ピロウズは1989年9月16日に結成した三人組の邦楽オルタナティブ・ロックバンドです。
山中さわお(1968-)ボーカル、ギター、主に作詞作曲を担当。
真鍋吉明(1962-)ギター。
佐藤シンイチロウ(1964-)ドラムス。
活動期間は30年と長く、名曲も数多いバンドで、数多くのミュージシャンからリスペクトされています。
レジェンド級といってもいい活動歴と評価を得ていると言っても、ファンのひいき目ではない(はず)です。
日本中の誰もが知っているような大ヒット曲を持っているわけではありません。
結成20周年で初武道館公演という珍しいキャリアを持っています。
派手なタイアップやドームツアーを行ったことも現時点では(19年現在)ないにもかかわらず、一部では「すごいバンド」だと認識されております。
これだけキャッチーな楽曲を作れて、ミュージシャンからの評価も高いのにブレイクしないのは逆に不思議でもあります。
関係者やファンにとっては大きなお世話ですが、ピロウズがなぜブレイクしなかったのかもあわせて考察します。
ピロウズファン歴20年が語るバンドの魅力
the pillowsの凄さを一言で言うなら「こんな曲が聴きたかったんだ」と、思わせる力です。
決して万人がそう思うわけではなく、刺さる人にはとことん刺さる魅力を持っています。
ピロウズの魅力は決して安易なJ-POPの音楽シーンに乗らない割には、聞く人を選ぶような難解さがないところです。
気持ちいいほどポップでキャッチーな曲調にあります。
それでいて少しひねくれた歌詞や音作りが、世間からズレた若者たちの心をわしづかみにするのだと思います。
「両親が聴いていたから好きになった」等の環境以外では、おそらくthe pillowsは「初めて好きになったバンド」とはならないかと思います。
現代の日本で生まれ育った人ならば、世の中に数多くある名曲やヒット曲をある程度耳にして育ってきたでしょう。
みんなが好きな曲にピンとこないで、「何か違うな」と思っている中で、ひょんなキッカケでピロウズを知ると。
「こんな曲が聴きたかったんだ!」なんてピロウズにハマる人が多いような気がします。
J-POPには物足りないけど、洋楽ロックはまだ少し敷居が高い…。
そんな中学生には「これ以上ないくらい」ピッタリなバンドではないでしょうか。
一度ハマってしまうとなかなか抜けられない中毒性も、彼らの魅力です。
同世代のバンドと比べても圧倒的にに多作で、聞きごたえがあります。
僕はずっと孤独だった
会いたかった 誰かに
ハジメマシテ コンニチハ
何がそんなに可笑しいの
引用元: the pillows『1989』作詞・山中さわお
一般的にピロウズは4つの時期に区分けされています。
89年-93年までは「第1期」で、バンドの主導権はパンクロックバンドKENZI & THE TRIPSのリーダーであったベーシストの上田ケンジ氏が主導していましたが、93年に脱退しました。
94年-96年までの「第2期」からはバンド最年少でボーカルの山中さわお氏がリーダーとなり、「売れるための」音楽性を模索した時期でしたが、結果的にヒットは果たせませんでした。
96年-12年までの「第3期」は、ロックやオルタナティブと言ったスタイルを追求し、逆境を乗り越えて現在までのファンを獲得した時期でもあります。
13年- 「第4期」はメンバーによれば「末期」だそうで、音楽性は基本的に第3期の延長線上ありますが、個人的な印象ではこれまで以上にリラックスした感じが出ていると思います。
ロックンロールだのオルタナティブロックだのもうこだわってない。「最近の俺たちは、なんでもやりたいことをやって楽しめるね」という状態なんだよ。
引用元:音楽ナタリーthe pillows 覚悟を決めた山中さわお
ミュージシャンと漫画家に多いピロウズファン
皮肉なことではありますが、the pillowsの名を一般的に広めたのは、04年の結成15周年記念に発売されたトリビュートアルバム『シンクロナイズド・ロッカーズ』ではないでしょうか。
海外での人気は00年ガイナックス・ Production I.G製作のOVA『フリクリ』が起爆剤となり、一気に広まりました。
本作のほぼ全編を通じてピロウズの楽曲が使用されており、彼らの米国コンサートデビューのキッカケともなっています。
07年-13年週刊少年ジャンプに連載されていた『SKET DANCE』(スケット・ダンス)は、作者の篠原 健太氏がピロウズのファンを公言しており、作中でも
「Funny Bunny」のフルの演奏シーンが描かれました。アニメ化の際にもピロウズは音楽面で協力しています。
09年-15年まで『ゲッサン』で連載されていた『ハレルヤオーバードライブ!』の作者である高田 康太郎氏も、ファンの一人ではないかと言われています。
実在の曲をもじってつけた各話のタイトルの中にピロウズの「Trip Dancer」や「その未来は今」があります。
the pillows / 確かめに行こう
連載の準備段階、バスケという題材以外何も決まってないときに、漠然と「この曲みたいな(この曲が似合うような)漫画にしよう」と決めてた。
友情努力勝利みたいな少年誌のソレじゃない、別の何かを描こうと思った一番最初のあひるソング。いろいろ迷ったときは必ず。
— 日向武史 (@hinatatakeshi) May 25, 2018
このように、思いついたまま採り上げてみてもキラ星のごとくの漫画家がピロウズファンを公言しています。
『あひるの空』は、19年10月よりアニメ化が決定しました。
そして主題歌をthe pillowsが担当します。
当のピロウズで作詞作曲を担当する山中さわお氏も自身マンガ好きでを公言してはいるけれども、さわお氏の分析によれば…
the pillowsにもいろんなファンがいるけど、ちょっと内向的というか、友達もそんなにいないし、みたいな人の方が僕の歌詞は入り込みやすいと思うんで。漫画家さんって、そういう人が多いんじゃないですか?(笑)
引用元:OKMUSIC 【the pillows】肉体のサイズを超え る 思春期の膨大なエネルギーを表現
個人的な経験ですと、実際に交流のあった作家さんでも何人かとピロウズ話で盛り上がったのを覚えています。
だいぶ前にコミティアという創作系の同人イベントに参加したことがあるのですが、ジャンルは違うのにブースにバスター君のぬいぐるみを置いたサークルや、
ピロウズのTシャツを着た売り子さんがいたのも印象に残っています。
ピロウズというバンドの認知度で考えたら漫画家にファンが多いと実感せざるを得ない遭遇率でした。
ここまで「漫画家」を魅了するバンドは他にはちょい上世代のブルーハーツくらいしかないような気がします。
「永遠のブレイク寸前」ピロウズの歩みを年代別で考えてみた
第一期~89年
デビュー時はバンドブームでした。結成時期はミスチルと同期です。
ロック系の音楽シーンはブルーハーツも現役で、TRAIN-TRAINのヒットから1年、より一般層にも知れ渡っていたころです。
87年に解散したBOØWYの影響を受けたビート系バンドも根強く支持されていた時代でした。
そしてヤンキー系の系譜であったX JAPAN(当時はX)やBUCK-TICK等のデビュー当時のインパクトの強さは社会現象といっても過言ではないほどでした。
サブカル方面では電気グルーヴや筋肉少女帯、たまのブレイク期とイカ天ブームとも重なります。
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そしてさわお氏も「革命的」だったと認めるフリッパーズギター。
上田ケンジ氏の知名度はあったものの、これだけのメンツの中で頭角を現すには余程のスマッシュヒットかインパクトが必要だったのではないでしょうか。
実際のところ、この時期のピロウズは発展途上とはいえ、山中さわお氏の突出したメロディやポップセンスは随所に感じられる楽曲群です。
第二期 94年~96年
何かのキッカケがあれば、もしかしたらここでブレイクしてたかも知れないと思わせるほど、時代に寄せていた時期ではないでしょうか。
90年代中期は同時期に結成したミスチル、スピッツのブレイクと、CDバブルが始まった時代でもあります。
この時期のピロウズはソウルミュージックなどへの接近も見られ、スタイリッシュな音楽性へと路線変更しました。
渋谷系にも通じるような、お洒落な感じが際立っています。
「売れることを意識した」と言うとおり、実はここでブレイクしていても全く不思議ではないと個人的には思います。
『tinyboat』をピロウズを知らないに聴かせたら普通に90年代ヒット曲と勘違いするかも知れません。
ただ、ここでブレイクしなかったからこそ、ピロウズは息の長い黄金時代(売り上げではなくファンとの関係性や評価のされ方)を続けられたのではないかと思っています。
転機は96年に発表した6枚目のシングル『ストレンジカメレオン』でした。
レコード会社の反対を押し切って製作されたこの曲は、どんな状況下でも自分たちの信じる音楽を頑なに貫くという決意表明であり、メジャーの音楽業界への遺書という思いも込められていました。
山中さわお氏が当時抱いていた「まわりに順応できない」孤独感や疎外感などの苦悩を、シリアスに書いた歌詞とメロディが印象的な曲です。
そしてこの曲はFMラジオ局のヘビーローテーションになり、彼らをめぐる状況もゆっくりと上向き始めます。
『ストレンジカメレオン』は、現在も歌い継がれる彼らの代表曲となりました。
ここからピロウズ栄光の第3期が始まります。
第三期以降は実質上ブレイクしたともいえます。
決してヒットチャート上位を記録したり、爆発的なセールスを上げたわけでもありませんが、確実にファンの心に届く音楽を作り続けています。
結成30周年記念・劇場用映画『王様になれ』を制作
結成30周年を記念した映画はthe pillowsが伝え続けてきた世界観をベースにしたオリジナルストーリーです。
監督・脚本はオクイシュージ氏。原案・音楽を山中さわお氏が手掛けました。
主演は岡山天音氏。岡田義徳氏や後東ようこ氏も出演します。
19年9月13日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次公開されました。
ミスチルと聴き比べて、ピロウズの音楽がなぜリア充のココロに今一つ届かないのか余計な考察をしてみる。
両方のファンから怒られてしまいそうな比較ですが、あえて考えてみたいと思います。
ミスチル=リア充ご用達。ピロウズ=非リア充。
というと言うと聞こえが悪いし、当てはまらない例も多々あるとは思いますが。
「国民的バンドであるミスチルと、スピッツならまだしもカルト的な人気を誇る程度のピロウズを比べるなんて!」
ピロウズファンのひいき目かもしれないけれど、コアなファンを引き付ける楽曲の力は拮抗しているのではないかと思います。
普段あまり音楽を聴かない人、ロックに興味のない人を取り込めるのはミスチルの凄いところではないでしょうか。
仮にピロウズがタイアップをガッツリやっても、ストレートなラブソングを書いてもミスチルほどの商業的成功は難しいのではないかと。
再び個人的な話になりますが、私も一時期、友人などにピロウズを勧めたりする「アウイエ教」布教活動をしたことがありました。
本当に素晴らしいバンドだと心の底から思っているので、見どころのありそうな人に勧めるわけですが、悲しいかなピロウズってあまり届かなかったんですね。
まあ音楽、ことにロックは個人的に楽しむのが一番だと思い知り、以来好きな音楽を人に薦めるのをやめました。
山中さわお氏はガラケー愛用の自称原始人? すごい私服?
そのような「人を選ぶ」ピロウズの音楽性は、山中さわお氏の才能と人間性から出てくるモノなのは間違いないでしょう。
まとめ
いかがでしたか。
ピロウズについてざっくりとまとめてみました。
さわお氏の息の長い作詞作曲活動で、本当に一定以上のクオリティを維持し続けていることは特筆すべきではないでしょうか。
20周年記念の2009年にリリースされたシングル曲『雨上がりに見た幻』の中で、山中氏は次のように歌っています。
足跡の無い道を選んで
ずいぶん歩いたな
荒野の果て どこかにきっと
足跡残ってる
それだけが それだけが
生きた証
引用元:the pillows 『雨上がりに見た幻』作詞・山中さわお
一ファンとして30周年を迎えたことを祝福するとともに、今後も「十歩先を走るその背中」に敬意を表しつつ、本稿を締めたいと思います。