こんな方におすすめ
- 中二病をこじらせた過去を持つ人
- 過去の痛い言動が恥ずかしくて仕方がない人
- 現在進行形で中二病のお子様を持つ親御様
かつて重度の中二病(邪気眼系!)であり、痛い過去を嫌というほど積み重ねた筆者だから語れる、「痛い」状態から脱出する方法を紹介します。
実もフタもない言い方になりますが、かかっているときは意外と自分が中二病だと気が付かないものです。
どちらかと言えば、中二病から醒めたばかりの「過去を捨てたい!」「恥ずかしい!」という気持ちに寄り添った内容です。
中二病そのものを否定する記事ではありませんのでご了承ください。
中二病は「病気」ではない
中二病の分類と詳細については以下の記事をご覧ください。
中二病は医学上の病気ではありません。
思春期に見られる背伸びした趣味や極端な価値観、痛々しい言動などを指す言葉です。
感受性が強く、繊細な人ほどなる可能性があります。
中二病の痛い行動(一例)
- 学校内で「悪霊を封印するため」ほの暗いところに魔方陣のシールやお札(月刊〇ーの付録)を貼っていた
- 闇キャラを演じて、誰もいないところで「クククッ」っと笑ったことがある。
- 目が隠れるほど前髪を伸ばして登校し、教師に怒られたので早退。
- やり方も分からないのにタロットカードを持ち歩き、学校の机の中などに忍ばせていた。
- 中学生なのにサングラスと黒いロングコートで繁華街をうろつく。
これらはあくまで一例であり、痛い行動とは人それぞれです。
もっと極端な例もあれば、さほどでなくても恥ずかしい例はあります。
どちらにせよ、「中二病真っ只中」であるうちは本気です。
醒めて初めて、過去の痛い行動に恥じ入る場合が多いのではないでしょうか。
もし、この記事を読んでいる方で「それ、うちの子もやってる!」と思い当たった親御様!
身内に中二病と思わしき少年少女がおりましたら、決して頭ごなしに否定しないでください。
中二病は、分かりやすい反抗期とは違い、少し歪曲したり屈折した形で世の中に自分をアピールする手段です。
基本的には感受性が強くで内向的な人間がなる傾向があります。
思春期の精神の発達に伴って、これまで両親や社会から学んできた「当たり前」のことを疑う気持ちが芽生えてきます。
それとともに、「自分は特別な存在じゃないのか」「本当はすごい可能性があるんじゃないのか」
一方で、中二病にかかった当人も薄々は理解しているのです。
今の自分では、勉強しても学年で一番にはなれないし、どれほど運動してもトップアスリートにはなれない。
だから、違う生き方や価値観を模索して、極端だとしてもそれにすがりつく。
妄想の中に一縷の望みを託す。
そんな思いが、奇矯(ききょう)な振る舞いや極端な価値観に走らせます。
自分なりに分析してみると、中二病時代は世の中の「当たり前」なことがとてもつまらなく思えるものでした。
だから、もっと凄い価値観、勇者や魔王などのファンタジーや超世界(マンガで育った中学生の発想の限界まで)精神を飛躍させます。
この感覚は中二病経験者でないと理解してもらえないと思いますが、本人は大まじめに考えているのです。
世の中には信じられないほどチャラい人間がいたりしますが、不真面目な中二病はいません。
身内の方は絶対に、笑ったり馬鹿にしたりしないでほしいと思います。
そして、中二病は自然と収まるものです。無理をして否定しなくても大丈夫。
「中二病」の過去を否定して生きることをオススメしない理由
「あの頃の自分はどうしてあんなバカなマネをしたんだろう…」
まるで犯罪者の悔恨のように聞こえますが、ほとんどの中二病は犯罪とは無縁です。
しかしひょんなキッカケで痛い過去を思い出すと、恥ずかしさのあまりもだえ苦しみます。
なぜでしょう?
それは自分の考えがあまりにも極端であったために、社会的に受け入れられる可能性が0だと気づいたからです。
そして、冗談半分ではなく本気で信じたからなおさらです。
たとえば勇者の生まれ変わりだと本気で信じて、放課後の校門の前で異世界からの使者を待っていたり…
意味もなく眼帯をして登校したり、けがをしていない(すでに治った)のに、包帯をして登校したり体育の授業を見学したり…
この程度なら自分が恥ずかしいだけですみそうです。
しかし反社会系を気取って「独裁者や犯罪者に憧れる旨の発言」をしてクラスでひんしゅくを買った人や、
友人に嘘を言ってバレた経験がある人は、過去を全力で否定したい気持ちにもなるでしょう。
バレンタインデーに自分で買ったチョコを「よその学校の女子からもらった」なんてこともあるかもしれません。
ハードなものになれば爪や血液入りのバレンタインチョコを渡したり、渡されたり。
くわしくはこちらの記事にまとめました。
過去の自分を捨てるのは一見、楽に思えますが、どこかで無理が生じます。
置き去りにしてきたかつての「痛い自分」が、ひょんなことから姿を現します。
思い出したくない過去を「黒歴史」として封印したつもりが、かえって意識してしまってツライ…
逆説的ですが、中二病を頑なに否定する、極端に偏った価値観はまさしく中二病的なものです。
「やっちまったけど…まぁ仕方がないか」
程度に考えられると良いと思います。
痛い過去と和解する方法
中二病が醒めたばかりの頃は特に、過去の自分を猛烈に否定したい気持ちになります。
かつて好きだったアニメやゲームを「中二病っぽい」という理由で嫌いになったり、否定したりする人も多いでしょう。
自然な感じでその手のコンテンツから卒業していけるのならば理想的ですが…
中二病経験者の心は頑なになってしまう傾向があります。
自分と対話することで、こわばった気持ちを解きほぐしてみることをオススメします。
全力でやってきた「痛い行動の数々…」
受け入れるのには抵抗があると思います。
しかし冷静に考えると、方向性が違っただけで、のめり込んだ情熱自体は間違いではない。
そんなふうに考えられないでしょうか?
ちょっと自己弁護かも知れません。
私を含めて、痛く恥ずかしい過去を持つ人がいます。
そして、それを影で笑う人たちがいたとしましょう。
笑う人たちは何かを全力で追い求めた人たちでしょうか?
痛い過去を持つ私(たち)は、彼らにとって面白い、笑いの種かも知れません。
逆に考えてみましょう。
私(たち)を笑った人たちは、面白い人たちでしょうか?
全力で道を間違えた(犯罪者でもない)人間をバカにしたり笑ったりするのって、カッコいいですか?
確かに私を含めた中二病経験者って、痛いしカッコ悪いかもしれません。
でも、人を笑いものにする人間の方がずっとカッコ悪いと思いませんか?
笑われるくらいに何かをやらかした人の方が、面白いことができそうな感じはしないでしょうか?
大丈夫な感じがしたら、しめたものです。
私の場合はこんなふうに思って「痛い過去の自分」と和解しました。
人によっては、これ自体が「こじらせてる状態」と思うかもしれませんが、自分では心の底から納得のいった答えです。
「サブカル系中二病」が本格的にこじらせてしまうパターン
今回取り上げた中二病は主に「邪気眼系」と「反社会系」を中心に話を進めてきました。
基本的にこの2タイプの中二病は極端な分だけ醒めるのも早いです。
遅くても30歳頃までには、恥ずかしい過去とどう向き合うか(あるいは切り捨てるか)大人の道を歩みます。
ところが厄介なのが「サブカル系中二病」です。
中学生の頃に背伸びしてマニアックなサブカルチャーに走った結果、それ自体は趣味が良いものが多いだけに、否定されにくい。
また、年を取ってから改めて良さが分かったりします。
こうなってくると、「サブカル系中二病」が「意識高い系」にシフトしたと言えるでしょう。
「評論家モード」と言っても良いでしょう。
中二病が「痛い記憶」として残らないため、中二病的な視点を残したまま大人になっていきます。
彼らのややこしい点は、中二病的なスタンス(売れ線・流行モノに批判的)でモノを言っているにもかかわらず、おおよその論点(内容と文脈のおさえ方等)は間違っていないことです。
本人に自覚がないだけで、見る人が見たら痛い表現が結構あります。
私も人ごとではないので要注意なところですが、極端に偏った視点から書かれた記事は、思わぬ批判を呼ぶこともあるので注意が必要です。
まとめ
いかがでしたか。
中二病の治し方について、決して中二病自体を否定しない方向性で書いてみました。
痛い過去と和解する方法は人それぞれですので、この記事の考え方が正しいとは言い切れません。
社会人になって、社会の価値観を叩き込まれたり、忙しい日々を送っていれば、自然と「中二病」は治る。
…なんて意見もありますが、私にとっては乱暴なアドバイスだなと思ったのが、この記事を書いた理由でした。
「すべての元中二病経験者が胸を張って生きられるように」
そんな気持ちで書いてみました。
参考になりましたら幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。