※この記事内で扱うテーマは「ヤンキー=奇抜な格好をしてヤンチャを行う男女を社会がどう捉え見てきたか」です。
ヤンキーと呼ばれる人たちそのものを中傷する意図は全くありません。
なぜ「ヤンキーはダサい」という風潮になっていったのか?
はじめに結論から言ってしまえばヤンキーとは個人の趣味、美意識なので優劣を判断することは間違っていると思います。
法律違反は論外ですが。
ヤンキーの定義と歴史は以下の記事にまとめました。
主にフィクションの世界において、80~90年代までは魅力的に描かれていた不良のイメージが、2010年代以降はあまり好意的に描かれなくなったように思えます。
その原因は何故でしょう。
80年代~2010年代まで、4つの時代から時空を超えて巡り合った『オカルト研究会』の4人のメンバーが、「ヤンキー文化がすたれた理由」について、語り合いました。
この30年余りで未成年者の非行は減少の一途をたどっています。これを示すデータとして、リンク先に平成22年の内閣府が出したデータが記されています。
10年近く前のデータですが、非行の減少傾向の流れは変わっていないはずです。
どの時代、どの地域でも規範意識を尊重する学生はいますし、その逆も然りです。
ここで扱う「不良文化」とは、いわゆる「ヤンキー的な」ポップカルチャーとそれに影響を受けた若年層の精神性の変遷について論じたいと思います。
ヤンキー気質については、こちらの記事で掘り下げてみました。
『80年代の不良』とは
~ツッパリからヤンキーへ。荒れる学校と変形学生服の時代~
80年代の不良の特徴は、男性はリーゼントや短ラン、ボンタンと呼ばれる独特な変形学生服を着こなしていました。
女性はパーマをあてた髪に、制服のスカートをロングにしたいわゆる「スケ番」スタイルが流行しました。
「ヤンキー」という言葉も、このころ定着したと言われています。
※リアルタイムの80年代をご存じの方から「短ランはボタン4つ!」とのご指摘をいただき、画像を修正しました。
そんな「すごい80年代ツッパリ」の生活を詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
ヤンキーとモテの関係性は以下の記事にまとめました。
ヤンキーと言えば祭りです。こちらの記事ではヤンキーが祭りを好む理由と80年代の露天商についてのエピソードを書いています。
『90年代の不良』とは
~リーゼント激減とチーマーの登場、ヒップホップカルチャーの影響によるB系ファッションの流行~
90年代は80年代に連載開始したヤンキーマンガが全盛期を迎えてました。
『ろくでなしBLUES』『カメレオン』『今日から俺は!!』『クローズ』『BADBOYS』等、不良の生き方を題材にした漫画が有名マンガ雑誌の看板連載となり、多数連載されていました。
バスケット漫画の名作と言われる『スラムダンク』も、連載開始から序盤のエピソードはヤンキー漫画の文脈でストーリーを展開していました。
現実では80年代末期から90年代初頭にかけて、主に渋谷を中心にチーマーと呼ばれる集団が存在していました。
それまでの「ヤンキー」とは一線を画したアメカジ、エンジニアブーツなどのストリートファッションを身に付けたスタイルで活動していました。
92年頃には資生堂UNOをはじめとした男性用化粧品が全国のコンビニに広まっていった時代です。
資生堂のメンズコスメといえば、UNO以外にも『アレフ』というコスメブランドがあり、漫画スラムダンクとコラボしたテレビCMも話題になりました。
日本においてのヒップホップの流行は、不良文化をガラリと変えました。
チーマーからカラーギャングへ、ファッションもルーズなTシャツとワイドパンツ、帽子の下にバンダナを巻くなど、「B系」ストリートカジュアルが90年代後半から00年代まで不良文化の中心と言ってもいい状況でした。
90年代の不良文化については、こちらの記事もオススメです。
スタジオジブリとヤンキー文化は対極?
『00年代の不良~』ネットによってヤンキー=ダサいという風潮が広がる
00年代のヤンキー文化の特徴は
02年に放送された『木更津キャッツアイ』は、千葉県木更津市を舞台にしたテレビドラマでした。
大都市にほど近い地方都市の若者の、地元愛と都会へのあこがれの入り交ざった鬱屈した思いをコメディタッチで描き、映画化もされました。
また、木更津市で結成されたロックバンド「氣志團」は、80年代風の不良をイメージしたリーゼント&学ラン姿で、前述の『木更津キャッツアイ』にも本人役で出演し、相乗効果で人気を博しました。
00年代、ネット掲示板の一般化とSNSの普及により、オタクvsヤンキーの構図が顕在化したと思われます。
現実の社会では、両者の殴り合いはまず見られない光景ですが、ネットの世界では連日連夜オタクによるヤンキーに対するネガティブな書き込みがあふれかえりました。
このような時代の空気を察したかは定かではありませんが、ヤンキー文化にも変化が生まれました。
ヤンキー=ダサいの本質
不良=ヤンキーは、80年代~90年代末あたりまではクラスの中心、ないしその外郭としてスクールカーストの上位にいました。
その陰に、彼らの「やんちゃ」の被害者たちは沈黙するしかありませんでした。
00年代になり、ネットの普及とともに、不良文化の被害者たちの逆襲が始まりました。
SNSや掲示板でのヤンキーに対する否定的な意見が主流となりました。
情報化社会が進むことで、不良でいることは進学や就職などで不利になるばかりか、社会的・金銭的にも損だということに気付いた若者が多くなっていったことで、『ヤンキー=ダサい』という風潮が、主にネットを中心として広まったのではないでしょうか。
ここで現代のヤンキー研究を語る上で避けては通れない精神科医で批評家の斎藤 環(さいとう たまき)氏の『世界が土曜日の夢なら ヤンキーと精神分析』から引用をさせていただきます。
はっきり言おう。ヤンキー漫画が一般にコミカルだったり大風呂敷だったりする最大の原因は、ヤンキー文化のダークサイドを否認・隠蔽するためである。それは日本において最も広く共有されたユースカルチャーではあるが、同時に「負け犬のための子守歌」でもある。
引用元:『世界が土曜日の夢なら ヤンキーと精神分析』著・斎藤 環 角川文庫
社会の最底辺層の人々にも享受できる「文化」であるがゆえに、必然的にバッドテイストをはらむ。ほんの一握りの「成り上がり」の夢と希望をはらみつつ、ドロップアウトの悲惨さについてはあえてふれない”優しさ“がそこにはある。
同掲書より引用
『10年代の不良~』マイルドヤンキー
地元に根ざし、同年代の友人や家族との仲間意識を大切にした生活をする若者たちの総称です。都会へのあこがれや上昇志向がないところが、これまでの不良とは違うところです。
マーケティングアナリストでサイバーエージェント次世代生活研所長の原田曜平氏が提唱しました。
ファッション等、いわゆる「ヤンキー気質」を持ちますが、反社会的ではない層だと言われています。
その特徴をまとめると…
〇地元から出ない、そして地元愛が強い、地元の祭りなどに積極的に参加する。
〇ショッピングモールが好きで、買い物の中心にしている。
〇車(特にミニバン)を好み、飲酒、喫煙の習慣がある人も多い。パチンコに行く人も多い傾向がある。
〇「絆」や「仲間」という言葉が好き。「家族」を大切にする。
〇上昇志向が低い、都会に出たいとは思わない。
〇中学の頃の友人や先輩後輩などの人間関係がそのまま40~50代以上になっても継続している。
※内向的な人間の視点でマイルドヤンキーとの接し方を掘り下げた記事はこちらです。
補足・※バンカラについて
バンカラの歴史は意外に古く、夏目漱石の小説『彼岸過迄』(1912年発表)の一節にも登場します。
この記事では不良文化に含めましたが、バンカラ(蛮殻、蛮カラ)とは、エリート層の文化です。
バンカラは正義感が強く、硬派なふるまいを行動指針とします。
弱い者をいじめるなどは言語道断で、その名残は現在でも一部の高校・大学の応援団の「伝統」として受け継がれています。
70年代の漫画・劇画に多く登場したいわゆる『番長』のスタイルである、すり切れた学帽や下駄などを身に付けた硬派な男のイメージは、80年代にはツッパリ・ヤンキーファッションへと移り変わっていきました。
不良文化のルーツをたどる
日本人は基本的にヤンキー的な美意識・価値観に惹かれるグループと、まったく惹かれないグループの真っ二つに分けられると思います。
筆者の身の回りでもヤンキーと呼ばれる人たちと、そうでない人たちの価値観は基本的には交わらないまま、社会生活を営んでおります。
もっと知りたいヤンキー
令和時代のヤンキーについては、未来予測も含めてこちらの記事をご覧ください。
ヤンキー的な「反抗する美意識」「けばけばしい装飾」「規律よりも仲間を優先して守る価値観」は、ひょっとしたら縄文時代から脈々と受け継がれている文化のような気がします。
当ブログの人気コーナーでもある(苦笑)ヤンキーをめぐる時代の考察は、今後とも幅広く執筆予定です。