10月になると、日本中のお店がハロウィン一色になります。
いわゆる「ハロウィン商戦」として、お菓子なども限定パッケージなどで店頭を飾るようになるでしょう。
その経済効果は1300億円を超えるともいわれています。
そして当日の10月31日は、渋谷をはじめ全国各地の繁華街で、仮装した人たちが街に繰り出す姿がテレビなどで報じられています。
ゴミの散乱や様々な迷惑行為も行われ、社会問題としても語られるハロウィン。
およそこの20年で、ハロウィンはクリスマスやバレンタインと並ぶイベントまで急成長したような実感があります。
家族や友人とホームパーティなどでハロウィンを楽しむ文化はすっかり日本に定着したのではないでしょうか。
当記事は、ハロウィンの由来を解説しながら、日本に根付いた経緯をガッツリと紹介します。
クリスマスとバレンタインについては、以下の記事にまとめました。
【クリぼっち】おすすめの過ごし方 クリスマスが日本に定着した経緯も紹介
ハロウィンの由来は古代ケルト系のお祭りが起源
古代ケルト系とは紀元前1200年頃から中部ヨーロッパに広まっていた民族とその文化を差します。
鋭利な鉄製の武器と馬に引かれた戦車を駆る、戦士を中心とした階級社会を作り、ヨーロッパの様々な地域に分化して独自の文化を発展させていました。
当時、文明の中心地だった古代ギリシアやローマ人とは交易を行ったり、傭兵として雇われることもあったそうです。
いずれもまだキリスト教がヨーロッパを支配する以前の話です。
古代ケルトでは、ドルイドと呼ばれる司祭たちが中心となり、独特の宗教観を伝えていました。
ハロウィンの原型の一つは「サウィン祭り」で、現在のアイルランド地方に伝わる宗教行事でした。
悪霊を驚かせて追い払うために、焚火をしたり、仮面をかぶったりしたそうです。
ハロウィンの名称は「オール・ハロウズ・イヴ」の略
その後、古代ローマのユリウス・カエサルによるガリア征服、ローマ帝国の支配下になった影響もあり、ケルト文化は衰退していきます。
しかし古代ローマの文化(多神教)も、台頭してきたキリスト教(一神教)の影響によって劇的に変わっていきました。
やがてローマ帝国は分裂し、ヨーロッパはキリスト教一色になります。
いわゆる中世と呼ばれる時代です。
人々の価値観や宗教観が変わっていく中で、各地の伝統行事と混ざり合い、「サウィン祭り」は「ハロウィン」として生まれ変わりました。
ケルト人にとっての新年であった11月1日は、キリスト教のすべての聖人と殉教者に祈りを捧げる祝日「万聖節」として祝われるようになります。
教会は、最初の時から殉教者の殉教記念日を祝ってきました。しかし、ディオクレティアヌス皇帝の時代(4世紀)の迫害のころからは、ある特定の日(復活節中のある日、または聖霊降臨最初の主日)に祝っていました。
9世紀に、教皇グレゴリウス4世は、この祝日を11月1日に移し、すべての殉教者から諸聖人にまで広げました。この決定を機に諸聖人の祝いは広まっていきました。
何はともあれ「諸聖人の日」はカトリック教徒にとっては、とても大切な日になります。
英語では「オール・セイント・デイ(All Saints' Day)」または「オール・ハロウズ(All Hallows)」と呼ばれています。
「 ハロウ(Hallow)」の前夜「イヴ(Eve)」「ハロウズ・イブ(Hallows eve)」が転じてハロウィン(Hallowe'en)」になったと言われています。
しかし元々は異教徒のお祭りですから、ハロウィンに関してはキリスト教会内でも容認派と否定派に分けられるそうです。
特にカトリック教会では教会暦上の祭にはハロウィンは存在しません。
あくまでも「世俗のお祭り」といった認識です。
現在でもカトリック教徒の多いイタリアやスペイン等の南欧、南米のブラジル、ペルー等ではハロウィンにはあまり関心が示されません。
一方でアイルランドは元々ケルト人たちの国であったこともあり、国民の約8割がカトリック教徒ですがハロウィンは盛んに祝われます。
ジャック・オー・ランタンの由来
ハロウィンのシンボルであるカボチャの「ジャック・オー・ランタン(ジャック提灯)」
目と鼻と口を模してくりぬいて作って火をともすランタンも、当初はカブが使われていたそうです。
「ジャック・オー・ランタン」もハロウィンには欠かせないマスコットです。
原型はアイルランドやスコットランドで伝わる物語に登場する鬼火(ウィル・ウォー・ウィスプ)と言われています。
生前に悪さや乱暴をして死後の世界への立ち入りを拒否された魂が鬼火となって現世にとどまるという伝説から発生しました。
それがキリスト教の世界になって、「天獄にも地獄へも行けない男の魂」として語られるようになります。
ちなみにジャックと言うのは日本の昔話で言うなら「太郎」みたいなもので、男性の一般的な名前です。
その物語を簡単に説明すると以下のようなものになります。
昔、ジャックというとてもずる賢い乱暴者がいました。
あるハロウィンの夜に、悪魔をだまして「死んでも地獄に落ちない」という契約を取り付けました。
やがて時が経ちジャックは寿命で亡くなりましたが、生前の行いが悪かったので天国には行けませんでした。
しかし悪魔との契約により地獄にも行けなかったので、カブ(現在はカボチャ)に憑依して現世をさまよっているそうです
この物語を、アメリカに移住したアイルランド系移民が広めたのでしょう。
当時のアメリカにはカブが一般的ではなかったので、その辺に大量にあったカボチャが使われました。
トリック・オア・トリートの由来
ハロウィンの合言葉と言えば、家に尋ねてきた子供たちが仮装して告げる「トリック・オア・トリート〈Trick or Treat〉」
日本語で言うと、「お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ」みたいなニュアンスで使われます。
これに対して、お菓子を渡して「ハッピーハロウィーン!」と返すのがハロウィンの合言葉のようなものです。
ソウルケーキ(Soul Cake)は、「Soul=魂」を供養するためのケーキです。
ケーキとは言うものの、ふわふわではなくビスケットのような小さな丸型のものです。
レーズンやベリーで十字架のデコレーションがされています。
その由来は9世紀ヨーロッパのソウリングという儀式から来ています。
当時のキリスト教では11月2日は「死者の日」とされ、成仏できない霊のためにクリスチャンが村から村に回ってケーキを乞います。
そのケーキと引き換えに、その家で亡くなった家族を天国に導くための祈りを約束するのです。
この「ソウリング」という儀式がアメリカに伝わり、仮装した子供たちがお菓子をねだる「トリック・オア・トリート」に変化しました。
ケーキと引き換えに死者のために祈る行為が、「もてなさないと、いたずらしちゃうぞ」に変化したのです。
現在のハロウィンのイメージはアメリカで完成
現代でハロウィンが大々的に行われているのは主に英語圏です。
元々ケルト人たちの国であったアイルランドはもちろんですが、かつての大英帝国の植民地だったアメリカ・カナダ・ニュージーランド・オーストラリアでは、ハロウィンが大々的に執り行われます。
そんな中でも、とりわけハロウィンのイメージを完成させ、私たちが知る民間行事のお祭りとして定着させたのはアメリカではないでしょうか。
ひとつのキッカケとして、アイルランド系の移民たちによる伝承が都市伝説となり、語り継がれていたのではないかと想像します。
その後、様々な国の人たちが移民としてアメリカという国を形成する中で、それぞれの文化が混ざり合い、かの地の風土で再構築されたのが現在のハロウィンの姿につながったのではないかと思うのです。
産業革命以降の、巨大資本による一大消費社会としてもハロウィンイベントは好都合でした。
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ただし、アメリカの一部のキリスト教系の学校では、「キリスト教由来の行事ではない」ために、「ハロウィンを行わないように」という通達が出る学校もあるそうです。
なぜハロウィンにお化けや魔物の仮装をするの?
元々はケルトのサウィン祭りで異界からやってくる魔物や悪霊から身を守るために仮面をつけていたことが由来です。
これが、魔物と同じ格好をして仲間だと思わせるというやり方に変化します。
いま私たちが思うハロウィンには欠かせないお化けや魔物の仮装は、アメリカで発展してきました。
吸血鬼ドラキュラやフランケンシュタインの原作はとても魅力的ではありますが、活字ですので「コレ!」というインパクトは与えられません。
ドラキュラやフランケンのイメージを世界的なキャラクターに押し上げたのはハリウッドによる映像の力でしょう。
ちょうど、1931年に『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタイン』という映画が世界的に大ヒットしたことで、怪物のヴィジュアルイメージが共有されました。
ディズニーなどのアニメーション作品の可愛らしいお化けなどのイメージも、これに加わります。
ホラー&ファンシーなハロウィンのイメージは、間違いなくアメリカから発展してきたものでしょう。
日本でのハロウィンを年代別に紹介
クリスマスやバレンタインデーとは違い、日本でのハロウィン商戦は、昭和の時代にはほとんど行われていませんでした。
そんな中で、玩具・書籍の販売店だったキデイランドはハロウィン関連商品を積極的に展開してきた企業でした。
ハロウィーンは日本ではまだ馴染みのない1970年代より関連商品を取り扱い、1980年代には日本で初めてのハロウィーン・パレードを実施しております。
引用元 :キデイランド原宿店建替えに関するお知らせ
アメリカ人などハロウィンに積極的な国や地域の人たちと個人で付き合いのある方にとっては、戦後まもなくでもハロウィンパーティーの習慣はあったのかもしれません。
国際結婚した個人商店や、レストランのオーナーなど個人レベルではハロウィンにちなんだお菓子などを売る店もあったでしょう。
しかし、昭和の長い期間、平成初期辺りまでは大多数の日本人にとってハロウィンにはさほど関心がなかったのではないでしょうか。
状況が変わってくるのは90年代後半から00年代初頭にかけてです。
日本での本格的なハロウィンの先駆けは97年(平成9年)に東京ディズニーランドでの「ディズニー・ハッピー・ハロウィーン」でしょう。
「カワハロ」として今ではすっかり有名な、川崎市の駅前の「カワサキ・ハロウィン・パレード」同じ97年に第一回目が開催されました。
しかし当時はパレード参加者は予定の半数の150人という、現在からは考えられないほど小規模なパレードだったようです。
18年の参加者は2600人、見物客も12万人と日本最大級のハロウィンパレードで知られています。
00年代後半から大手お菓子メーカーが相次いで「ハロウィン商戦」に参入したことも原因の一つだと思われます。
お盆と年末商戦をつなぐ目玉商戦としてのハロウィンの時期はピッタリだったことも影響しているでしょう。
10年代にはSNSなどの普及が決定打となり、若者向けパリピ向けのイベントして完全に定着しました。
幼稚園や保育園でのハロウィンイベントとしても定番になりました。
それにともない祖父母世代にもハロウィンは認知されるようになります。
こうしてハロウィンは、ほぼ全世代の日本人に周知の一大イベントとなりました。
ハロウィンカラーはどうしてオレンジと黒?
カボチャの派手なオレンジ色と、夜や黒猫、魔女を表すような黒や紫色。
そしてお化けを表すホワイト。
この色の組み合わせが、誰によって編み出されたのかは浅学にして分かりませんが、大変な功績だと思います。
ハロウィンを象徴するイメージとして定着すると、企業も関連商品を出しやすくなります。
一目で分かるオレンジ×黒のカラーリングは、コンビニやスーパー、デパートなども売り場を展開しやすいでしょう。
加えて、次に控えるクリスマスおよびお正月商戦ともかぶらないカラーリングなので、お店の季節感を出すのにもピッタリではないでしょうか。
まとめ
古代ケルト系の祭祀だった「サウィン祭り」が、キリスト教の万聖節と結びつき、「ハロウィン」として生まれ変わる。
それがアメリカに伝わり、民間行事のお祭りとして今に連なるハロウィンのスタイルは完成しました。
そこには、20世紀の映像文化やホームパーティ文化も密接に影響し合い、消費社会に広く受け入れられました。
私たち日本人とは縁もゆかりもない古代ケルト人たちの宗教行事が、地球を一周しながら形を変えて日本に定着する。
そこに果てしないロマンを感じるのは私だけでしょうか。
ハロウィンの根底にある「秋の夜長に異界から魔物がやってくるイメージ」は、私たち人類に共通の認識なのかもしれません。
そうしたことを考えると、ちょっと心が踊ります。