独特の音楽性と表現力で平成初期を彩った伝説のバンド「たま」
ブレイク期間が短かったためか、個性が強すぎたためか、直接的なフォロワーは生み出さなかったように思えますが、音楽シーンに与えたインパクトは絶大なものがありました。
メジャーを引き受けず、それぞれが独自の道を行った「たま」について語ります。
たま(バンド)とは
たまは昭和59年(1984年)に3人で結成されたバンドです。昭和61年(86年)に4人体制になり、インディーズレーベル「ナゴムレコード」から『でんご』『しおしお』2枚のアルバムをリリースします。
平成元年(89年)深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』「イカ天」に出演し、その独特なファッションと楽曲の世界観がお茶の間の度肝を抜きました。
文字通り一夜にして有名になりました。
90年にメジャー・デビュー。『さよなら人類』はオリコン初登場1位、売上げ58.9万枚を記録し、その年の『NHK紅白歌合戦』にも出演しました。
その後、ブームが下火になって次第にヒットチャートやメディアに現れることもなくなっていき、96年には3人体制になりました。
以降もマイペースに活動を続けていましたが、03年に解散。
いわゆるブレイクしていた期間は短かったですが、その強烈な独創性と個性は、唯一無二のものでした。
もっと「たま」を知りたい方へ
今回この記事を書くにあたって、「たま」という船に乗っていた/石川浩司著を参考にさせて頂きました。
当事者による記録は、文字通り超一線級の資料です。
なお、現在は絶版ですが、石川浩司のサイトにて無料で読むことができます。
当時のメディア・マスコミなどの様子も生々しく書かれているので大変参考になります。
そして、こちらのサイトはリアルタイムではない方の記事ですが、非常に濃い内容です。
たまのメンバーと音楽性
知久寿焼(ちく としあき) ボーカル、ギター、ウクレレ、ハーモニカ等
オカッパ頭にちゃんちゃんこ(冬季はどてら)足元は下駄というスタイル。
猫背でギターを肩から紐でかけて歌います。
昭和の夕焼け空のような、悲しい歌声が特徴です。
たま出演時の「イカ天」で審査員をしていたオペラ歌手の中島 啓江氏は歌唱力を絶賛しています。
『らんちう』では、アングラ演劇のようなシュールでノスタルジックな世界観を展開しています。
石川浩司(いしかわ こうじ) ボーカル、ドラムス、リコーダー等
通称「たまのランニング」ドラマ『裸の大将』山下清のような恰好でドラム(風呂おけや鍋なども含む)を叩きます。
リードボーカルで歌うときは狂気を秘めた満面の笑顔で歌います。
地声から急に叫んだり、語りだしたり目まぐるしく変わる賑やかな歌い手でもあります。
『学校にまにあわない』は、6分以上の大作ですが、曲調が目まぐるしく変わる複雑な楽曲です。
石川氏の作風は一見、牧歌的な雰囲気の中に、突然ギョッとするような感覚が混ざりこみます。
人と違う独特の視点と感性が、楽曲に現れているように感じます。
柳原幼一郎(やなぎはら よういちろう) ボーカル、アコーディオン、ピアノ等
96年に途中脱退しました。大ヒット曲『さよなら人類』の作者です。
基本的にたまの楽曲は作曲者がリードボーカルを務めるため、柳原氏の脱退後は同局は封印されました。
独特のポップさを持つたま屈指のメロディーメーカーです。
歌い方も独特で、ポップな中にもどこか退廃的な雰囲気もあって一筋縄ではいかない印象です。
個人的な印象ですが、ドレスコーズの志摩遼平氏は、ひょっとしたら歌い方で影響を受けているのかな?
と思うのは気のせいでしょうか…
滝本晃司(たきもと こうじ) ボーカル、ベース等
たまがベーシストメンバーを募集したときに加入されたそうですが、一度もベースは弾いたことがなかったといいます。
物憂げな雰囲気を持った方で、大正時代の詩人のような印象を与えます。
彼のボーカルは少し虚無的でロマンティックで、たまの中ではもっとも大人っぽく感じます。
たまが独立した際にも社長に就任していますが、どうもじゃんけんで決めたとか。
彼の作で個人的に好きな曲は
『海にうつる月』
繊細な雰囲気のバラードでリズムが素晴らしく、静かな夜の海を表現しているとてもキレイな曲です。
たまは全員が作曲ができ、歌うこともできるので、ブレイク当時は「日本のビートルズ」とさえ言われました。
たま解散後の活動
解散後も彼らはソロ活動などで音楽を続けております。
知久氏と石川氏はソロ活動の他、パスカルズという14人編成のアコースティックオーケストラ的なグループにも所属しています。 パスカルズ
柳原氏の公式ウェブサイト Yananet 柳原陽一郎 オフィシャルサイト
滝本氏の公式ウェブサイト 滝本晃司のウェブサイト
それぞれが、自分のペースで好きな音楽を表現し続けているのはネットを通じて知ることができます。
メディアの意向に左右されないで、のびのびと表現活動を続けている姿はとてもカッコいいと思います。
自分にとっての「新しいこと、楽しいこと」をやりたかった。
そしてあくまで俺の予想だが、他のメンバーにもそれぞれ差はあるにしても、そういう部分はあったのではないかと思うのだ。
なんせ「好きなことしかやりたくないも~ん、へへ~ん」のワガママな俺達なのだから。
引用元:「たま」という船に乗っていた/石川浩司著
ナゴムレコード時代について
たまを語る上で忘れてはいけないのが、ナゴムレコードというインディーズレーベルです。
主宰者はバンド『有頂天』のケラ(現ケラリーノ・サンドロビッチ)氏です。
名前の由来は先鋭的な活動をするからレーベル名くらいは「和む」がいいとのことで決められました。
ケラ氏言うところの「はぐれものとか、弱者とかの為の音楽をやってる人達」を積極的に取り上げる「異能者」のためのレーベルです。
たまの音源が世に出ることになるキッカケのひとつは、ナゴムレコードにデモテープを送ったことも関連しています。
ナゴムについては当ブログの方向性にも相当な影響を与えているので随時語っていくつもりです。
そうそうたるたま好きな著名人
たまの特徴は、多くの業界人に好かれたことも挙げられます。
エッセイスト、イラストレーター、ライター、コラムニスト、漫画家、ミュージシャンなどでたまのファンを公言する人は非常に多いのではないでしょうか。
※これら「たまファンの有名人」についての記述は石川氏のサイトを参考にさせて頂きました。 たまファンの有名人
リアルタイム「たま現象」目撃記
まとめ
いかがでしたか。
平成最後の日に書いた記事が、「たま」に関してのものになってしまいました。
たまはブレイクしていた期間は短かったものの、03年(平成15年)まで活動を続けていました。
平成を駆け抜けたモンスターバンドや歌姫とは一線を画した「たま」の活動は、内向的な私の心に残り続けております。
記事のリライトは定期的に続けておりますが、当ブログはあえて「たま」で平成時代を締めくくりたいと思います。