あなたは前世、生まれ変わりを信じていますか?
現在のところ、前世はおろか魂の存在さえも、科学的には証明されておりません。
「前世とは何か」検索すると、占いアプリや無料の前世診断法などの、ほほえましいサイトも多く表示されます。
一方で、スピリチュアルカウンセラーによる高額な前世診断やセミナーなどの、金銭的なリスクを伴う正直「うさんくさい」サイトも存在しています。
もちろん、スピリチュアルすべてを否定するものではありませんが、本記事では主に読者の知的好奇心に訴える読み物を目指しています。
当ブログのスタンスは、たとえオカルトと言われている事柄でも「あったら良いな」と思うものは肯定的に捉えております。
一方で、詐欺まがいの霊感商法やセミナー、スピリチュアルに傾倒する姿勢には断固として反対です。
前世とは何か なぜ生まれ変わりは多くの人の関心を集めるのか
はじめにご承知おきください。
本記事は前世について肯定派、否定派それぞれの立場から多角的に見て、その魅力と危険性を考察する内容です。
生まれ変わりとも、過去世とも言います。
ひとつの魂が、時空を超えて何度も繰り返し生まれ変わっていく…
という考え方で、世界中の多くの宗教にみられます。
チベット仏教の経典『死者の書(バルド・トドゥル)』にも記されており、物質である肉体は滅びるが、死者の意識の流れは途絶えることはないというものです。
古代の宗教から、占いや漫画まで、前世や輪廻転生は繰り返し語り継がれてきました。
結論から言えば、前世及び輪廻転生に科学的な根拠は認められないものの、世界中で「前世を記憶する人々」という例が相次いでいます。
真偽はともかく、古代から人々の心のよりどころとなり、情報革命社会の現在に至っても人々を魅了して止まない概念なのは間違いないでしょう。
輪廻転生と宗教
輪廻転生や生まれ変わりはヒンドゥー教やチベット仏教など、主にインド哲学・東洋で信じられている概念です。
ヒンドゥー教では輪廻(サンサーラ)は教義の根幹とされ、信心と業(カルマ)によって来世の運命が定まると言われています。
ブッダは輪廻転生をどうとらえていたか
ブッダの教えでは輪廻転生を苦としてとらえ、輪廻からの解脱を目的としています。
もともとインド思想には、人間は罪があるゆえに何度も生まれ変わり、何度も苦しむという輪廻転生の考え方がありました。それがお釈迦様の思想の前提になっています。
引用元:ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、儒教 世界の裏側がわかる宗教集中講座 井沢元彦 著 徳間書店
のちに仏教では、これを「六道(りくどう)」というかたちに整理します。六道とは、一番上から天道(天上界)、人道(人間界)、修羅(しゅら)道、畜生(ちくしょう)道、餓鬼(がき)道、地獄道という順に存在する、輪廻転生に属する六つの世界です。例えば、今は人間でも、悪いことをして畜生道に落ちると、死んだのち動物に生まれ変わるということです。
(カッコ内ルビは引用者)
西洋に輪廻転生はあった?
西洋でも古代ギリシアのピタゴラス教団、プラトンなどにみられ、初期のキリスト教にも輪廻思想があったと言われています。
※現在のキリスト教には輪廻転生の概念は存在していません。
カバラはユダヤ教の形而上学(けいじじょうがく)です。
霊魂や死後の生、世界の創造、終末の出来事など、神秘主義的な題材が扱われています。
様々な意見や読み取り方があり、何百冊も関連書物がありますので、ここではひとつの意見として紹介するにとどめます。
輪廻転生の魅力とは
本記事ではざっくりと輪廻転生、特に前世についてスケッチをするように前世が持っている魅力を語りたいと思っています。
宗教学会の定説とは異なる部分も多々あるかと思いますが、ご了承ください。
ダライ・ラマ14世の言葉を紹介しましょう。
輪廻転生の考え方では現世は一つの段階に過ぎません。
すりきれた衣服を脱いで着がえるのと同じです。
古くなった服は捨てて新しいのを着るでしょう?
古い肉体が滅びても意識は絶えないので、活力にあふれた新しい体で、また出直すわけです。
こう考えると、死は生の一部という存在を超え、生命の本質を追及する絶好の機会となります。
引用元:NHKスペシャル チベット死者の書
意外とハードルが高いけれど、しっくりくる「前世を信じる」ということ
前世を信じるためには、前提としてまず二つの条件を信じる必要があります。
「人間には不滅の魂がある」ということと「魂は時空を超える」という概念です。
ニューエイジ思想と輪廻転生
ニューエイジは60年代後半にアメリカで発生したカウンターカルチャーであるヒッピー文化を源流とします。
泥沼化するベトナム戦争に反対する政治的な反体制運動の一面もある一方で、物質文明を否定し、精神性を重んじる傾向もあります。
欧米発の文化でありながら、インドなど東洋の宗教、哲学などがもてはやされたことも特徴の一つです。
このような時代背景と、西洋社会の行き詰まり(自然破壊、物質文明の弊害、核戦争への恐怖など)が重なり、当時の若者たちの心情は「新しい価値観=精神世界」に傾倒していきました。
オカルトブームが起きたのもニューエイジの影響にあります。
オカルトブームに関しては、以下の記事を参照ください。
次項で取り上げる前世療法もまた、このような時代背景の中で人々の支持を受けました。
前世療法
『前世療法』は、88年に出版された米国精神科医のブライアン・L・ワイス博士の著作です。
精神的なトラブルを抱える患者に、子供時代を思い出させて現在の苦痛を緩和しようと退行催眠を試みた結果、前世の記憶を呼び出してしまったという体験談を書いたものです。
この本はニューエイジ・ムーブメントに乗り、世界的なベストセラーとなりました。
前世療法はとても興味深く、魅力的なものです。
私もセルフ前世療法などを試したいと思っているくらいです。
しかし一方で、不要なトラブルを避けるためにも、虚偽記憶に関する危険性は認識しておくべきでしょう。
魂は科学的に証明できない
人間の「魂」について、現在の科学では存在を証明することはできていません。
世界中の科学者・哲学者が今も頭を悩ませ続けている「人間の意識」についても、確かなことは分かっていません。
現在の通説では、意識は脳内の電気化学的反応によって生み出されていると言います。
脳内の無数の入り組んだ網状組織の中で、800憶を超える神経細胞ニューロンが結びついて、電気信号をやりとりすると、主観的な経験が生まれるとのことですが…。
魂については実在さえ分からない状態です。
一神教の世界観での「魂」の存在
一方、一神教の世界観では魂の存在が前提であり、人間だけが魂を持つものとして説かれています。
動物には魂がないのか
ところが、最新の科学的発見は、この一神教の神話をきっぱりと否定している。たしかに、研究室での実験で、この神話の一部が正しいことが裏付けられてはいる。
まさに一神教信者の言うとおり、動物たちには魂がない。これまでどれほど労を惜しまず念入りに調べてみても、ブタやラットやアカゲザルなどには、魂らしきものなどほんのわずかでも見つかったためしがない。
『ホモ・デウス』上巻 ユヴァル・ノア・ハラリ 著 柴田 裕之 訳
世界的なベストセラーとなった『サピエンス全史』で知られるイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書『ホモ・デウス』より引用を続けます。
この本は輪廻転生とは直接の関係がありませんが、テクノロジーが行きつく先で、人間が自身を神々にも等しい能力を持った存在『ホモ・デウス』にアップグレードする未来を描いて見せた、大変知的好奇心を刺激する著作です。
科学者たちはホモ・サピエンスに何万という奇怪な実験を行い、私たちの心臓や脳を隅から隅まで調べてきた。だが、これまでのところ不思議な輝きは見つかっていない。ブタとは違ってサピエンスには魂があるという科学的根拠は皆無なのだ。
魂の存在を否定する科学者の著作はたくさんある中で、なぜ私がイスラエルの歴史学者の著作を引用したのか、「なんで?」と思う方もいるでしょう。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の視点が、魂について、心についても宗教的、科学的な両方の視点で掘り下げてあると思ったからです。
前世に対する疑問点と矛盾
現代の世界人口は75億人を突破したところで、2050年までに97億人まで増加すると言われています。
もし前世があるのならば、虫や鳥などが続々と人間に転生している計算になります。
その一方で、前世占いなどではほとんどの人間の過去生は人間になるので矛盾があるのではないでしょうか。
なぜ人類は輪廻転生を思いついたか
ここまでは批判的に前世を考えてみました。
しかし、それでも輪廻転生を信じることには圧倒的なメリットがあります。
詳しく述べたいと思います。
そもそも何故、人間が輪廻転生を思いついたのでしょう。
おそらく自然災害や飢え、病気、事故などに対して、圧倒的な無力を感じていたからだと思います。
保険制度や社会保障はおろか、医療すらもない文字通りハードモードな人生の中で、人々は考えたのでしょう。
これに加え、新生児の死亡率など、現在では考えられないほど、人類にとって死は身近なものでした。
儚すぎる命について、先人たちの胸をかきむしるような思いが、輪廻転生を思いつかせたのではないかと確信しています。
輪廻転生を信じることで、死(および絶望)への恐怖を軽減できるために、人はこのような考え方を思いつき、受け入れたのではないでしょうか。
ブッダからすれば、生きることは苦しみですから、輪廻の檻から解脱すべきものなのでしょう。
輪廻転生をテーマにした創作物
前世モノ、転生モノは日本人の宗教観にマッチしているのか、たくさんの数が日々作られ、発表され続けています。
時代によって浮き沈みはあるでしょうが、おそらくこの流れは今後も続いていくと思います。
代表的なモノをいくつか取り上げ、雑談してみます。
いわゆる転生モノのジャンルで神様転生と呼ばれるものは別記事を準備中です。
大切な人を失ったとき、「来世でもまた会いたい」と思う。
祖父母や両親、親友や兄弟など、身近で大切な人を亡くした際に、人は自然と「生まれ変わったとき、また会えたら」なんて思うのではないでしょうか。
来世などない。
人は死んだら無に帰る。
このような考え方は、実際に大切な人を亡くした経験がある人にとってあまりにも残酷で救いがない。
人間には寿命があり、たとえそれが定められたものだったとしても、悲しみは尽きないものです。
自分よりも年長者ならまだしも、同年代や希望に満ちた幼い存在が消えてしまうのは耐え難い苦しみです。
そんなときに、霊魂や魂の存在や宗教も一縷の救いとなります。
来世や生まれ変わりの考え方も、「あったらいいな」と思うと胸が詰まるような気持ちです。
もう二度と会えない人たちと再び会うことが出来たら、どれほどステキなことなのでしょう。
一方で残念なことに、そういった人の悲しみに付けこんでお金を稼ぐ人がいるのもまた事実です。
お互いが納得のできるWin-Winの関係ならば良いですが、中には平気で人を食い物にする者たちもいます。
まとめ
現時点では、前世はおろか魂の存在さえも科学的に証明できることはできません。
しかしながら前世や生まれ変わりや不滅の魂は、私たちの気持ちには非常にしっくりくる概念で、信じる人も多いのではないかと思います。
人間は死ぬと無になる。
来世などない。
このような考え方に耐えられるほど、多くの人の心は強く(あるいは無神経?)というわけではありません。
特に家族や友人など、身近な人を失った人にとってはなおさらです。