青春パンクとは00年代前半にかけて流行した音楽ジャンルです。パンク・ロックのポップで疾走感のあるメロディに、「青春」をモチーフにした歌詞をのせたスタイルが特徴です。
代表的なバンドにGOING STEADY(以下・ゴイステ)、藍坊主(あおぼうず)、太陽族、175R、ガガガSP、モンゴル800などが挙げられます。
異論はあるかもしれませんがELLEGARDEN(エルレガーデン)や、ロードオブメジャー、FLOW(フロー)も含めています。
00年代当時、おもに中高生だったファン層から熱狂的に支持され、音楽シーンを席巻しましたが、00年代中頃になるとブームは沈静化しました。
10年代ではWANIMA、ヤバいTシャツ屋さん、キュウソネコカミ※のブレイクはありましたが、現在(19年)までのところ大きな青春パンクムーブメントは起こっていません。
※ちょっと強引なカテゴライズですが、当記事ではヤバTとキュウソネコカミを青春パンクに含めております。
異論はあるかと思いますが、ご了承ください。
青春パンクが、なぜ00年代当時の若者の心を魅了したのか、その原因を読み解いていきます。
また前時代のブルーハーツ、Hi-STANDARD(以下ハイスタ)等の時代と比較し、日本の音楽史の流れの中で「青春パンク」的な音楽ジャンルがいかに日本の若者の心と相性が良かったのか、なぜ廃れつつあるのかを考察します。
青春パンクを聴いていたのは、不器用な人たちだったのか?
青春パンクと呼ばれたジャンルのファン層の中心は、98年~03年くらいの間に中高生だった「キッズ」たちでした。
おおよそ、以下のチェックに3つ以上当てはまるようなら、青春パンク向けの素質があります。
ヒットチャート上位の曲にちょっと抵抗がある(適度にひねくれている)
クラスの中心人物ではないけど、実はちょっとリア充がうらやましい。
ジャンプ系、サブカル系問わずマンガが大好き。
ものすごく異性に興味があるのに、実際には交際したことはない。
青い空や夕焼け空や夜空を見ていると、何だかいてもたってもいられなくなる感じ。
青春パンクが「失われた10年」就職氷河期の中で流行ったのは必然だった
青春パンクを象徴するようなゴイステ、銀杏BOYSの峯田和伸氏は77年生まれです。
青春パンクバンドの多くが70年代後半~80年前後に生まれています。
いわゆる就職氷河期世代とも重なります。
土壌を作ったのは、言うまでもなく80年代のTHE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の存在が大きいでしょう。
バブル真っただ中の時代で、「大切なのはモノじゃないだろう!」という価値観をうたい上げたブルーハーツですが、解散後もその影響力は強く残りました。
日本経済が安定成長の終焉、低成長・デフレ時代を迎える中で「モノから心へ」がマスメディアを通じて高らかに叫ばれた時代でもあります。
ちょうど青春パンクのバンドメンバーたちの少年時代~思春期に至る年代が、バブル崩壊から「失われた10年」(のちに失われた20年)と合致します。
ザックリと言えば、小学校低学年くらいでバブルを体験して、中学に入る前後にバブル崩壊を目の当たりにしたことになります。
もちろん、生身で体験したわけではなく、両親の反応やニュースでの報道を通じての間接的な体験ではありますが、このような世相の影響もあるでしょう。
さらに時代的な背景を深読みすれば、団塊ジュニア向けの商品や娯楽が市場にあふれかえった時代でもあります。
そしてバブル時代のコミュニケーション至上主義は、不景気であろうと引き続き社会に蔓延していました。
モテる人間=社交的でコミュニケーション能力が高く、器用で何事もそつなくこなし、物事を思いつめて考えないタイプ。流行りもの大好き。
=不景気だけど心身ともに明るい将来がイメージできるグループ。
モテない人間=内向的でコミュニケーションが苦手。不器用でオタク気質。内省的でうじうじ考えるタイプ。流行についていけない。
=将来に明るいイメージがないけど、気持ちだけはポジティブに純粋さや夢は信じたいグループ。
このような時代の空気は、90年代の若者全体を覆っていたように思います。
加えてバブル期のディスコミュージックを再生産したような小室ファミリーの楽曲も大ヒットしていました。
当時はJ-POP全盛期で、CDも飛ぶように売れました。
また、90年代を通じて消費マーケットの主体が女性になった時代でした。
安室奈美恵や浜崎あゆみに代表される、時代の歌姫たちの楽曲プロジェクトも大掛かりで、人とお金を大量につぎ込んだ華やかな音楽活動がメインストリームを賑わせていました。
このような時代の空気感に対する冴えない男子(女子)中高生たちの心のモヤモヤ……
「ちくしょう、おれ(あたし)だって…何とかしてみたいんだ」
クラスのカースト上位ではない少年たちの鬱屈した思いを完璧にこたえたのが、青春パンクだったのではないでしょうか。
青春パンクに連なる系譜(サウンド面での影響)
青春パンクのサウンド面のルーツとして、ブルーハーツやハイスタ、JUN SKY WALKER(S)、KENZI & THE TRIPSなども挙げられますが…
何といってもメロコアの影響は避けて通れないのではないでしょうか。
パンクロックの荒々しさを持ちながら、ポップロックのメロディを併せ持つメロコアの楽曲は、適度に過激でありながら分かりやすく聴きやすいのが特徴です。
メロコアと言ったら、アメリカ西海岸で発生したパンク・ロックの重鎮BAD RELIGIONや、彼らによるレーベル「エピタフ・レコード」が有名でしょう。
NOFX、The Offspring、ランシド等々、いまもメロコアシーンをけん引するバンドが知られています。
もっとも、エピタフ出身ではないですが、特筆すべきはGREEN DAY(グリーン・デイ)の世界的な大ブレイクも影響力は大きかったでしょう。
彼らの3rdアルバム(メジャーデビュー作)「ドゥーキー」(94)は当時1,000万枚以上のセールスを記録しました。
日本でも熱狂的に支持され、当時のバンドキッズたちにも相当の影響を与えました。
青春パンクと邦楽メロコアの違い
さすがにこんがらがってきたので、英国のパンクロックバンド「ザ・クラッシュ」のヴォーカル、ジョー・ストラマーの言葉を引用して、この場を切り抜けましょう。
Punk is attitude. Not style.
パンクはスタイルではない。姿勢だ。ジョー・ストラマーの言葉より引用
ガールズバンドと青春パンク
青春パンクのカテゴリーには入りませんが、同時代にガールズバンドもまた盛り上がりを見せていました。
ガールズバンドの歴史については以下の記事にまとめています。
楽器を手にした思春期の若者が、ステージに上がれるようになるまでの修練期間が短くて済むのもパンクロックの取っつきやすさにつながっているのでしょう。
オカ研による年代別青春パンク座談会
10年代に青春パンクがすたれた理由
あくまでも一マンガ描きによる主観です。
青春パンクの衰退は、世の中が合理的にスマートになったことが原因で、
「青春の無茶がことごとく否定される時代になったから」ではないでしょうか。
背景にあるのは、スマホの普及によるいつでもどこでもインターネットに接続できる環境とSNS文化の定着です。
ネットによる可視化で、本人たちにしてみれば「悪ふざけ」のつもりでSNSにアップした画像や動画が、社会的な事件として炎上し、訴訟沙汰にもなることが知らされました。
ほとんどの疑問は検索すればそれなりの答えが見つかる社会に、私たちは暮らしています。
青少年特有の「無知であるがゆえにもがく」こともなくなったのではないでしょうか。
若さゆえの無力感、焦燥感も、現在では「ネットで戦う手段」が開かれているので、勝てないもどかしさはあっても、かつてのような「舞台に上がれない」状況ではありません。
もちろん、いまこの瞬間にも青春の懊悩(おうのう)で、のたうちまわっている男子や女子がいないとも限らないけれども、昔よりもさらに少数派ではないでしょうか。
私見ですが10年代に入って、日本のポップカルチャー全般は、より洗練され毒が抜かれたようにアップグレードしていったように感じます。
WANIMAを聴いた時に感じた、ある種のはじけ切った軽さは、このような時代の空気とマッチしているように思えます。
まとめ
いかがでしたか。
我ながら無茶な題材を選んでしまったと後悔しつつも、どうにか書き切りました。
メロコアも青春パンクもリアルタイムで聴いていたはずなのに、うまく言語化できたとは言い難く、乱暴な書き方になってしまいました。
思考を整理して、もう少しスッキリとリライトしてまとめたいものです。