ガールズバンドとは女性だけで編成されたロックバンドのことです。
日本の音楽市場に登場して以来、一定のファン層と売り上げが期待できるジャンルとなりました。
本格的なロックサウンドはもちろん、J-POP寄りなバンド、パンクからオルタナ、GSやアイドル風まで様々です。
日本武道館で公演するようなメジャーアーティストから、ライブハウスで盛り上がるインディーズバンドまで幅広い層が活躍しています。
当記事ではガールズバンドの歴史を年代別に解説しました。
その時代を代表するバンドや、影響力が大きかったバンドを紹介しています。
個人的にオススメのガールズバンドも紹介しているので、どうぞお付き合いください。
ガールズバンドのルーツと、その後の音楽シーンの変化を年代別に解説
ウィキペディアによると日本初のガールズバンドは77年に結成され79年に解散したGIRLS(ガールズ)と書かれています。
日本の女性ギタリストの草分け的存在であるイリヤこと奥野敦子が所属していました。
79年に結成したZELDA(ゼルダ)は、82年にメジャーデビューしました。
このバンドの特色は何といっても多彩な音楽性です。
パンク、ニューウェーブからブラックミュージックまで幅広いジャンルの楽曲を制作しました。
解散したのは96年で「もっとも長く活動した女性ロックバンド」としてギネスブックに記載されています。
参考
※アメリカ文学の代表とも言われる『グレート・ギャツビー』の著者F・スコット・フィッツジェラルドの妻です。
彼女の破天荒な生活は1920年代『ジャズ・エイジ』もしくは『狂騒の20年代』を象徴する女性としても知られています。
メジャーシーンに限らなければ、それ以前にもガールズバンドは存在していたでしょう。
楽器を持った女子たちのグループは、男性のみならず女性から見ても問答無用でカッコいい。
ただし、当時の一般的な価値観は違いました。
昭和の時代はエレキギターを持っていれば不良とみなされる風潮がありました。
ましてや女性がギターをかき鳴らし、ロックを歌うなどということは考えられない時代でした。
もちろん日本にもヒッピームーブメントはありましたが、ごく一部の地域に散発的にヒッピーコミューンが存在した程度です。
現代と比べて、昭和の同調圧力はとても強い中で、女性たちがバンドを組むのはとても勇気が要ることだったはずです。
それでは、各年代の代表的なガールズバンドについて語っていきましょう。
80年代のガールズバンド! 私たちはアイドルとは違う!
本格的にガールズバンドが注目されだしたのは80年代でしょう。
バンドブームの時代です。
先に述べたZELDAの他にも、メジャー、インディーズを問わずガールズバンドは80年代に躍進しました。
85年にデビューしたSHOW-YA(ショーヤ)や86年のPRINCESS PRINCESS(プリンセス プリンセス)は大きな成功を収めました。
NAONのYAON(ナオンノヤオン)は、日本初の女性ミュージシャンのみで行われるロックフェスティバルです。
87年にSHOW-YAの発案によって日比谷公会堂で行われました。
出演者はもちろん、制作スタッフも女性限定で固めたこだわりのフェスでした。
プリンセスプリンセスは毎回オープニングアクトを務めるなど、縁が深いバンドでした。
一方、インディーズシーンではどうでしょう。
当記事ではメジャーとインディーズという言葉が出てくると思いますが、両者の違いを補足しておきます。
メジャーとインディーズの違い
「日本レコード協会」の会員になっているレコード会社がメジャー。会員でなければインディーズです
少年ナイフは81年に結成しています。
86年にはアメリカ進出を果たし、オルタナティブロックに大きな影響を与えたバンドです。
ニルヴァーナのカート・コバーンが彼女たちのファンを公言し、バンドのツアーに前座として起用したことも有名です。
また、カートは自身のライヴで「ツイスト・バービー」という曲をカヴァーしたことも知られています。
83年に京都で結成したガールズパンクバンド赤痢は、95年の活動停止までインディーズシーンで活動しました。
メジャー系に慣れた耳で聴くと色々な意味でビックリするような音楽性ではあります。
ノイズパンクの雄ソニック・ユースのサーストン・ムーアがファンを公言するなど、評価の高いバンドです。
85年に結成したTHE NEWS(ザ・ニュース)は、社会的なメッセージ性の強い曲と骨太なサウンドが特徴です。
89年には『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)にも出演しました。
20年以上の活動期間を誇るバンドです。
※本名の宍戸 佑名(ししど ゆうな)名義で、ヴォーカル&ドラムを担当。
こうしてみると、80年代当時のガールズバンドは現在よりも二極化している印象です。
明るくキラキラした80年代の空気の中でも、メジャー路線とインディーズ系の方向性の違いは今では考えられないほど大きかったのです。
共通するのは、彼女たちの雰囲気からは「アイドルとは違う」というプライドを感じさせるところです。
90年代のガールズバンド J-POP全盛期のインディーズ界隈
90年代は前半と後半で大きく雰囲気が違います。
『平成不況』と呼ばれ、日本は長きにわたるデフレ不況に苦しみますが、90年代初頭のテレビではまだまだバブルの雰囲気が残っていました。
先に触れたアマチュアバンドが審査される『三宅裕司のいかすバンド天国』が深夜番組だったにもかかわらず、一世を風靡しました。
当然、ガールズバンドからもチャンスをつかんでメジャーに進出したPINK SAPPHIRE(ピンクサファイア)NORMA JEAN(ノーマ・ジーン)等のバンドがありました。
この辺りまでは80年代のバンドブームと地続きです。
90年代初頭は大手レコードレーベル・ビーインググループの台頭がありました。
所属する女性ヴォーカルでは大黒摩季、ZARD(ザード)が有名です。
当時はアイドル冬の時代と言われ、アイドル歌謡曲という言葉が急速に死語になった時代でした。
その代わりに使われるようになったのがアーティストという言葉です。
80年代後半くらいから歌い手が歌詞を書くケースが多くなったことから、歌手ではなくアーティストと呼ばれるようになったのではと思います。
作曲もできるシンガーソングライター(SSW)は日本では吉田拓郎以降に使われるようになりましたが、作詞+歌の作り手は基本SSWを名乗りません。
ロック系も小室サウンドもビーイング系もおおよそJ-POPアーティストという言葉でくくられました。
とにかく90年代は音楽CDが売れに売れた時代です。
96年にブレイクした安室奈美恵。
98年のデビュー後即ブレイクしたのシンガーソングライター宇多田ヒカル、椎名林檎。
多くの女性アーティストがヒットチャートをにぎわしていた時代です。
女性ヴォーカルのバンドでは93年デビューのJUDY AND MARY (ジュディ・アンド・マリー、JAM)の影響力は強いでしょう。
99年にデビューしたWhiteberry(ホワイトベリー)なども知られています。
そのような状況下で、J-POP界隈からは距離を置いて独自の発展を遂げたのがインディーズ・ロックシーンでした。
無難な楽曲、大手企業とのタイアップ等、J-POP的な価値観についていけない層の受け皿になったのは、独立系のレーベルでした。
J-POPが嫌いな人の心理は、こちらの記事にまとめてあります。
ともかく、90年代のガールズバンドを語る上で欠かせないのはインディーズシーンではないかと思います。
97年にはガールズバンド専門レーベル「ベンテン・レーベル」が設立されています。
パンクロックバンド、ロリータ18号や、オルタナティブロックバンドnoodles(ヌードルズ)、つしまみれ等を輩出しました。
さらに詳しく
Super Junky Monkeyは94年にソニーレコードよりメジャーデビューしたラウド、ミクスチャー・ロックバンドです。
当初から海外を視野に入れた活動を展開し、95年にはアメリカの音楽雑誌『ビルボード』の表紙を飾りました。
しかし、とても残念なことに99年にヴォーカルのMUTSUMI623(本名・高橋睦)が亡くなってしまいます。
09年、彼女の没後10年のメモリアルにライブで活動を再開。
10年にはフジロックにも出演しています。
00年代のガールズバンド! 音楽業界大変革時代の渦の中で…
00年代にはメジャーシーンで主なバンドをザッと紹介すると…。
00年のチャットモンチー。
01年〜04年のZONE(ゾーン)
04年〜08年の中ノ森バンド。
06年のSCANDAL(スキャンダル)あたりが知られているのではないでしょうか。
この辺りからガールズバンドがメジャーシーンで一定の地位を占めるようになりました。
しかし音楽市場自体は00年代中頃を境に、CDの売り上げは急速に縮小していきました。
そうした中でもライブ、フェスなどのイベントは客足を伸ばし続けていきます。
全国各地で開かれるロックフェスには、たくさんのガールズバンドも出演して盛り上がっていました。
ともかくインターネット・SNSの普及により、これまでよりも情報が発信しやすくなったことで、音楽シーンを取り巻く状況は一変しました。
動画配信サイトやブログなどでも好きなアーティストの情報を入手しやすくなったことも、影響しています。
それに加え00年代の音楽シーンを語る上で外せないことが一つあります。
それは、過去と現在の情報がフラット化したことです。
この状況が私たちに与えた影響は計り知れないと思います。
「昔のバンドをYouTubeで見て好きになった」
「売れていてもいなくても、お気に入りのバンドを応援したい!」
このような流れは、10年代になるとより顕著になっていきます。
また00年代中盤からは、明確なコンセプトや世界観を打ち出したバンドが多くみられるようになってきました。
代表的なのはキノコホテルではないでしょうか。
07年に「創業」(結成)メンバー全員がマッシュルームカットで統一され、自らを「従業員」と呼ぶ音楽集団です。
鬼才と呼ぶしかない「支配人」のマリアンヌ東雲の強烈なキャラクターと「実演会」(ライブ)でのパフォーマンスは圧巻です。
うなるファズギターが昭和のGS(グループ・サウンズ)や、プログレッシブ・ロック、サイケデリック、ラテン・ロックなど「いつか視た幻」のような唯一無二の世界観は強烈なインパクトがあります。
10年代のガールズバンド SNSの普及で変わったもの
10年代は空前のアイドルブームでもありました。
それに加えて、アニメ視聴が若者のトレンドとして定着し、アニメソングを歌う声優にスポットが当たった時代でもあります。
そんな中でも、ガールズバンドの地位はゆるぎないものでした。
10年にデビューしたSHISHAMO(シシャモ)は、16年に日本武道館で公演し、17年にはNHK『第68回紅白歌合戦』にも出場した3ピースバンドです。
[12年にメジャーデビューした赤い公園は、バンドとして高い評価を受け、リーダーの津野米咲(つの まいさ)はSMAPにも楽曲提供もしています。
雑談・なぜガールズバンドのバンド名は「変」なのか
まとめ
以上ザックリと、ガールズバンドの歴史を述べてきました。
80年代の気合いの入った「姐さん」たちのバンドと比べ、現在のガールズバンドは基本的にカジュアルです(一部を除いて)
しかし10年代に活躍するガールズバンドが、有名・無名を問わず演奏力が向上しているように感じるのは私だけでしょうか?
もちろん頂点のレベルは80年代と現在、そこまでの違いがないような気がします。
蓄積した表現方法や、積み重ねられてきた音響技術を考慮しても、間違いなく裾野の音楽レベルは上がっていると思います。
そこには80年代バンドブームの時に若者だった世代が親になったことも影響しているはずです。
親の影響でギターを始めた女子も多いでしょう。
少なくとも、女性がギターを弾くことへの抵抗感はないでしょう。
手軽に練習できる環境も当時よりは整ったことも影響しているはずです。
動画サイトなどで演奏技術が手軽に学べること、気軽に発表できるようになったことも大きいでしょう。
CD不況と呼ばれ、誰でも知っているヒット曲もほぼなく、ミリオンセラーが出ない状況は「音楽不況」とも言われています。
しかし、音楽自体は決して不況ではありません。
音源で稼ぐ時代は終わったかもしれませんが、ライブでの動員数は昔よりもずっと増えています。
体験はコピーできないからです。
むしろ以前よりも幅広い表現が、様々な形で成されているのがハッキリと見える豊かな時代になったと思っています。
そんな中で、これからもたくさんのガールズバンドが面白い活動をしていくのでしょう。
楽しみでなりません。
補足・00年代に起きた音楽業界の大転換の影響(硬めな内容なので飛ばしてOKです)
00年代は世界中の音楽業界が大転換期を迎えました。
原因はPCの高性能化と、インターネットの普及です。
さらに01年に米アップル社が発売したデジタルオーディオプレイヤーiPodの登場。
音楽再生・管理ソフトiTunes(アイチューン)が登場した影響も決定打となりました。
CDやMDを使わなくても、データとして音楽を持ち歩き、楽しむ時代になりました。
実はソニー・ミージックエンターテインメントは99年にbitmusic(ビットミュージック)という音楽配信サイトを立ち上げています。
その一方で音楽データの違法コピー、ダウンロード、ファイル共有などを使った著作権侵害行為も横行しました。
音楽ファイルが簡単にコピーできてしまうことに対抗するため、エイベックスなどの大手レコード会社はコピーコントロールCDなどの手を打ちました。
しかし音質が劣化するなどの技術的な問題があり、反対するミュージシャンも
また動画サイトの普及により、合法違法を問わず、アーティストのPVやライブ映像などを好きな時に見られる状態になりました。
「聴き放題」のストリーミングサービスも広まり、もはやスマホ一つあればさえあれば、ありとあらゆる音楽を楽しめる時代になりました。
00年代中頃から、CDの売り上げはAKB48やジャニーズ事務所に所属するアイドルがメインストリームになります。
こうした音楽業界が激変した時代に、ほとんど影響を受けずに元気だったのがガールズバンドでした。