「クリぼっち」とは「クリスマスを1人ぼっちで過ごす」ことの略称です。
2012~13年頃から若者たちの間で言われるようになりました。
背景には「クリスマスは家族やカップルで過ごすイベント」という風潮に対するアンチテーゼがあります。
なぜ、キリスト教徒が多数派ではない日本でクリスマスが定着し、「カップルのためのイベント」になったのかも併せて紹介します。
時代の流れとともに、おひとり様クリスマスが主流になる経緯も考察しています。
クリぼっちを全力で楽しむ前の心がまえ
12月になるとクリスマス商戦が始まります。
言うまでもありませんが、厳格なキリスト教徒にとっての祭事クリスマスとは次元の違う、単なるお祭りか商機に過ぎません。
所詮は365日の中の1日~2日。
イヴイヴも含めたらたかだか3日のために、なぜカップルで過ごさなければならないのか。
若い世代ほど「クリスマスはカップルで楽しむもの」という先入観は持っていないようです。
それはなぜでしょう?
若い人たちにとっては「生まれてもいないバブル時代の流行」の焼き直しに過ぎません。
バブルを知らない人でも、直感的にクリスマスってバブルっぽいと感じませんか?
続く90年代「恋愛至上主義」もSNSでの承認欲求が満たされることで代替可能です。
非キリスト教圏である日本にクリスマスが根付いた歴史は後述しますが、
「クリスマス=カップル」なんてものは、
マスメディア全盛期に広告代理店等が主導した、たかが30年のマーケティング戦略の産物でしかありません。
内向的な人にとって、「クリスマスは誰かと過ごさなければ…」
という強迫観念は苦痛以外の何物でもありません。
どうしてもクリスマスを誰かと過ごしたいのならば気になる人に声をかけるなり、マッチングアプリを利用するなりしてお好きに楽しめば良いでしょう。
内向的な人が心から「クリぼっち」を楽しむためにはメディアによる刷り込み、周囲からの同調圧力を解放しなければなりません。
幸いにして、近年メディア側からも「おひとり様で過ごす○○」という助け船が出ています。
せっかくなので「クリぼっち」を楽しみましょう。
1人クリスマスパーティーは意外と楽しい
「カップルで過ごす」という先入観と強迫観念を払拭したら、意外と楽しいのが1人クリスマスパーティーです。
普段食べられないごちそうを、誰に気を遣うこともなく存分に食べられるのですよ!
ケーキだって独り占めです!
チキンも人目を気にせずガツガツいけます。
アルコールが大丈夫な人ならスパークリングワインも雰囲気を盛り上げます。
苦手な人はノンアルコール乾杯飲料か炭酸水も良いでしょう。
私は誰かといるときはけっこう気を使ってしまうので、この手の1人パーティーで開放感を味わうのが好きです。
気を使うタイプの内向型の人には特におススメです。
普段は「失礼のないように」「油断しないように」生きている人たちが唯一「ヒャッハー!」を味わえる時間。
どうしようもない邪な妄想だろうと、突然寝っ転がって足をバタバタさせようと、思うがままです。
クリスマスは神社にお参りしよう!
家来のいない王様の話が出たところで視点をさらに高くします。
想像してみてください。
仮にあなたが神様だったとします。
そもそも異国の救世主の誕生日にですよ!
敬虔なキリスト教徒でもない奴らが浮かれ騒いでいる中でですよ!
八百万の神々を参拝に来てくれる人をどう思いますか?
私だったら「全力で願いを叶えてあげよう!」と思いますが、あなたはどうです?
初詣なんて正直人が多すぎて…
「いちいち全員の願いを叶えてやるのもめんどくせえな」
とか思いませんか?
クリスマスなのにわざわざ神社に来てくれたら神様だってうれしいはずです。
ちょっと無理めなお願いでも、叶えてくれそうな感じがしませんか?
私もクリスマスは日本の神様に参拝する予定です。
「大ヒットとアニメ化を祈願」してきます。
特に気にしないのもアリ
世間がクリスマスだと騒いでいても、興味がなければ気にする必要はありません。
無理に予定を入れずに仕事をするのも良いでしょう。
恋人がいたらその限りではないですが、当記事の趣旨ではないので割愛させていただきます。
ジョージア缶コーヒーのキャッチフレーズではないですが、「世界は誰かの仕事でできている」
クリスマスだろうと平日だろうと正月だろうと仕事をしていれば「仕事の時間」です。
もちろんブラック企業等の理不尽な労働環境を肯定する意図はありませんけれど。
当記事では『クリスマスを一人で過ごしても何の問題もない』というテーマで書いています。
誰もがクリスマスに特別な感慨を抱く必要はありません。
単なる1日として普段通りに過ごすのも良いでしょう。
本を読んだりDVDを観たりして教養を深める
ゲームでも良いでしょう。
クリスマスに関する宗教的、歴史的な背景を調べるのも良いでしょう。
カトリック教徒ならば「ミサ」に行きます。
プロテスタントであれば「礼拝」ですね。
宗教儀式なのでカップルかそうでないかなんて問題ではないのですけれども。
宗教的な見分を広めるためにも、ミサや礼拝に行ってみるのもいいかも知れません。
キリスト教信者でなくても、行けるみたいですよ。
しかしまあ、内向的な人と言えばインドア派ですよね。
周りを気にせず、好きな映画のDVDや配信を視聴したり自分の好きなことを楽しむことは人生を豊かにすることでもあります。
1人の時間にしかできないこともあります。
当ブログはオタクが書いているのですが、もっと幅広い知識があればと常に飢えている状態です。
「好奇心の窓」を閉ざさずに、年を重ねてもステキな作品を楽しんでいけたらと思っています。
では続いて、日本人がクリスマスを祝うようになった経緯を見てみましょう。
日本人がクリスマスを祝うようになった経緯
日本人がクリスマスを祝うようになったのは、意外に古くて明治時代からです。
当初は横浜の外国人居留地など、限られた地域で祝われていました。
それが全国的に広まったのは、日露戦争後です。
大正時代にはプレゼントを贈る習慣も始まりました。
もちろん国民の大多数がキリスト教徒ではない日本人です。
室町時代末期のイエズス会に始まって、明治維新以降も宣教師たちは熱心に布教活動を続けました。
現在、日本のクリスチャンは人口の1%以下と言われています。
キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝い、結婚式は教会で行うのが一般的です。
それがどうして定着したのか…?
ひとつのキッカケとして考えられるのが「先帝祭」です。
大正天皇が崩御されたのは大正15年(1926)12月25日でした。
戦前の昭和ではクリスマスは「先帝祭」でもあり、祭日でした。
当時は西洋由来のモダンな文化がもてはやされた時代です。
流行の最先端のモダンボーイ、モダンガールがカフェやダンスホールで青春を謳歌しました。
しかし1912年に日中戦争が勃発すると、非常時となりクリスマスで騒ぐことは禁止されます。
そして敗戦後になるとアメリカの進駐軍などの影響もあり、クリスマスは異様なほどの盛り上がりを見せることになりました。
高度経済成長期を迎えると、サラリーマンたちは郊外にマイホームを建てるようになります。
以降、バブル期までは基本的にクリスマスは「子供のための催し物」となりました。
「カップルでクリスマス」はバブル時代の残影
1983年頃になると、大人のカップルがクリスマスに街に出る光景が目立つようになっていきます。
就職も超売り手市場で、一説では就職説明会に出ただけで交通費が出たり
他の会社に行かないように「内定拘束」といって観光地のホテルに軟禁したり、夜は懇親会と称してどんちゃん騒ぎ…
バブル経済が始まった86年には若者カップルが高額なブランド店で身の丈に合わないプレゼントをするというような風潮が生まれました。
この時の狂騒は、マスコミなどでもこぞって取り上げられました。
バブルがはじけた90年代中頃になると、さすがに高額なプレゼントはすたれました。
しかしなぜか「クリスマスはカップルで過ごす日」という概念が肥大化し、独り歩きします。
当時はオウムによる一連の無差別テロ事件や少年犯罪など、暗い世相とは相反するようにクリスマス×カップル神話は盛り上がりを見せていました。
オウム事件については以下の記事にまとめてあります。
クリスマスと「リア充至上主義」が重なった00年代初頭
この時代に一世を風靡した青春パンクのGOING STEADY(ゴーイング・ステディ)銀杏BOYSは、 峯田和伸氏による歌詞は、当時の非リア充のもどかしい思いを生々しく伝えています。
クリスマスイヴまでにあの娘に告白できるかなあ
この命とひきかえに こんなに素晴らしい 世界を贈ろう
出典:『惑星基地ベオウルフ』作詞・作曲: 峯田和伸
峯田和伸氏の世界観で描く「キラキラ輝く世界」に対する鬱屈とした切ない思いは、当時の若者たちのリアリティを体現していました。
青春パンクについては以下の記事にまとめました。
青春パンクはなぜ流行しオワコンになったのか 年代別邦楽パンク考察
メディアを通じて世の中の価値観をリードするような風潮に、批判の声を向けたのは当時のネットユーザーたちも同様でした。
背景にあるのはマスコミなどのメディアが主導した「リア充至上主義」「カップル至上主義」に対する反発です。
この風潮は、彼らによって茶化されたり、自虐的なネタにされたりしました。
ちょうど、メディアを介さなくても個人で情報発信される時代の到来と共に「クリスマスカップル神話」は徹底的に茶化されます。
09年ころから「クリスマス中止」のお知らせがネット掲示板やSNSなどで毎年のように「告知」されるようになりました。
クリスマス中止のお知らせ
20〇〇年12月24,25日に開催予定のクリスマスは、昨今の経済情勢の悪化に伴い中止となりました。
本決定により、クリスマスイブも中止になります。中止、ならびに本告知が遅れたことにつきまして、楽しみにしておられた方々、及び関係者各位には謹んでお詫び申し上げます。
つきましては、クリスマスイブ・クリスマスの間は、目的のいかんを問わず外部・公共の場での男女間の接触が禁止されております、クリスマスイブ・クリスマスが終了するまで延期するようお勧めします。
「若者の恋愛離れ」と「おひとり様」歓迎ムード
10年代になると「若者の恋愛離れ」「恋愛はオワコン」というような空気が蔓延します。
一方で、SNSでの承認欲求の方が、身の回りにいる異性からモテることに取って代わりました。
TwitterやInstagramなどで、いかにフォローされるか、共感を得るかが現実の恋愛よりも重要と考える若者も一定数います。
SNSを通じて、男女ともに「本音」の部分が可視化されたことも影響があるでしょう。
男女を問わず、
「恋愛って面倒くさい」
「コスパが悪い」
「デートも何かと面倒」
事実、内閣府の「結婚・家族形成に関する意識調査」で「恋人が欲しいですか」という質問に対して
全体(20~30代)では、「恋人が欲しい」は 60.8%。
20代の男女4割が「欲しくない」と答えています。
平成26年度「結婚・家族形成に関する意識調査」報告書(全体版)
趣味や価値観の多様化と恋愛することの乖離の大きさではないかと。
私たちの数限りない娯楽の中から好きなものや自分に合ったものを選択します。
SNSなどを通じて、共通の趣味のカップルが誕生したり、結婚に至る幸せなケースも多いでしょう。
マッチングサービスなどを利用して出会いを求める人もいるでしょう。
しかし恋愛・婚活マニュアルは陳腐なほど画一的な内容です。
男女ともに恋愛をするためのハードルが高すぎるのと、我慢することが多すぎる。
仕事が忙しすぎるの上に給料が安いのに、恋愛では無理をしないといけない。
クリスマスと並ぶ恋愛イベントだったバレンタインも本命チョコや告白文化から、自分チョコや友チョコなどに変わりつつあります。
バレンタインについてはこちらの記事にまとめました。
メディアと若者の恋愛意識の乖離の大きさが恋愛離れにつながっているのではないかと推察します。
まとめ
いかがでしたか。
私も今回調べてみて日本の明治時代から大正時代に、すでにクリスマスが祝われていたのは意外でした。
さらに意外だったのが、クリスマス=カップルという図式はバブル時代にもたらされたという事です。
12月のお祭りというのは埼玉県の秩父夜祭(ちちぶよまつり)や島根県の諸手船神事(もろたぶねしんじ)などが有名です。
二十四節句で冬至もありますが、クリスマスはそれらの伝統行事を差し置いて、一年で最大級のイベントとして定着しました。
最後に個人的な話になりますが、クリスマスといえば父を思い出します。
私の家は古い家で、クリスマスよりもお盆や正月の方が優先順位が高かったのですが…
そんな中でも父は私を喜ばそうとしてケーキや七面鳥(もちろん生まれて初めて食べました)
ローストビーフなどを買ってきては食べさせてくれました。
大人になってからはスパークリングワインなど飲みながら政治談議に花を咲かせたり…
良い父親だったなとしみじみ思います。
しんみりしたところで、当記事を終えたいと思います。