戦後日本人がもっとも話題にした戦国武将といえば、織田信長で間違いないでしょう。
悪役として描かれることも多い信長ですが、書籍、テレビドラマ、ゲームと、戦国ものの作品には欠かせない重要人物の一人です。
良くも悪くも戦国時代でもっとも「キャラの立った」武将と言えるでしょう。
織田信長の実像と創作の中で培われたイメージ
信長と言えば天下統一の直前で謀叛で倒れた戦国の改革者のイメージがあります。
能力があれば身分が低くても出世させ、新しい文化を柔軟に吸収する一方、裏切り者に対する苛烈な仕打ちや、古くからの重臣も容赦なくリストラする冷酷な一面もよく知られています。
迷信を嫌い、比叡山を焼き討ちするなど容赦なく敵を討ち滅ぼしたりする第六天魔王。
「人間五十年…」
ここぞのところで敦盛を舞う姿もあまりにも有名です。
そんなふうに、ほとんどの日本人が想像する信長のイメージにブレがないのも面白いところではないでしょうか。
ところが近年の研究では信長の人物像は意外と既存の宗教を重んじる常識人だったり、斬新な改革案の元ネタに関してもいろいろと指摘されています。
たとえば、従来の宗教に対して否定的な信長像ですが、
戦乱で途絶えていた伊勢神宮の「式年遷宮」(20年に一度の建て替え)を復活(1585年)させようとしたのは織田信長でした。
※1582年に本能寺の変で信長は亡くなっているので、実行したのは秀吉でしたが、後に続いた徳川家康によって継続され、現在に至ります。
比叡山焼き討ちはなかった?
悪名高い比叡山焼き討ちに関しても、当時の延暦寺は一大軍事拠点でした。
無抵抗なお坊さんと女性や子供を一方的に虐殺したという構図は成り立たないのは確かではないでしょうか。
また、大規模な焼き討ちをしていたら出てくるはずの木片や人骨もほとんど出土しなかったという事例もあります。
信長の弁護をするつもりはありませんが、
また、寺社仏閣の保護活動も行っていることから、少なくとも宗教に対して完全否定派というわけではなさそうです。
少なくとも、「政治的に有効であれば信仰も利用する、ただし宗教の武装勢力は許さない」といった合理的な判断ではないかと個人的には思います。
鉄砲の三段撃ちはなかった。茶の湯文化も信長の独創ではなかった。
信長と言えば、茶の湯文化と西洋伝来の鉄砲を活用した斬新な戦術が有名です。
鉄砲や茶の湯文化の確立は信長の独創ではなく、三好長慶が京畿・堺を支配していた時代の影響もあると言われています。
長篠の戦で武田の騎馬隊を駆逐したという鉄砲の三段撃ちは当時の技術では不可能だったというのが定説になりました。
尾張の経済状況やそれまでよりも長槍を長くした事例は、信長の父・信秀時代に行われていたとも言われています。
たとえ文化の発案者ではなくても、信長によって日本史上に政治的・文化的な価値観の転換(パラダイムシフト)が起こされたということは、まず間違いのではないでしょうか。
なぜ信長は人気なのか?
実際に250年にわたる天下(江戸時代)を作ったのは徳川家康ですが、天下統一のグランドデザインを描き、あと一歩のところまでいった織田信長。
最終的な天下人でないにもかかわらず、現代日本では三英傑の筆頭格として語られることも多いのではないでしょうか。
加えて『信長公記(しんちょうこうき)』や、ルイス・フロイスなど宣教師の手紙など、同時代人の資料もあることから、
信長の人物像の裏付けも比較的とりやすく、キャラクター性に落とし込みやすいエピソードも豊富なところも魅力を後押しする一因となっています。
ならば、そもそも「キャラ」とは何か。
結論から言おう。それは、〝人格的同一性を示す記号〝である。
引用元:『世界が土曜の夜の夢なら』斎藤 環・著 角川文庫
しかし信長が人気になった根本的な理由は別のところにあるかと思います。
古来より日本人は志半ばで最期を遂げた英雄に強い共感を得る傾向があるのではないでしょうか。
古くは父に追い詰められた日本武尊(ヤマトタケル)は悲劇の皇子として、源義経、楠木正成は悲劇の武将として民衆に愛されていました。
時流に逆らっても信念を通した戦国時代の真田信繁(幸村)や幕末の新選組、中でも土方歳三と沖田総司は大人気です。
先見の明がありながら、31歳で暗殺された坂本龍馬も多くの人々に今なお愛されています。
彼らに共通するのが、キャラクター性の確立と、可能性を残したまま散っていった悲劇性ではないでしょうか?
上司にしたい戦国武将などでも常に上位であり、ビジネス書からコンピュータゲームでも頻繁に取り上げられ、
果ては美少女や犬にまでされた織田信長の人気はいつから始まったのか、考察します。
江戸時代は人気がなかった織田信長
そんな織田信長の人気ですが、江戸時代はそれほど人気がなかったと言います。
江戸時代では何と言っても人気だったのは豊臣秀吉でした。
『太閤記』は上方講談の代表的な演目です。
豊臣秀吉の演目の中で、添え物のように描かれるくらいの位置づけだったと言われています。
知名度で言えば、徳川家康は別格として、秀吉、武田信玄、上杉謙信、加藤清正…
下手をすれば明智光秀よりも信長は人気がなかったそうです。
徳川が滅ぼした豊臣秀吉が関西で人気演目になるというのは、幕府としては苦々しい気持ちではあったのだとは思います。
事実、『太閤記』は何度か発禁になっています。
もちろん浮世絵などでも描かれることもなく、徳川家康の人物像は意外に知られていなかったといいます。
織田信長は江戸時代の学者、特に新井白石にボロクソに書かれています。
一方で頼 山陽(らい さんよう)が『日本外史』では評価を受けていますが、一般的には信長はマイナーな存在だったと言えるでしょう。
戦前(明治~昭和初期)の織田信長像
明治時代の織田信長は一般的にはまだそこまで有名ではありませんでした。
しかし、勤皇家としての再評価が加えられました。
徳川幕府を倒して明治維新を起こした新政府とすれば、徳川の評価を下げる必要がありました。
そこで、天皇に忠義を尽くした武将が再評価される流れができたのです。
もっとも有名だったのが、南北朝時代の名称・楠木正成でした。
後醍醐天皇のために文字通り命をかけた正成は教科書に載るなど、プロパガンダに利用されました。
一方織田信長を勤皇家とした根拠は、第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)を保護し、経済的に援助したからです。
戦国時代の皇室は経済的に豊かではなかったので、信長が援助し、保護することで見返りに天皇の権威を得るという関係です。
当事者であった正親町天皇とは後に対立していきますが、信長は明治政府にとって好ましい人物だと受け止められたようです。
戦後・昭和時代で信長に対するイメージが一変「戦国最大のヒーロー」に至る経緯
戦後まもなくはアメリカ占領下にあり、日本はGHQによる言論統制が行われました。
チャンバラ映画は禁止され、ジャズや映画などアメリカ製の文化が日本を席巻します。
その後1952年(昭和27年)に主権を回復した日本で、娯楽の中心となったのは映画でした。
59年、織田信長を描いた『風雲児 織田信長』が大ヒットします。
製作は東映。監督は時代劇を多く撮った河野 寿一。主演は中村錦之助です。
原作は歴史小説家の山岡荘八による「織田信長」(55-60年)でした。
なぜ戦後になって信長が注目されたか、私見ですが考察します。
戦前から続いた価値観が敗戦で一旦リセットされた中で、日本人は戦後の再出発を進めました。
この時代に日本は戦後民主主義という、新しい旗印の下で焼け跡からの復興を成し遂げていきます。
その一方で、海外に拠らない日本の歴史の中で新しいヒーロー像を求めたのではないでしょうか。
信長の、破天荒なイメージと新しい時代を切り開いたエネルギーが、敗戦後の国民の心に強く訴えかけるものがあったように思えます。
破天荒と言えば、無頼派作家である坂口安吾も戦後間もない1948年(昭和23年)に『織田信長』を発表しています。
未完ではありますが、長槍についてのエピソード※や、「敦盛」を舞うシーンにも言及されており、戦後の早い段階から信長に注目した一人と見ることができます。
※織田軍が使っていた長槍は、通常のものよりさらに長い。
一方、悪役としても描かれていた信長。
藤沢周平には『信長ぎらい』というエッセイの中で、織田信長嫌いを次のように書いています。
嫌いになった理由はたくさんあるけれども、それをいちいち書く必要はなく、信長が行った殺戮ひとつをあげれば足りるように思う。
藤沢周平『信長ぎらい』文春文庫より引用
戦後に「改革者」として、その存在がクローズアップされた信長は、同時に戦後民主主義的な価値観の中では悪名も轟かせています。
「無抵抗」な仏教徒たちを弾圧したという「イメージ」も広まり、苛烈な改革者という極端な印象は今もなお続いているのではないでしょうか?
司馬遼太郎『国盗り物語』の影響
戦後の歴史ものに対する影響力の大きさでは司馬遼太郎の名前は欠かすことができません。
『国盗り物語』は、雑誌『サンデー毎日』で1963年~66年に連載された歴史小説です。
当初の主人公は斎藤道三で、織田信長の登場する予定はなかったといいます。
ところが人気があるので連載を終わらせてもらえず、「信長編」を追加した二部構成となりました。
迷信嫌いの合理主義者としてのイメージが、若い頃のうつけ者のイメージと共に鮮やかに描かれました。
黒澤明『影武者』で描かれた南蛮鎧
今ではすっかりおなじみとなった織田信長の南蛮鎧姿ですが、これを定着させたのが80年(昭和54年)黒澤明監督作『影武者』です。
カンヌ映画祭でパルムドール(グランプリ)に輝きました。
当時の日本映画の興行成績(配給収入)一位を記録した作品でもあります。
KOEI『信長の野望』シリーズによる信長のブランド化
そして83年に発売された※光栄マイコンシステム(※現コーエーテクモホールディングス)による歴史シミュレーションゲーム
『信長の野望』シリーズによって、織田信長=すごい戦国武将というイメージが決定づけられたのではないでしょうか。
生頼範義(おおらい のりよし)氏によるイラストでは戦後の信長像を踏襲するものでした。
本格的にテレビゲームの世界で信長が魔王を張るのは戦国無双シリーズ、カプコンの『鬼武者』および『戦国BASARA』シリーズを待たなければなりません。
80年代~00年代にかけて、新興のテレビゲームメーカーだった光栄(現コーエーテクモホールディングス)が、信長のイメージを時間をかけて作っていったと言ってもいいのではないか…
そんなふうに思います。
80年代~若者文化で描かれた信長像
ポップでカラフルな印象の80年代。
バブル景気などの影響もあり、メディアがあおった「明るいノリ」が、この年代の主流な価値観でした。
80年代の雰囲気を詳しく知りたい方は80年代を代表する漫画アニメ15選をご覧ください。
若者向けポップカルチャーが花開いた80年代は、比較的時代劇の不遇な時代でした。
87年の『独眼流政宗』は大河ドラマ史上空前の大ヒットを飛ばしましたが、従来型の勧善懲悪時代劇は当時の若者の支持を集めることはできませんでした。
一方で、ビジネス誌などでは信長の革新性にスポットが当てられた特集記事なども組まれています。
先述の『信長の野望』も含め、それまで以上に織田信長が注目されて以降は、中高生から青年向けにかけて信長が登場する作品が多くなった印象です。
後の信長モノでもおなじみとなる、現代人がタイムスリップして戦国時代にやって来た時、すんなり事情を受け入れてくれる織田信長像は当時から反映されています。
これは、宣教師から地球儀を見せられ、「理にかなっている」としてすぐに納得したエピソードが下敷きとなっているのではないでしょうか。
織田信長ならではの発想の柔軟さは、フィクションで描かれる信長像もほぼ例外なく踏襲しています。
余談ではありますが、学習漫画シリーズは各出版社のカラーがそれぞれ明確に打ち出されていて、出版社の方向性の違いを読み解くのに最適な資料にもなっております。
90年代~大河ドラマ『信長 キングオブジパング』
意外なことですが、92年の大河ドラマ『信長 キングオブジパング』で初めて、織田信長は単独主人公作品となりました。
『国盗り物語』(73年)などでも信長は主役級でしたが、斎藤道三との主役交代があったため、単独で主人公になったのはこの作品が初めてでした。
主演は緒方直人。勇ましい顔立ちの俳優が演じることの多かった信長でしたので、繊細で柔和な印象の緒方直人が演じることに本人も含めて「イメージが違うのでは」という意見が多かったと言います。
ところが実際に放送された際の信長像は「歴史の教科書に載っている信長の肖像画に最もよく似ている」と評されたそうです。
大河ドラマで信長を演じた俳優たち
大河ドラマでも信長役は、時代ごとに様々な俳優が演じてきました。
00年代になると大河ドラマでも『利家とまつ』(02年)で反町隆史が、『功名が辻』(06年)では館ひろしが、『天地人』(09年)では吉川晃司が演じました。
『江〜姫たちの戦国〜』(11年)では豊川悦司、『軍師官兵衛』(14年)では江口洋介、『真田丸』(16年)では吉田鋼太郎、『女城主直虎』(17年)では市川海老蔵が演じています。
90年代~00年代にかけて、織田信長のキャラクターが定着していった過程は非常に興味深く思うところです。
『花の慶次』で描かれた信長がツイッター上でまさかのパロディ
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興味のある方は自己責任で検索してください。
下ネタに耐性のない方、未成年の方の閲覧はやめておいた方がいいと思います。
00年代信長マンガ『へうげもの』『信長協奏曲』『ドリフターズ』
00年代で特筆すべきはテレビゲーム機の処理能力の進化によって、戦場を再現したアクションゲームが続々と作られてきました。
いわゆる「無双系」と呼ばれる、大多数の軍勢を単騎で打ち払う爽快感が抜群のゲームジャンルです。
それまでは将棋のようなシミュレーションゲームが主流だった戦国モノの舞台が、派手なアクションゲームに取って代わられた時代です。
派手なゲームが多くなったことと、奇抜な衣装の戦国キャラクターが増えたことは無関係ではないでしょう。
一方、マンガ作品でも様々な「信長もの」が次々と発表され、時代を彩っていました。
茶道や茶器など戦国の「美」と「数寄」に焦点を当てた古田織部が主人公の『へうげもの』(05年)は、コミカルでありながら、とにかく「濃い」内容がとても魅力的な作品です。
信長協奏曲(09年)は、いわゆるタイムスリップもので、高校生が信長になっていくというお話。
主人公サブローが歴史に興味もなく、物事をあまり深く考えないところが歴史に興味がない人でも入りやすかったのではないでしょうか。
『ドリフターズ』平野耕太作(09年~)も欠かすことのできない「信長コンテンツ」の一つでもあるかと思います。
超像可動 TVアニメ ドリフターズ 織田信長約 18cm PVC&ABS製 塗装済み可動フィギュア
古今東西の英雄が、時間軸を飛び越えて異世界で敵味方となって戦うという設定ですが、織田信長はメインキャラクターの一人として大活躍します。
カルタゴの名将ハンニバルや新選組の土方歳三などと信長が軍略を競わせる展開は、歴史好きには設定だけでたまらない作品ではないでしょうか。
10年代の信長コンテンツの繁栄。日本史上最大の信長人気?
10年代においても織田信長人気は引き続き、戦国時代をモチーフとした漫画、アニメ、テレビゲーム、スマホゲームなどでも欠かすことのできない存在になっています。
もはやこうなると「織田信長」はひとつのジャンルではないでしょうか。
本格的な戦国時代ものから、タイムスリップもの、美少女モノ、果ては犬になった信長まで、ありとあらゆる信長コンテンツが市場に溢れかえっています。
『Fate/Grand Order』(以下、FGO)の影響力も忘れてはいけません。
Fate/Grand Order 手帳型スマートフォンケース アーチャー/織田信長
FGOがキッカケとなり、織田信長を知ったというユーザーも多いのではないでしょうか。
FGOユーザーの中には、実在した戦国武将である織田信長と、ゲーム内キャラクターが結びつかない方も一定数いると思われます。
ちょうど、SDガンダム三国伝のファンとモチーフとなった『三国志演義』と、さらにそのモチーフとなった『三国志演義』とのファン層の乖離にも見て取れます。
まとめ・スーパースター戦国武将・信長を知るために読みたい本
いかがでしたか。
織田信長の評価については今後も紆余曲折はあるでしょうが、今後もおそらく日本人にとってスーパースター戦国武将として君臨し続けるのではないでしょうか。
いかんせん、キャラが立ちすぎていますから。
信長の実像を知るために参考になった本や研究者を紹介します。
谷口 克広(たにぐち かつひろ)氏は信長研究の大家として有名です。
信長と天皇との関係性については今谷 明(いまたに あきら)氏の著作が大変参考になります。
なお、本記事を執筆する際にもっとも参考にしたのは倉山満氏『大間違いの織田信長』でした。