80年代ツッパリが熱い?
18年に放送されたドラマ『今日から俺は!』で注目を浴びた80年代のヤンキー文化。昭和のツッパリたちはどんなライフスタイルを営んでいたのでしょうか?
ドラマや漫画などで描かれる80年代の不良、ツッパリの生活は喫茶店でヒロインと会ったり、工場跡や空き地でライバルの不良グループとケンカに明け暮れたりしています。
実際のところ、どうだったのでしょう?
80年代のヤンキーを3タイプに分類
当記事では80年代のヤンキーのライフスタイルに焦点を当てていますが、ヤンキーの定義や歴史などは以下の記事に詳しくまとめてあります。
①純愛硬派熱血タイプ
ヤンキー漫画などでは主に主人公として描かれますが、現実ではあまりお目にかかれないタイプです。
硬派で義理人情に厚く、弱い者いじめや卑怯なふるまいを嫌う特徴があります。 周囲の大人たちや教職員たちには白い目で見られても、不良グループ内では人望があり、社会のルールよりも仲間を大切にする義侠心に溢れた人物です。
一般でも個人経営のバーや老舗の大衆食堂などの名物店主や、夏祭りで派手に神輿を担ぐ姿が目立っている人など、意外なところで語り継がれる元・硬派な人もいます。
どの町にもいた?「伝説の先輩」
②ナンパ系?お調子者タイプ。
カッコいいからといったノリで悪に憧れたり、非行に走ります。
調子よく女の子に声をかけて、呆れられますが本人はケロッとしています。
基本的には善人ではありますが、調子に乗りすぎて警察沙汰になることも。
非行に走った原因としては、深い事情というよりも周囲の影響(リアルの交遊関係のみならずメディア等)が挙げられます。
③無法者タイプ。
非行、迷惑行為の範囲にとどまらず、ニュースになるような犯罪に手を染めたり、反社会的な組織に所属し、一般社会に戻れなくなったタイプです。
当ブログでは明るく楽しく、ちょっとマヌケな愛すべきヤンキー記事を目指しています。
ここで取り上げる「ヤンキーの生態」について。
当時の若者の生活基盤と言っても、都市部と地方、または地域によっては千差万別です。この記事で書かれているヤンキーの生活はあくまでも筆者が見聞きした情報と当時の雑誌、メディアなどで取り上げられたヤンキーのイメージから複合的に考察したものです。
ここでは、主に郊外の地方都市に住んでいた不良少年や少女たちの日常風景を取り上げています。
なにぶんにも実体験に基づいたイラストを交えた古い時代の話に加え、主観的な考察も交えていますので、情報の信ぴょう性を保証するものではありませんのでご了承ください。
80年代ヤンキーの一日(登校・授業風景)
理不尽な校則・ブラック校則についてはこちらの記事もオススメです。
授業中にまわってくる紙屑のメッセージ
80年代ヤンキーの一日(放課後の風景)
ヤンキーとバイト
80年代ヤンキーの恋愛事情
恋した女は数知れず愛した女はお前だけ
一生一度の愛ならば命かけて守ります。
たとえ我身が朽ちようと咲かせて見せよう愛の華
卒業式は修羅の世界?
70年代~80年代の荒れた学校の卒業式の前後の時期には大量の窓ガラスが割られる事件が多発しました。
70年代末~80年代初頭にかけて吹き荒れた校内暴力の嵐ですが、校則を厳格化し、強面の生活指導教師などの強い指導の影響で80年代半ばから後半にかけては一気に収束していきました。
ただ、少なくとも自分が知る限り、実際にそのような暴力沙汰は稀な印象です。もちろん地域や年代にもよりますが、当時の新聞や週刊誌を賑わせていた校内暴力などを実際に目にする機会はありませんでした。
一方で不良たちが語る「武勇伝」は尾ひれがついて壮絶に広まっており、思いもよらない人(教師を含む)から「お礼参り」などの話を聞きました。
まとめ。80年代ヤンキーの「生活」とは
80年代の不良は大ざっぱに以下の3タイプに分けられます。
- 純愛硬派熱血タイプ =曲がったことが大嫌いで一途な純愛硬派タイプ。古き良きバンカラのイメージ。ヤンキー漫画の主人公像。現実のヤンキー世界では希少種。
- ナンパ系?お調子者タイプ=80年代の主流派ヤンキー。現代でも「昔はヤンチャしていた」を自分から語るタイプ。
- 無法者系=日常的に暴力や犯罪行為を行う者。ニュースになるような少年犯罪を起こす者や、反社会的な組織に入る者も多い。漫画では主に悪役として描かれるタイプ。
80年代はポップでカラフルなイメージがあり、70年代までのシブいツッパリ、不良文化も明るくおちゃらけた雰囲気に変わりました。
また『ビーバップハイスクール』などに描かれる不良のライフスタイルをマネする若者たちがツッパリファッションを楽しむなど、メディアからの影響もかなり大きかったと言えます。