内向的な人と言っても、タイプは様々ですが、当記事では「どんなに楽しくても人と会うと疲れる人」を定義しています。
一方、外向的(あるいは社交的)な人は、「たとえ嫌な人でも、会うことが刺激になり、パワーの源になる人」と認識しています。
ここまで極端な人は少数派かも知れませんが、おおよそ「人と会うのが苦になる人」は、内向型と言えるのではないでしょうか。
一般的には外向的な人は60~70%と言われています。内向的な人は少数派なので、周囲から誤解を受けたり、嫌われてしまうこともあるかと思います。
この記事を書いている私は内向型です。コミュ障ではなく、むしろ得意だと思いますが、人と会った後は疲れ果ててしまうことが多いです。
ついでにHSP(過度に敏感な性質)でもあり、面倒くさい奴と言われることも過去にありました。
そんな私の体験談をもとに、内向型が嫌われてしまう原因と対処法をまとめてみました。
内向型が嫌われるのは会話のパス回しが苦手で「場の空気を盛り上げない」ことが原因
個人的な経験になりますが、外向型(と思われる)人たちと集まった際に、私が原因で会話のパス回しの流れを止めてしまったことが何度かあります。
他愛もない話題で盛り上がっているとします。
たとえば…
「唐揚げで勝手にレモンかけちゃうヤツありなし?」
「絶対ない。食べない」
「カリカリが良いのにねー」
「かけていい? って一声かければアリだよ」
……悪名高き唐揚げレモン論争という奴です。
「これってある種の同調圧力だよなー」
もちろん口には出しませんが、唐揚げとみんなの顔を交互に見ながら思っているわけです。
「声かければアリかな」
とか、生返事で言ったかも知れません。
当然、場の雰囲気というか、パス回しのリズムが崩れます。
本当にささいなことではあるのですが、内向型が嫌われる最大の原因はここにあります。
内向型の場合、つまらないことでも、意味もなく物事を洞察してしまう傾向があるので、社交型の掛け合い(コール&レスポンス)に対処できない場合が多いのではないでしょうか。
コミュ障に限った話ではありません。
内向型特有の「ノリの悪さ」はどこから来るのか
「何かいまいちノリが悪いっていうかー」
「ピントがずれてる感じ」
内向的な人で、このようなことを言われたことのある人は多いのではないでしょうか。
前項の「パス回し」もそうですが、場の雰囲気、会話の流れ、ノリ。
社交的な空間は、魔空間とも呼べるほど目まぐるしく場の空気が変わっていきます。
外向的な人は、まるでサーフィンでもするように場の空気に乗って会話を楽しんでいきます。
そこにはユーモアやエスプリなど機知に富んだ会話術なんてさほど意味がありません。
最低限必要なのは、場の空気に合わせた「ノリ」だけです。
空気を読むとも言いますが、内向的な人は決定的にこれが苦手な人が多い印象です。
なぜ内向的な人に「ノリが悪い人」が多いかですが、理由は会話の流れや意味を吟味しているからだと思われます。
外向的な人は、そこまで意味を咀嚼しないで、場の空気を重視します。
外向型は会話そのものが目的であり、内向型は会話の中に意味を求める
外向型にとって会話とはみんなが集まって楽しく話すこと自体にゴールがあるのではないでしょうか。
なぜなら楽しい集まりは彼らにとって活力となり得るからです。
逆に内向型は会話自体よりも、その内容や雰囲気などに意味を持たせたがるものです。
なぜなら社交自体は疲れるものだから、何か一つでも有意義な知識や経験を持って帰りたいと思うからです。
内向型が嫌われないために必要なのは無理をしないこと
内向型が無理をして人付き合いを続けると、相当の確率でボロが出ます。
なぜなら、その付き合いは楽しくないからです。
楽しくない様子は、表情やちょっとした仕草にも表れてしまいます。
そうなると大抵、誰かしらに陰口をたたかれるか、嫌われていくのではないでしょうか。
コミュニケーション能力は解決策にはなりません。
内向型が努力の結果としてコミュ力を身に付けたとします。
しかし外に出て人と会うことでエネルギーを得る社交型と、逆に消耗する内向型ではそもそも土俵が違うのです。
外向的な人にとってのコミュニケーションは活力源。
内向型の活力源は1人で好きなことをしている時です。
この社会の多数派は外向的な人なので、教育やテレビなどの娯楽も含めて、「人と会うのは楽しい」という価値観を刷り込まれて私たちは生きています。
内向型にとって本当に人と会うのは無条件に「楽しいこと」なのでしょうか?
もちろん底抜けに楽しかったこともあるでしょう。
でもそれは、出会いから得た何かの感動が原因であって、決して出会いそのものが楽しいわけではありません。
出会いから得られる「価値観」「発見」「意味」等が、私たち内向的な人間にとつての「楽しいこと」なのではないでしょうか。
内向型の人が嫌われたり、苦しんでしまうのは外向的な人の価値観にムリムリ合わせてしまうことにも原因があるような気がします。
外向型のように外に出て、人に会うのが活力になるわけでもないのに、「人と会うことは絶対に楽しいこと」として認識されていることにあるでしょう。
そもそも人付き合いの目的自体が違うので、無理をして合わせる必要はありません。
出会いから得られる「何か」に意味を見出していけば、たとえ内向型でも人付き合いは楽しくなっていくはず……ではないでしょうか。
内向型と外向型では同じ悪口でもダメージが違う
ここまで書いておいて実もフタもないことですが、案外ご自身の思い過ごしで「嫌われていない」パターンも存在します。
たとえば、何かの拍子で相手に嫌な思いをさせてしまった場合。もちろんすぐに謝るのですが、何となく気まずい思いをしてしまう。
相手が社交的な人だったりすると、案外気にしていなかったりするものです。
内向型や繊細なタイプには取り越し苦労をしてしまう傾向があるので、心当たりがある方もおられるのではと思います。
内向型から見ると、外交的な人は「鈍感」に感じることも多いのではないかと思います。
もちろん社交的・外向型の人でも神経質なタイプや繊細な方はいますので、おおまかな傾向としてお話しています。
内向型と外向型とでは同じ言葉でも、受け取り方にダメージ補正があるのではないでしょうか。
たとえば、悪口で外向型の人が50ダメージを受けるような言葉があるとしましょう。
内向型の人は70ダメージくらい受けてしまうような印象です。
逆もまた然りなので、外向的な人に「お前めんどくさい奴だな」と言われても、相手はそこまで嫌だとは思っていなかったりします。
もちろん人によってメンタルには相当差がありますので、内向型でも30ダメージで済む人もいれば、外向型でも100ダメージを受ける人もいるでしょう。
悪口にはコンプレックスや本当に言われたくない「NGワード」も人によって違いますので一概には言えませんけれども。
内向型が嫌われてしまったり、傷ついてしまった場合は無理に人間関係にこだわることはありません。
単独でもできる趣味か、リラックスできることに心を傾けたほうが心の栄養は補給できると思います。
大丈夫です。友達などいなくても、現代社会では少しもみじめに思う必要はありません。
まとめ
内向型・外向型を問わず、人間は社会的な動物であり、集団で知恵を寄せ合い作業をすることで、ここまでの文明を発展させることはできました。
増えすぎた人類をスペースコロニーで宇宙に移民させることは実現できていませんが、インターネットは想像以上に発展し続けています。
人と人をつないでいく協力や共感、サービスなどは人類には不可欠なことなのは間違いないでしょう。
何かとコミュニケーション能力が問われる時代にあって、内向的な人の生きづらさを軽減する一助となれば幸いです。