現象になったような曲やアーティストは、ファン同士のマウント取りなどもあり、いやな思いをした人は多いかと思います。
そんな愛憎が混ざり合いながら、J-POPは聴かれ続けていくのでしょう。