わたしたちは両親、学校教育のみならずテレビドラマやマンガやアニメなどの娯楽作品から「友達っていいよね」「友情は大切だ」と教えられます。
しかし現実には人間関係は負担だという人も多く、友達に合わせることで自分の時間が取れなかったり不自由な思いをするのではないでしょうか。
友達がいなくても大丈夫な人の特徴を考察するとともに、友人関係がもたらすメリット・デメリットを徹底討論します。
友達は必要か?
そもそも「友達」とは、どんな関係性でしょう?
この記事では、学校や職場などで親しくなり、雑談をするような関係を友達だと定義します。
あるいは一緒にご飯を食べたり、悩みを相談したりする関係。
ビジネスや文化活動、スポーツなどで同じ目的のために協力する間柄は「仲間」とし、「友達」とは区別しておきます。
普段顔を合わせないネット上での友達は、当記事で書く「友達」とは別の関係性であるとしておきます。
前置きが長くなりました。
それでは、「友達は必要か?」について議論してみましょう。
あいさつをしても返さない人 自分は嫌われている? そんな人との付き合い方
友達がいたほうが楽に行えること
友人関係のメリットを思いついたままにまとめてみると、以下のような感じになるのではないでしょうか。
- 困ったときに相談に乗ってくれる。または助けてくれる
- 食事や遊園地など、一緒に行くと楽しい思いを共有できる。
- 自分は孤独ではないと安心する。
- 友達が多い人は社会的な信頼度があるような印象になる。
- 友人を通じて恋人等の出会いにつながる場合もある。
- 良いことも悪いことも含めた美しい思い出となることがある。
世間体については以下の記事にまとめてみました。
友達がいると疲れてしまうこと
普段友達付き合いをしている人でも、行きたくない集まりを断り切れなかったり、1人になりたいときや自分のペースで行動したいこともあると思います。
友達がいることのデメリットを紹介します。
- 意見が合わないとストレスになる。
- 自分のペースが崩される。LINE等の返信が面倒。
- 気が進まない会合での出費は、すごく損をした気分になる。
- 嫌われるんじゃないかと思って、頼みごとを断れない。
- 話を合わせると疲れてしまう。
- 年齢や環境の変化で、価値観が合わなくなっていく。
この他に考えられる友達のデメリットですが、付き合いなどで出費が増えることとと、同調圧力を科せられることではないでしょうか?
内向的な人にとって、他人と適切な距離をとることはかなり大切ではないかと私は思います。
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友人関係でもっとも厄介な「同調圧力」という存在
友達付き合いを続ける中で、誰かの言った一言、その場の空気などで価値観が決められてしまった経験はないでしょうか?
特に学校や職場など人間関係がある程度固定化された中では、自分の美意識、価値観とは無関係に「良い」「悪い」が決められて、何となく異議申し立てもできずに疲れてしまうことはないでしょうか。
特に地方在住者で、内向的な性格の方ですと由々しき問題かもしれません。参考までにマイルドヤンキーとの接し方を記事にしてみました。
※内向的な人間の視点でマイルドヤンキーとの接し方を記事にしました
「友達がいないのは恥ずかしい?」
私見ではありますが、80年代~90年代に青春を過ごした人の多くが、「友達は必要!」「友達がいないと恥ずかしい」と答えるのではないでしょうか。
事実、学校で一人で行動しているだけで何となく後ろめたいような感覚を覚えた人は筆者だけではないと思います。
筆者は実際に「アイツ友達いないんじゃねーの?」という旨の陰口を何度も聞いたことがあります。そういう空気が学校という閉鎖された空間にあると、ある種の強迫観念の様に「友達がいないと恥ずかしい」と思わせてしまうのではないでしょうか。
00年代以降、徐々にではありますがそんな空気も変わってきました。
理由は二つ考えられます。
ネットの普及で検索すれば情報が得られたり、ネット通販を利用すれば、ほしい商品がピンポイントで買える環境が整ったことも大きいでしょう。
これに加えて友達のいない者同士がネットを通じてゆるやかにつながる状況が、「友達はいらない」論に説得力を持たせたのではないでしょうか。
マスメディアが描いた「友情礼賛」
60年代青春映画や70年代の青春ドラマ、80年代のトレンディドラマ、あるいは子供向けのアニメや人形劇でもマスメディアでは「友達とのシーン」が当たり前のように描かれてきました。
あるいはJ-POPなどでも、友情は美しいもの、尊いもの、あって当たり前のものとして歌われています。
内向的な人に限らず、そうしたことに違和感を持つ人も少なくないでしょう。
こちらの記事では、J-POPの産業構造について掘り下げて書いています。
避けては通れない「あの童謡」について
童謡『一年生になったら』の影響も非常に大きいと言えるでしょう。この歌に対してはタレントのタモリ氏や林修氏も否定的な見解を述べています。
「俺、あの歌が大嫌いなんだよ、小学校に入ったら『ともだち100人できるかな』って。そんなことで人生決めんじゃないよ」
『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)ビストロSMAP最終回 より引用
『林先生が聞く初耳学!』(TBS系)より引用
『1年生になったら友だち100人できるかな』を否定すべき!
さらにこの問題を掘り下げてみましょう。
80年代~ポップカルチャーによる「友情の大切さ」の刷り込み
この時代は少年ジャンプの黄金期でもあり、「努力」「友情」「勝利」のキャッチフレーズの元、漫画の登場人物たちは仲間たちと協力し合い、ライバルから勝利をつかむ名場面が数多く生まれていました。
ジャンプ漫画だけではなく、80年代は、その前の70年代に流行した青春ドラマの再放送なども放映されており、熱い友情を描いたエンタメ作品が主流でありました。
「仲間」というキーワードで真っ先に思い浮かぶマンガ『ワンピース』でも、「友情」という言葉はあまり使われません(※ボン・クレーに対してくらい?)
90年代半ば以降を境にして、巨大コンテンツで「友情」という言葉が使われなくなったのは筆者の思い過ごしでしょうか。
そのような時代背景の中、企業は「効率化」が求められ、 「リストラ」「コストカット」等の言葉が新聞紙上に氾濫します。
ポップカルチャーの世界においてもあやふやな「友情」という言葉よりも、より目的に向けて明確な「仲間」というキーワードが頻繁に使われるようになりました、
これと並行して00年代にかけて「友人不要論」が浮上するのはこじつけでしょうか。
なぜ私たちには「友達が必要」で「友達がいないと不安」だと感じるのだろう。
根源的な理由は先史時代にある?
わたしたちの祖先は狩猟生活をしながら洞窟で暮らしていました。
先史時代の厳しい環境では、コミュニケーション不足が即・共同体からの脱落を意味し、個人が生存していくためには仲間との協力が絶対に不可欠でした。
その時の遺伝子(ある程度のコミュニケーション能力を持つ個体が子孫を残してきたため?)われわれの心に「孤立への絶対的な不安」が刻み付けられているのではないでしょうか。
まとめ(これだけは言っておきたいこと)
- 2019年の現代社会では友人がいなくても特に不便ではなく暮らせる。
- 「友達はいらない」という考え方は少しも恥ずかしいものではない。
- 「寂しさ」や「孤独感」は人間に根源的に備わった資質で、罪悪感を感じるほどのものではない。
- 1人でいることに耐えられない人は、負担にならない程度の友人関係を持てばいいし、疲れたら無理に友人関係を続ける必要はない。
「友達はいらない」と思うことは間違いではありません。良い友人関係はお互いを成長させてくれますし、コミュニティによっては友人関係の維持は今なお死活問題であり、決して否定できるものではありません。
だからといって「友達がいないと恥ずかしい」という価値観を自身が持つことに関しては現代において全く意味のないものだと思います。